複雑
教団内で女装した姿を誰にも見られたくないというクロイドの強い要望により、魔具調査課が教団の外で良く利用している空き家の一室を借りて着替えることにした。
「どうかしら? ちゃんと着替えられた?」
扉越しに声をかけると渋るような声で返事が返ってくる。
「……もう少し待ってくれ」
扉の向こう側の部屋ではクロイドが一人で支度を整えている。
一方、自分は囮ではないのでいつもの装備だった。そうは言っても相手は人間であるため、腰に下げているのは純白の飛剣ではなく戒めの聖剣だ。
街中だと長剣よりも短剣の方が何かと都合がいいのだ。短剣であれば万が一に、一般人に目撃されても目立たないからである。
「……いいぞ」
どこか諦めの混じった声が扉の向こう側から聞こえてアイリスはそっと扉を開いていく。
灯りは点けておらず、月の光だけで彼は着替えていたようだ。アイリスは目を凝らすように彼をじっと見つめた。
白いシャツに薄手のカーディガンを羽織り、灰色のスカート。それは全部自分のものだ。それなのに彼が着ているだけでこれほど優雅かつ艶やかに見えるのだから不思議だ。
クロイドの背が高く、すらりとしていることもあってかまるでどこかに実在しているかもしれない背の高い黒髪美人のようだ。
長くなっている黒髪が窓の外から差し込む月光によって、黒曜石のような輝きを見せる。同じ色をした瞳が気まずそうにこちらを見ていた。
「…………」
「……何で無言なんだ」
ふいっとクロイドは視線を逸らした。明らかに照れているようだ。
「だって……。本当に綺麗に見えたんだもの……」
出来るだけ言葉を選んだつもりで答えたがそれでもクロイドは不満そうだ。
「……本当なら仕事とは言え、こういう姿をしたくはないんだが」
クロイドは溜息を吐きつつ付け毛の毛先をそっと触る。
「でも、囮役になるなら自分の方がましだと思ってな」
「それは……」
どういう意味かと訊ねようとしたが彼の言いたいことを察してしまい、今度はアイリスの方が視線を逸らす。
分かりやすく言えば、自分に囮役という危ない役をさせたくはないと彼は言っているのだ。
そういう扱いをされてしまうとこちらとしてもどう反応すればいいのか分からなくなってしまいそうだ。
「……でも、私の服のサイズがあなたに合うのは少し微妙な心境だわ」
「いや、ぴったりのように見えているかもしれないが肩幅は合っていないし、袖だって足りていないからな」
ほらと言って彼は袖口を見せる。確かに白いシャツの袖の長さが足りておらず、手首が見えていた。つまり、彼にとっては自分の服が小さいということを意味している。
体格の差があることに少しだけ安堵してしまうアイリスに対して、クロイドは小さく笑った。
「それにアイリスが俺と同じ体格だったとしても構わないけれどな」
「……それは複雑だわ」
「そうか? ……でも複雑を比べるなら俺の方が余程複雑だぞ」
そう言って諦めた表情で彼は手を軽く広げて見せる。本当にどこからどう見ても良い家柄のお嬢さんにしか見えない。
「女装、それほど嫌なの?」
男性に女装しろと言って素直に頷く人は世間には少ないだろう。
「まぁな。……任務とは言え、自分の好きな人の前では格好良く居たいものだろう?」
「あら」
クロイドの言葉にアイリスは苦笑した。
「大丈夫よ。可愛らしい恰好をしていてもあなたが恰好良いってことは分かっているもの」
そう答えるとクロイドは再び気まずそうな表情をして、そして噴き出すように笑った。
「アイリスにそう言ってもらえるなら、そう言うことにしておくよ。……ただ、暫く女装はしたくないけどな」
彼の本音にアイリスは小さく苦笑いしながら、今日の夕方に水宮堂で彼が購入した「黒き魔手」を渡す。
「はい、念のために手袋をしておくといいわ」
「そうだな」
黒革の手袋がすっぽりとクロイドの手を覆った。
この時期に手袋をしている人は見かけないが、傍から見れば肌を見せないように気を付けている慎ましい女性だと思われるかもしれない。
「…………」
立ち姿さえ、絵になりそうなほどの美人だ。恐らくこの姿で教団に戻ればあの美人は一体誰なのかとすぐに噂になってしまうだろう。
「アイリス?」
「え? あ……ごめんなさい。考え事をしていたの」
アイリスはすぐにブレアから貰った資料をその場に置いてある机の上へと広げ始める。
「最後にもう一度確認するわよ。髪切りジャックがよく出没するのが窓の外に見える大通りから2本外れた道とすぐ近くにある路地裏ね。教団の女の子達の大半がここで襲われているわ」
「……狙われた女子達は皆一人だったのか?」
「その時は任務中だったらしいから、絶対に二人以上は一緒に行動しているはずよ。その辺りの情報は……書いてないわね」
どういう状況で女の子達が襲われたのかまでは資料に記載されていない。やはり今手元にある情報から推測して行動するしかないだろう。
「時間は大体夜の10時以降。髪切りジャックが持っている鋏が魔具である可能性が高く、その回収が今回の任務よ」
「人の髪を無理矢理切って持ち帰るという所業はとりあえず置いておいて、どうして『ジャック』と名前が付いているんだ? 対象の名前は分かっていないはずだろう?」
「女の子達が勝手に名前を付けて呼んでいるだけよ。気絶する前に鋏に『J』の文字が彫られているのが見えたらしいわ」
「だから勝手にジャックと呼んでいるのか……」
納得しているのかは分からないがクロイドは考える素振りをしながらそう呟いた。
いつもならミレットが対象の詳しい情報を調べてくれるのだが、彼女も忙しかったらしく必要最低限以上の情報まで調べる時間がなかったようだ。
「クロイド、準備はいいかしら?」
「あぁ」
正直、慣れないスカートで行動しなければならないのは彼にとってはかなりの負担になるだろう。自分が上手く立ち回ってクロイドを守らなければ。
「私は少し離れた場所からあなたの後を付いて行くわ。もし少しでも危険だと感じたら逃げて私に任せてくれていいから」
「……そっちこそ気を付けろよ」
「もちろん」
自信ありげなアイリスの表情にクロイドは肩を小さく竦める。今回の任務対象がどのような人間なのかは分からないが、実際にやってみなければ分からないのは当たり前だ。
だからこそ冷静な思考で臨まなければならない。
「それじゃあ、行きましょうか」
アイリスは腰に下げた短剣にそっと手を当てつつ、見据えるべき対象を想像しながら深く息を吐いた。




