手袋
学校が終わった帰りの夕方。
アイリスとクロイドは出勤前に水宮堂へととある用事のために訪れていた。
「こんにちは、ヴィルさん」
扉を開くと店内には珍しいものや怪しいものが棚に隙間なく置かれており、その間の奥からヴィルが顔をひょっこりと出した。
「おや、アイリス嬢とクロイド君じゃありませんか。いつも御贔屓にして下さりありがとうございます」
「お邪魔します」
今日、この店を訪れたのはクロイドの魔具を購入するためである。
彼は魔法を使う時に腕だけが魔犬化するので、それをクロイドの事情を知らない者が見れば驚くだろうということから魔具の購入を決めたらしい。
魔具を使用すればそれに魔力を込めるだけで魔法が使えるので、腕が魔犬化することはない。
そのため数週間前にヴィルの店へと訪れた際に良さそうな魔具がないか相談していたのである。ヴィルはそれなら手のサイズを測り、自分専用の魔具を作った方がいいだろうと助言してくれたので、買う前提として特別製の手袋を注文していた。
すると今日の朝、ミレットがヴィルから先日注文したものが届いたと連絡が来たと教えてくれたので、二人揃って買いに来たのである。
「予約していた魔具ならしっかりと届いておりますよ」
細い目でにこにこと笑いながらヴィルはカウンターの下から布の包みを取り出し、その包みを丁寧に開いていく。
「サカーラ・ポート作の『黒き魔手』でございます」
仰々しくそう言いながらヴィルはアイリス達の前に一双の革手袋を見せてくれた。
「どうぞ手に取って下さって構いませんよ」
ヴィルの言葉に甘えてアイリスとクロイドは片方ずつ手袋を手に取ってみる。
「軽い……」
黒い革で繊細に作られている手袋は、見た目は重さがあるように見えていたのに実際に手に取ってみると、持っているのかさえ分からなくなるほど軽かった。
革のなめし具合も良い感じで、貴族が使うような高級手袋のような肌触りだ。
クロイドも気に入ったのか熱心な様子で手袋をはめて、その心地を確認しているようだ。
「……ヴィルさん、これってもしかして凄く良いものじゃ……」
アイリスがそっと訊ねるとヴィルはその通りだと言わんばかりににやりと笑った。
「この手袋は魔具としての価値が凄く高くてねぇ。何せ、職人がこだわって選んだ材料を使い、丁寧に作り上げたものだ。軽くて丈夫でさらに魔防付き! 教団内で手袋を魔具として使っている人のほとんどはこのサカーラって職人のものだよ」
つまり、有名で腕が確かな職人が作ったものの一つらしい。
「クロイド、着け心地とかどうかしら……」
「おいくらですか、ヴィルさん」
アイリスが訊ねる前に彼は財布を取り出しているところだった。よほど気に入ったのだろう。
「毎度ありがとうございます~。特注だからねぇ。3万ディール……だけど、おまけして2万5千ディールかな」
「え、いいんですか……?」
お金を取り出そうとしていたクロイドがぴたりと止まる。
「うん。二人は御贔屓さんだしねぇ。……あとミレットちゃんから聞いたけど、二人は付き合い始めたんだって?」
微笑ましいものを見るような表情でヴィルはにこにこと笑っているがアイリスの内心は気恥ずかしさでいっぱいだった。
……あとで、ミレットに釘を刺しておかなきゃ。
別に自分達が付き合っていることを恥ずかしいと思っているわけではないが、知り合いに直接そう訊ねられることに慣れていないのだ。
「お祝いの意味も込めて、少しだけどお安くしとくよ」
「……ありがとうございます」
クロイドは特に表情を変えることなく、お礼を言って代金を支払っている。自分はよく表情に出やすいのでクロイドの動じない姿には見習うべきだろう。
「でも、いいねぇ。恋人同士か……。いつになったらミレットちゃんは俺に振り向いてくれるのやら。……はい、お代は全部ぴったりだね。ありがとう」
物欲しそうな溜息を吐きつつ、カウンターの上に置かれたお金を数えていくヴィルは器用だなとアイリスは苦笑しながら眺めていた。
「何かミレットちゃんの気をこちらへ向けさせる方法とかないかなぁ。あ、もちろん魔法は使わないよ。こういうのは気持ちが大事だからね!」
ヴィルのミレットへの想いは一途と言えば聞こえは良いが当事者であるミレットはいつもヴィルに絡まれると辟易とした表情になっている。
彼女曰く、話すだけで疲れるのだという。
「……俺も恋愛経験はなかった方なので、あまり上手い事は言えませんが……。一歩、引いてみるのはどうでしょうか」
ヴィルから手袋を受け取りつつ、クロイドが真面目な表情で提案する。
「見た所、ヴィルさんは凄く押しが強いようなので……。一歩引いてみると、それを普段とは違うと不思議に思ったミレットの心境にも変化があるかもしれません」
「おぉ! なるほどねぇ。……確かにいつも気持ちが重いって言われていたからなぁ」
