アップルパイ
セリフィアと出掛けると約束した休みの日になった。
最初は心配したクロイドも付いて行くと言って聞かなかったが、絶対に大丈夫だから付いてこないようにと必死に説得したところ、クロイドの方が先に折れてくれたため、渋々セリフィアとの二人きりになることを了承してくれた。
「どこかで見張ったりしていないわよね……?」
アイリスは待ち合わせの公園の噴水の前に立ち、周りをぐるりと見渡す。見た所、クロイドらしき人物はいないようだ。
セリフィアの背後にいるローレンス家と組織の魔法使いを警戒しているのは分かるが、恐らく必要以上に自分とセリフィアを関わらせたくないのだろう。
……心配してくれるのは嬉しいんだけれどね。
ふっと、笑みをもらすように笑った時だった。
「――アイリス!」
こちらに向けて笑顔でかけてくるセリフィアの声にアイリスは視線を移した。
「ごめん、待たせちゃった?」
息を整えるように何度も吐きつつ、彼女はロディアート時計台で時間を確認する。
「まだ早いくらいよ。そんなに慌てなくても良かったのに」
「だって、アイリスとお出かけ出来るんだよ!? 僕、向こうで出掛ける時はいつも馬車か自動車だったから、歩いて街中を巡るなんて、初めてだもん! 凄く楽しみにしていたんだから!」
急かす気持ちに押されて、走ってきてしまったらしい。アイリスはそんなセリフィアが微笑ましく思い、小さく笑った。
「もう息は整った?」
「大丈夫!」
セリフィアは胸を張って自慢げに答える。
「それじゃあ、行きましょうか」
傍から見れば、並んで歩く自分達は姉妹か親戚のように見られるだろう。自分でもそう思えるほどにセリフィアと似ているのだ。
ふっと、隣を歩くセリフィアに視線を向ける。いつものゆったりとした三つ編みを肩から前へと流すように結んでいる。そして、ご機嫌な表情と丸っぽい瞳はきらきらと光っているようにも見えた。
よほど、楽しみにしていたらしい。それならば、こちらも全力で楽しませてあげなければとアイリスは小さく気合を入れ直すことにした。
最初に連れて来た店は以前、クロイドと訪れたパイ専門店である。
パイの種類が豊富なのでここならセリフィアも好きなものを選ぶことが出来るだろうと思っていたが、案の定食べることが好きな彼女は3つの種類のパイを購入していた。
「……そんなに入るの?」
パイ専門店の屋上にある外の景色が眺められる一番いい席に座りつつ、アイリスはセリフィアに訊ねる。
「これでも抑えた方だよ? 本当は全種類食べたかったんだけどねぇ」
セリフィアのことなので、本気を出せば全種類食べきれてしまいそうだ。
「ここの店はアップルパイが一番人気なのよ」
「そうなんだ。よし、いただきまーす」
フォークでアップルパイに切れ目を入れて、一口分の大きさへと切ってからセリフィアはアップルパイを頬張る様に口へと含んだ。
瞬間、セリフィアの表情がさらに明るいものへと変化する。
自分の頬を手で添えつつ、彼女は全てを飲み込んだあとに深い溜息を吐いた。
「……美味しい。凄い、美味しいよ!」
「でしょう?」
「どうしてこんなに美味しいの……」
そう言いつつ、セリフィアはアップルパイを食べる手を止めることなく、あっという間に一切れ分を食べてしまった。
「ん~。これが幸福という時間なのかもしれない……。美味しい。さっくりとしているのに甘すぎない林檎と相性が抜群……。ブリティオンに持って帰りたいよ……」
「ふふっ……。それほど気に入ってもらえたなら、連れてきた甲斐があったわ」
「しかも、紅茶にも合うし……。もう、最高だね」
至極真面目な顔でセリフィアは何度も頷いていた。
「イグノラントは気に入った?」
「うん。思っていたより、凄く良い国だよ。……やっぱり知識だけを深めても意味がないね。自分の目でしっかりと見ないと」
セリフィアは紅茶を一口飲んでから、にこりと笑う。
「しっかり見ないと、こんなにも美味しいもの達には出会えなかったからね」
「……本来の目的、忘れて楽しんでいるように見えるけど、お兄さんには怒られないの?」
「嫁候補のこと? それは一応大丈夫。僕だって遊んでいただけじゃないよ」
