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泥棒

 

 翌日、子ども達に勉強を教える時間を終えたアイリスとクロイドはシスター・マルーに呼び止められていた。


「最近やたらと物が無くなるのよねぇ」


 少し困ったような表情でマルーは右手を右頬に添えながら深い溜息を吐く。何か問題でも起きたのだろうか。


「どうかしたのですか?」


「昨日、夕食を作った時に余ったお肉があったでしょう?」


「あ、そうですね。確か紙に包んで置いておりましたが……」


 確かに昨日、料理をした際に肉があと一食分くらいの量が残っていたので、紙に包んで保存しておいたはずだ。


「あのお肉ねぇ……。今日の朝食に使おうとしていたのにいつの間にか無くなっていたのよねぇ」


 マルーの言葉にアイリスは小さく首を傾げる。昨日まではあったはずの生肉が突然消えるなんて、おかしな話だ。

 誰かが勝手に食べたのだろうかと思ったが、もしそうならば、肉を焼いている途中で匂いに気付くはずだ。


 そう思い、クロイドの方をちらりと見ると彼は小さく首を振っていた。どうやら、彼の鼻は肉の匂いを捉えてはいないらしい。


「あとランプも。蝋燭とマッチもいつの間にか無くなっていたし……。多く使ったり、壊した覚えはないのに、最近、物の消費が激しいのよねぇ」


 マルーは困ったと言わんばかりに首を傾げている。確かに少ない寄付でやり繰りしている孤児院ならば、たくさんの備品を揃えるだけでも大変だろう。


「ねぇ、良ければお使いに行って来てくれないかしら? 備品の買い出しと食材を買ってきて欲しいの」


 マルーはシスター服のポケットから二つの物を取り出して、アイリスにお手製の財布と買うものが書かれた紙切れをすっと渡して来た。

 どうやら、今日の昼食と夕食で使われる食材も紙切れには書かれているようだ。


「分かりました。それじゃあ、行ってきますね」


「ええ、気を付けて行って来てね」


 アイリスも物が無くなるという事情に少し不審感を抱いたが、この時はあまり気にしなかった。


・・・・・・・・・・


 アイリス達が買い出しに行こうとしていると、子ども達が自分も付いていくと名乗りを上げ始め、結局子ども達数人と付き添いのシスター一人を連れて、お使いも兼ねた散歩へ出掛けることとなってしまった。


「ほら、横に広がっちゃ駄目よ。あ、こらジェイドス! お店の物を勝手に触わらないの!」


 皆で散歩することが余程嬉しいのか子ども達は孤児院を出発してから楽しそうに歩いていた。クロイドも子ども達が道路に出ないようにとちゃんと注意してくれているようだ。

 すると、付き添ってくれていた中年のシスター・リタがアイリスの隣でふっと息を漏らすように笑っていた。


「あなた達二人が来てから、子ども達に笑顔が増えたのよ。いつも楽しそうで……本当、ありがとうね」


「い、いえっ……」


「やっぱり歳が近い人が居るのが嬉しいんでしょうねぇ」


 小さい笑みを見せるリタはまるで子ども達の母親のようにも見えた。


「あなた達も一時的な研修じゃなくって、ずっとここに居れば良いのに」


「……」


「あらやだ、ごめんなさいね。私達も嬉しいのよ。まるで自分の娘が増えたみたいで……」



 ――その時だ。

 前方から穏やかな空気を切り裂く悲鳴が聞こえたのだ。


「っ!」


 アイリスとクロイドはすぐに悲鳴が聞こえた方向へと顔を向けた。

 風に流れるようにどこからか「強盗だ」だと叫ぶ声が耳に入って来る。


 すると前方の細い路地から男二人が転がるように出てきたのだ。彼らの背中には大きな袋が抱えられており、二人が持つ袋の中身は恐らく一仕事してきた物が沢山入っているのだと予想出来た。


 しかし、アイリスはそれよりも男の一人が右手に持っていた物が気になっていた。

 クロイドの方に軽く目をやると彼も男が持っている物に気付いたのか小さく頷き返してくる。


 アイリスは前方に居る子ども達に駆け寄り、庇うように前へと出た。


「皆、後ろに下がって!」


 アイリスの鋭い声に子ども達は驚き、慌てながらもすぐさま後方のリタの元へと駆け寄っていく。

 だが、子ども達の中で一番背が低いミラがその場でこけてしまい、それを目敏く見つけた男の一人がミラの腕を掴んだ。


「ひゃぁっ」


 突然、腕を掴まれて無理矢理に立たされたミラは短い悲鳴を上げて、涙を浮かべ始める。

 その状況がすぐに理解出来たアイリスは、子ども達全員を完全に守り切れなかったことに対する悔しさを瞳に込めて男達を鋭い視線で睨んでいた。


「おら、退けよっ! こいつがどうなってもいいのかぁ⁉」


 周りに居た通行人達は脅え、すぐに道の端や建物の中へと逃げ込む中、アイリスだけが道の真ん中で男二人を足止めするように立ち塞がる。


 アイリスの存在に気付いた男は汚い笑みを浮かべつつ、右手に持っている白銀に光るナイフを自慢するようにちらつかせてきた。

 男の持つナイフの柄頭に刻まれている彫刻と同じものを以前見た事があるアイリスは、それが魔具であると確信していた。


「そこを退きな、嬢ちゃん。怪我するぜ」


「……白昼堂々ご苦労な事ね。……低俗だわ」


「んだとっ⁉」


 アイリスは無表情のまま、臆することなく男二人に向かって真っすぐと歩く。

 その行動に一番驚いていたのは対峙する本人達だった。


「ま、待てっ……! このナイフはなぁ! ただのナイフじゃあ、ないんだぜ⁉」


「ああ、そう。だから、何?」


 どうやら、この男達は持っているナイフが魔具だと知っている上で使っているようだ。しかし、彼らは明らかに魔具使用の許可を得ている一般人には見えないし、それどころか教団の人間でもないだろう。


