憤慨
クロイドとともに魔法課へと寄ってから魔具使用の申請を出して魔具調査課へ戻ると室内は重たい空気が流れていた。
魔具調査課に今いるのはユアン達とナシル達4人だ。ロサリア達は昨日から短期出張である。
「……どうしたんですか」
目に見えるほどの重い空気を疑問に思ったのかクロイドがそっと訊ねる。
「あ……。おかえりー……」
「帰って来ていたんだな……」
疲れ切った表情で何かの資料を読んでいたユアン達が顔を上げる。昼に一緒に昼食を摂った時は元気だったはずだが、数時間で一体どうしたのだろうか。
良く見ると二人の手元にある数だけの資料が全てではないようだ。二人の机の上には山のように資料と本が置かれていた。
「くー…………」
ソファの方に視線を向けると本を頭に被せて光を遮りながら寝ているミカがいた。
その隣のソファでは顰め面で腕を組んで目を閉じているナシルが座ったまま眠っている。そして二人の目の前のテーブルには大量の紙の束と本が積まれている。
「……ナシル先輩達、どうかされたんですか?」
アイリスの小声での問いかけにレイクは少しだけ表情を歪ませる。
「……まぁな。とりあえず、ブレア課長が呼んでいたから行ってこいよ」
「気を付けてね……」
ユアンの最後に付け足すような言葉にクロイドは首を傾げる。一体、どうしたというのだろうか。
アイリスは唾を飲み込んでから課長室の扉をノックする。
中から返事のような声が帰って来たので扉を開けて部屋へと入るとそこには頭を抱えて項垂れるように椅子に座っているブレアがいた。
どこか具合でも悪いのかと思いアイリスは咄嗟に声をかける。
「ぶ、ブレアさ……」
「――本っ当に魔物討伐課と魔的審査課はむかつく奴ばっかりで、腹立つっ!! こっちは数週間前から、休暇申請出しているって言っているだろうがっ」
机を思いっ切り拳で叩きつつ、ブレアは荒く息を吐く。
「ふざけるなよ……あの男どもめ……あいつらが休暇中の時に……。……あれ? アイリス達いつのまに来ていたんだ?」
自分達の存在にやっと気付いたのかブレアはすっと怒りを治めた。
「えっと、今来ました。今日の任務のことでお呼びだとか」
「あー……。そうなんだよ。……くそっ、本当なら別任務だったのに……」
相当悔しそうな表情でブレアは舌打ちをしている。
何かあったようだ。
「あの、どうかされたんですか?」
「……取り乱してすまないな。いや、実はユアン達に今夜任せた任務は元々お前達に当てたものだったんだよ。だけど、ついさっき別任務の指令が下りてきてな……。それをお前達に任せたいからユアン達にお前達の分の任務命令を渡したんだ」
「……はぁ」
それならよくありそうなことだが、一体何がブレアをそれほどまでに乱れさせたのだろうか。
「……休暇申請ってもしかして今度の課内旅行のことですか?」
クロイドが恐る恐る訊ねてくれた。
課内旅行とは魔具調査課が個別で毎年行っている重大行事らしく、セントリア学園が長期休暇に入った時期に合わせて行われており、今回参加が初めてのアイリスとクロイドは密かに楽しみにしていた。
旅行なんてもちろん行ったことないし、任務以外で遠出することはない。
毎年、行く場所は違うらしいが美味しい食事と酒が飲めて、仕事を忘れてゆっくりと休める場所で数日くらいの日程で遊び回る予定とのことだ。
「そうだよ。それなのにっ! 魔物討伐課と魔的審査課が『魔具が関わっているなら、この件は魔具調査課に任せる方が適任でしょう』なんて、抜かしやがって……! 私が会議で1分だけ席を外しているうちに色んな任務を丸投げしてきたんだぞ!? しかも、それが即決定されているし!」
ブレアが捲くし立てるように喋るのが珍しいのかそれとも驚いているのか、クロイドは目を丸くしていた。
「こっちは課内旅行のために緻密な任務遂行の予定を立てていたのに、全部白紙だぞ!? 魔具調査課の人数を考えろ! この1週間で終わらせられる任務の量じゃないんだからな! あいつらが休暇中に全部の日程が大雨になる魔法で呪ってやる ……っと、すまない。また取り乱してしまったな」
ふっと何でもなさそうな笑顔を見せるがその表情がすっかり疲れ切ったものになっているのは聞かなくても分かっている。
要するに色んな任務を他の課から丸投げされたせいで任務が詰まっているらしい。
ここ最近は任務が詰まっている感じはしなかったので予定通りに完遂出来ていたが、丸投げされたことにより、こなさなければならない任務の量が急激に増えたのだろう。
「……ということで、任務がかなり詰まっているんだ。恐らく一日にチームごとで一つ以上こなしていかないといけないほどにな」
「そんなに……」
それはかなりの量である。
だが、自分達やユアン達はあと数日もすれば学校が長期休暇に入る。そう考えれば、一日の任務の量を少し増やしてこなしていくことも可能かもしれない。……任務がすぐに完遂するならの話だが。
「それで先輩達があの表情だったんですね……」
まるで全てに絶望したようなそんな疲れ切った表情をしていた。あの後にいくつも数えきれない任務が待ち受けていると思えばそういう表情になってしまうだろう。
「運動神経がないナシル達にも吐き気がするほどの任務を任せたからな……。ちなみにユアン達は今日中に二つの任務が重なっている。ロサリア達も今日中に任務を終わらせて、明日の早朝の汽車で帰って来るらしい」
ブレアは顔を歪ませながら乾いた笑い声を上げる。
「お前達には悪いが……絶対に全部終わらせて、課内旅行行くぞ……」
地面を這うような低い声にアイリスとクロイドは自然と背筋が伸びた気がした。
任務を丸投げしてきた別の課の人間達を相当恨んでいるらしい。ここまで荒んだ表情のブレアは久しぶりである。
「そ……それで、今日の任務は……?」
この際、どんな任務が来てもすぐに終わらせなければ先がないようなそんな気がしていた。アイリスが囁くようにそっと訊ねるとブレアは深く溜息を吐く。
「……お前達には今、教団内で噂になっている『髪切りジャック』の持つ魔具を回収してもらう」
静かに吐き出された言葉にアイリスとクロイドは一瞬だけ固まり、そしてお互いに顔を見合わせた。その表情は直接訊ねなくても分かる。
つい先程、水宮堂のヴィルに言われたことが現実になるなど数分前の自分達なら思っていなかったはずだ。それどころか頭の隅にそのことを置いていたため、すっかり忘れそうになっていた。




