目隠し
黒い影が布のように自分へと覆いかぶさって来た時、最後に見えたのは微笑を浮かべた髪切りジャックの姿だった。
はっと気づいた時には分厚い布団でも被せられているように何も見えなくなっていた。
「なに、これ……」
アイリスは短剣を握っていない方の手で自分の視界に映るように手を振ってみせるがやはり何も見えない。男の姿も月明りも何もかも。
突然暗闇の世界へと放り込まれたような感覚に焦りが生まれる。
……落ち着いて。ちゃんと状況を判断しないと。
目が見えなくなった以上、無闇に動く方が危険だ。
気配を探ろうと意識を集中させるがそこに男の気配はないように感じる。
「クロイド……!」
クロイドのところへ向かったのだとしたら、駆け付けなければならない。そう分かっているのに視界を奪われている以上、どうすることも出来ない。
こんなことになるならばブレアに見えない状態でも歩ける方法を習っておけば良かったと今更後悔してしまう。
今はこの状態で今の自分に何が出来て、どうすれば見えるようになるか即座に考え付くしかないだろう。
しかし、時間はない。髪切りジャックがすぐにでもクロイドに近づいている可能性があるからだ。
「ちょっと、待って……。どうして……喋る事が出来るのかしら」
息だって出来るし、手足だって動けないわけではない。ただ視界が見えないだけだ。
「…………」
アイリスは自分の目元にそっと触れる。自分の肌ではない何かがそこに巻き付いていた。
軽く指で掴もうとしても、しっかりと張り付いているため簡単には解けないようだ。これは髪切りジャックの足元から伸びていた影に違いないだろう。
影魔法はそれほど勉強していたわけではないため、基本しか知らない。その基本を叩きこんだ頭でアイリスは記憶を遡らせながら知識を引っ張り出してくる。
影魔法はその名の通り影を操るものだ。
しかし、その方法は二種類に分かれており、自分の影を操る方法と自分以外のものが持っている影を操る方法がある。この場合、前者が現状に当てはまるだろう。
自分の影を操る場合、それは分身のように自在に扱うことが出来るが影の持ち主からその影は切り離すことが出来ないという欠点があるのだ。
そしてそれゆえに、影が使える行動範囲も限られていることからある程度の距離までしか伸びることが出来ないのだ。
「……まさか」
頭に巻き付いている影を手で沿うように触っていくと糸を張ったようにその先は細くなり、どこかへ伸びている。
アイリスは見えないまま短剣で糸のように伸びている影へと切り付けた。
「っ……」
鈍い音とともに短剣による攻撃は弾き返される。簡単には切る事が出来ないようだがこれで一つのことが分かった。
アイリスは自分が叩き切ろうとした細いものに手を触れながら冷静に考える。
……今の感触は弦を弾いている感覚だったわ。しかも、かなり長いものなのか遠くまで響いた振動が今返ってきている。
それは自分に巻き付いている影が糸を張ったように遠くまで続いていることを表している。
「……繋がっているということね」
髪切りジャックの足元から伸びている影は最低限の細さと長さを保って自分に巻き付いていると言っていいだろう。
本当なら動きも封じておく必要があったはずだ。だが自分がクロイドから離れた場所にいることが幸いとなり、「視界」を奪うだけの影しか伸ばすことが出来ないのだ。
「それならこっちだって出来る事があるわよ……」
アイリスはふっと息を吐く。靴の踵を三回鳴らし、身体を一度沈めてから飛び出すように地面を蹴った。
青嵐の靴によって身体は軽くなり、視界が閉ざされたまま宙へと舞い上がる。
……もっと、上へ……!
風を切るようにその身体は上昇していくのが感じられる。
一瞬でいい。
自分へと伸ばされた影が伸びる範囲の限界までこの身体を持って行きたかった。
正直に言えば、目が見えないままで飛ぶことがこれほど恐怖を感じるものだとは思っていなかった。
……そういえば、前にブレアさんと鍛錬していた時に視界だけで攻撃を判断するなって言われたわね。
自分は夜目が利くと慢心していたことで視界が見えないことによる不利な状況を想像出来ていなかったのだ。
見えないことでいつもは安定していた着地を失敗することだってあり得る。
……そろそろ、飛距離の方が限界だわ。
だが、その瞬間は突然きた。
自分の左目が突然、光を取り戻す。
しっかりと開け放たれた瞳が自分の下に広がる光景を映す。
……見えた!!
映ったのは街灯の下で髪切りジャックと対峙しているクロイドだった。クロイドの足元には黒い影が伸ばされているのがはっきり見えた。
やがて、飛距離の限界によって身体は下降し始める。それと当時に一瞬だけ緩んだ影が再びアイリスの視界を遮ろうと巻き付き始めた。
しかし、アイリスにはその一瞬だけで十分だった。
下降していく身体の体勢を整えつつ身体の向きを少し変える。地面と自分の現在地との距離を目測し地面へと到着するまでの時間を瞬間的に計算した。
心の中で地面までの時間を数えながら、短剣を握り直して着地の体勢に入る。
「――クロイド!」
名前を叫んだ。彼がどこにいるのか正確な位置を知るために。少しで良い。声を返して欲しかった。
「――……リス!!」
「っ!!」
聞えた声の場所を特定したアイリスは予想だけで叩き切る様に短剣を振った。
金属音がその場に響き、短剣を持つ腕に確かな手ごたえを感じつつ、アイリスは一回転しながら地面へと着地する。
青嵐の靴によって足にかかる負荷は軽減されたようだが、それでも着地した際には少しだけ体勢を崩してしまった。
「おおっ……。驚いた。影の先で何かしていると感じていたらまさか上空から襲ってくるとは」
視界が今も遮られているため髪切りジャックの表情がどのようなものになっているのかは分からないが、それでも無傷なのは確かだ。
影による防護を予測した上で重力による力任せの攻撃だったにも関わらず影の防御力の方が高いらしく切り傷一つ付けることは出来ないらしい。
少しでも傷を付けられるなら自分の短剣でクロイドを取り巻いている影を切り落とすことが出来ただろうがやはり上手くはいかないようだ。
「ちょっと、無事なの!? 今、見えないから返事ははっきりと答えて。あと状況を簡潔に詳しく」
ずっと一緒にいることでクロイドの気配がどのようなものなのかは分かっている。
彼の気配を感じたアイリスはその方向へと数歩後ろへと飛び跳ねるように下がりつつクロイドに向けて声を張った。
「見えないのか……。……奴の足元から俺達に二本の影らしきものが伸びている。俺は完全に動けないが視界は開けている。あと、この影の影響なのか魔法は使えない」
「……なるほどね」
影に魔法が使えない特殊な効果があることからクロイドは捕まってしまったらしい。
そうでなければ誰よりも感覚が鋭い彼が近づく魔の手に気付かないまま簡単に捕まるわけがないだろう。
視界が奪われた自分と身体の動きを封じられたクロイド。
「2対1なのに明らかに向こうの方が有利ってことね」
アイリスは冷や汗をかきながら不敵な笑みを浮かべる。見えなくても視線の先に捉えているのは髪切りジャックの気配だけだった。