気持ちが重いと直接言われているにも関わらず、それでもめげないヴィルの気持ちと鋼の精神には脱帽である。
「今度、やってみるよ。ありがとう、クロイド君」
満足そうにヴィルは頷いているがここで聞いたことをミレットに先に伝えておくべきか、それとも伝えない方がいいのかどちらだろうとアイリスは判断しかねていた。
……まぁ、これは本人達に任せるしかないわよね。
「……ヴィルさんって、いつからミレットのことが好きなんですか」
「あ、それは……」
クロイドは素朴な疑問を投げかけただけだと思うが、それは禁句の話題だと教えるのをすっかり忘れていた。アイリスが止めようとする前にヴィルの表情が輝かしいものへと変わった。
「聞きたいかい!? いやぁ、思い出せば初々しくて懐かしいあの頃……」
ちなみに、アイリスはこの話題を数回程聞いている。
「ヴィルさんっ!」
何とかヴィルの初恋話を遮ることに成功したアイリスは次に出す言葉を頭の中で必死に考える。
「えっと……。今度の休み、ミレットと出掛けるんですけどその時に水宮堂にも寄りますので……」
心の中でミレットに謝りながらアイリスは言葉を紡ぐ。途端にヴィルの表情が明るいものへと変わった。
「本当かいっ? いやぁ、楽しみだなぁ。それなら新しいものでも入荷しておこうかなぁ~。この前見つけた魔具、ミレットちゃんの好みそうだったし」
ご機嫌に何かの目録を捲りつつ、ヴィルは細い目を更に細めた。
何とかヴィルの初恋話を回避することが出来たアイリスはほっと胸を撫でおろした。
「それじゃあ、任務があるので俺達はこれで……」
「また来ますね」
「うん。……あ、そうだ。お二人さん、知っているかい?」
アイリス達が背を向けようとしたところ、ヴィルの声によって二人は留まった。
「いま、教団内で広まっている話なんだけれどね」
水宮堂は教団の人間御用達の店であるため、教団内で交わされた話が集まりやすいとミレットが言っていた。彼女程までではないが、ヴィルもそれなりの情報通である。
「何ですか?」
あまり噂話に興味がないアイリスは率先して誰かに話を聞くことがないため、魔具調査課の部屋でユアン達やミレットが話したことを専ら聞くだけである。
そのため、誰かに聞く話の内容はほとんど知らないことが多かった。
「――髪切りジャックって、知っているかい?」
「え?」
隣のクロイドがすっと眉を寄せたのが見えた。アイリスもそのような噂を耳に入れたことがないため、首を傾げる。
「夜な夜な現れるんだってさ。色のくすんだ尖った鋏を持って夜道を徘徊しては、狙った人間の髪をばっさりと切っていくらしい。そして切られた髪は持ち去られるんだってさ」
「……どういうことですか、それ」
「何で髪の毛……」
よく分からないが見知らぬ奴に突然髪を切られた上に自分の髪を持って帰られるという行為は深く考えなくても不気味である。
「さぁ、その理由は知らないよ。ただ、狙われたのは教団に属している女の子達ばかりで……しかも黒髪ばかりを狙ってくるらしい」
「…………」
夜に仕事が主としている課は多い。魔物討伐課だと夜の見回りはよく行っていたし、魔的審査課だと夜に違法に魔法を使う人間を検挙しにも行っていた。
狙われた女の子達の多くはおそらくこの二つの課が多いのだろう。
「今のところ、教団以外の人間に被害は出ていないから世間の耳には入っていないけれど……。絶対に一般人を狙わないって確証はないからね。どの課がそいつを捕まえるか悩んでいるらしいよ」
「そいつ、人間なんですか?」
「髪を無理矢理切られた女の子達が言うには人間の男性らしいよ。魔力もあったらしい。ただ……髪を切られる前後の記憶がなく、いつの間にか気絶しているんだって」
「……それなら魔的審査課が一番適任みたいですけどね」
「うーん。そうなんだけれどね~。でも、もしかすると魔具調査課の方にこの案件が回される可能性もあるし……」
アイリスが思いっきり嫌そうな顔をするとヴィルは同情するように苦笑した。
「まぁ、どの課が担当するかは分からないけれど、とりあえず夜道は気を付けてね」
「……気を付けます」
深く頷きつつ、アイリスとクロイドは水宮堂をあとにした。
「……髪切りジャックか」
クロイドは購入した「黒き魔手」を鞄の中へと入れながら先程の話題をぼそりと呟く。
「また面倒そうな奴が現れたわね……」
「でも黒髪ばかり狙うのは何故なんだろうな」
「……そういう趣味なんじゃない? ほら、世の中には色んな趣味を持った人がいるし。でも、人様に迷惑をかけるようなものは趣味とは言わないわね。ただの嫌がらせだわ」
「そうだな。とにかく夜に任務がある際は気を付けるか」
「えぇ」
今日の夜は任務が控えている。頭の隅にこの件のことを置いて置くだけでいいだろう。
この時まではそう思っていた。