セリフィアは頬を膨らませながら抗議するように言った。
「薄いけどローレンス家の血を持った人間は結構な人数を見つけているし。あとは兄様の判断次第かな。それによって、正式に相手方に話が通ると思うよ」
「そうなの。……ねぇ、その候補に私はまだ入っているの?」
聞きたかったが、聞けなかった質問をそっと訊ねるとセリフィアは少しだけ難しい顔をした。
「……僕としてはブリティオンのローレンス家とアイリスをあまり関わらせたくはないなぁって思っているよ」
「…………」
「ローレンス家の血が一番濃いのは君だし、歳の頃合いだって合うし。ただ……魔力無しだからね」
最初に会った時とは違い、セリフィアはどこか申し訳なさそうな顔をしていた。
「僕の兄様は魔力のない人間を卑下しているから……多分、君は候補には入らないと思うよ。もし、入る可能性があるなら、アイリスはお薦め出来ないって兄様に嘘を吐くつもりさ」
「……本当はお薦めしたいの?」
「……僕の家族になってくれるなら、それは凄く嬉しいよ。近くに君が居るなら、楽しいだろうし。でも……アイリスはクロイドと一緒にいる時が一番幸せそうだからね。僕は君が幸せな方が、ずっと嬉しいんだ」
どこか寂しそうな表情でセリフィアは無理矢理に笑顔を作っているように見えた。
「僕ね、もうすぐ帰るんだ」
レモンパイに切り込みを入れつつ、セリフィアはぽつりと呟く。
「嫁候補についての調べは終わったからね。多分、来週には帰るよ」
「……そう」
それはそれで、少し寂しい気もする。
最初にセリフィアに会った時は嵐のような子だと思ったが、彼女のことやブリティオンのローレンス家のことを知っていく程、セリフィアがどういう人間なのか分かってきた気がした。
セリフィアはとても純粋で無垢だ。何も知らない子どもが大人の言ったことをそのまま聞き入れて従っているような、そんな子なのだ。
そして、新しいものや珍しいものがあれば強い興味を持つし、美味しいものを食べたら嬉しそうに美味しいと言える素直な性格をしている。
しかし、ブリティオンに戻れば、素直の性格のままではいられないのだ。そのことが少しだけ不憫に思えた。
「そ、それでね、アイリス……」
「ん? 何かしら」
セリフィアは気まずそうな表情をしつつ、視線を彷徨わせている。
「その、僕と……」
だがその先の言葉が上手く言えないのかセリフィアは口籠ったまま、何も喋らなくなってしまった。何か、自分に言いたいことでもあったのかもしれない。
「……焦らなくても、あなたが話したい時に話すといいわ。私は待っているから」
気を利かせたアイリスの言葉にセリフィアはぱっと顔を上げて、失敗をしてしまった子どものように小さくはにかんだ。
「……うん。ありがとう」
セリフィアは一口分に切ったレモンパイを口へと放るように食べる。
「んっ! これも美味しい!」
「ちなみにこの後は買い物して、その次はミルクレープの美味しい店に行くわよ」
「ミルクレープ!? 僕、食べたことないから、凄く楽しみっ!」
パイを三切れも食べているにもかかわらず、セリフィアの表情はまだ余裕そうである。
「あー……。ブリティオンでも同じものが食べられたらいいのになぁ。今度、美味しいパイを作ることが出来る人でも雇おうかなぁ」
さらりとお嬢様発言をするセリフィアにアイリスは声を立てて笑った。
「お土産に持って帰るといいわ。確かこのお店、お土産用の包装もしてくれたはずだから」
「うん。絶対にそうする。……兄様も美味しいって喜んでくれるといいなー」
セリフィアが遥か遠くを見つめるように景色へと視線を移す。どんな時でも彼女にとっては兄が一番なのだ。
彼女達の事情を知らなければ、ただ兄想いの妹に見えるだろう。自分はそういう風に見ることが出来ないだけだ。
「アイリス、この後の買い物ってどこへ行くんだい?」
「え? ……雑貨でも見に行こうと思って。女性に人気のお店があるのよ」
「本当!? そういう店、行ったことないんだよねぇ。せっかくだし、色々買っちゃおうかなぁ。うーん、お土産って郵送出来るかな?」
「どれほど買うつもりなのよ……」
セリフィアの真面目な質問にアイリスは苦笑しながら返事をした。