 ……つまり、彼らには強制的な「奇跡狩り」が通用するってことね。


 魔具を違法に使用している現行犯として捕らえれば、後の処理は魔的審査課に任せるだけだ。


「だから……。……っ! ……こ、こいつがどうなっても良いのか⁉」


 ナイフの尖端をミラの首元へと近づける。

 男の咄嗟の行動に、荒事に慣れているアイリスもさすがに足を止めた。


 目の前のミラは瞳いっぱいに涙を溜めて、叫ぶことも出来ないまま震えている。


 ……あんな小さな子に、よくも……。


 子どもに対して非情な態度を取る男二人を憎いものとして、冷たい視線を送りつつも、アイリスの心の中は沸騰する熱湯のように滾っていた。


 ……今、ここで考え無しに動けば、ミラを傷付けてしまうわ。冷静でいないと。


 アイリスは一つ呼吸してから、相手を油断させるために出来るだけ表情を頼りないものへと変えた。


「……私が身代わりになるわ。だから、その子を離して」


「へぇ……。嬢ちゃんが人質になるって?」


「そいつは良いや。中々の上玉だしなぁ」


 下品と呼ぶべきいやらしい瞳で、アイリスを上から下へと男達は見下ろしてくる。品定めされるような視線に、アイリスはただ黙って耐えていた。



 ゆっくりと近づいて来る男の手。それさえも耐えて、隙が生まれる瞬間をひたすら窺った。

 だが、それは突然やって来る。


 瞬間、アイリス達の頭上から何かが降って来たのだ。


 がしゃんっと男達の真横に落ちて来たのは植木鉢で、それに驚いた男がミラを掴む腕を一瞬だけ緩めたのをアイリスは決して見逃さなかった。

 普段の服装とは違いシスター服は少し動きにくいが、それでもアイリスは右足を盛大に上げて、ミラを掴んでいた男の顔面へと回し蹴りをする。


「んがぁっ⁉」


 アイリスの蹴りは見事、男の顔面に直撃し、鈍い音と共に男の短い悲鳴がその場に響き渡る。蹴りの衝撃によって、男の手から離れたナイフは空中でくるくると数回、回転してからクロイドの手によって受け止められた。


「この……っ!」


 もう一人の男が右腕を上げて襲いかかろうとするが、アイリスはそれさえも舞うように華麗に避ける。

 そして、そのまま男の背後へと素早く回り込み、右手で作った手刀を男の首を切るように勢いよくうなじを叩いた。


「ぐっ……」


 アイリスによってうなじを強く叩かれた男は、呻き声を上げたあとは気を失ったのか、膝を少し曲げていく。そして、身体を支える軸がなくなったように、道路の上へと倒れ込んだ。


「……ふぅ」


 どうやら、これでおしまいのようだとアイリスが短く安堵の息を吐くと、それまで静かだった空気が一斉に騒がしいものへと変わった。


「アイリス姉ちゃん、すげぇっ!」


「今のどうやって倒したの⁉」


 後方まで逃げていた子ども達が興味津々と言った顔でアイリスの元へと一斉に集まってきたのだ。

 それだけではなく、周囲で様子を窺っていた通行人達もアイリスの行いを称えるように拍手を送ってきている。


 目立つつもりはなかったのだが、やはり強盗犯を叩きのめしたとなると、嫌でも目立ってしまうのだろう。

 アイリスは少し気まずげに、肩を竦めていた。


「ああ、もう驚いたわ……。アイリス……あなた、武術を習っていたのねぇ」


 リタが胸に手を当てながら安堵したように呟く。しかし、その瞳には薄っすらと涙が浮かんでおり、彼女がこちらを心配していたことが窺えた。


「えーっと……その、護身用にですけど……。あ、ミラ、大丈夫だった? 怖かったねぇ。でも、もう大丈夫だからね」


 アイリスは道の上に座り込んで泣きじゃくるミラを軽々と抱えてあやし始める。その間にも、子ども達がアイリスを取り囲んではどうやって男達を倒したのか、自分にも武術を教えて欲しいとせがんで来ていた。


「……君は無茶し過ぎだ」


 クロイドも顔を引き攣らせながら、子ども達に聞こえない声量で話しかけてくる。

 アイリスが首を傾げるとクロイドは軽く頷いた。どうやら先程のナイフは無事に回収出来たようだ。


 ふとアイリスの元に集まってきていた輪の外で、ローラが一人ぽつんと立っているのが目に入って来る。彼女はこちらに表情のない視線を向けていたが、何かを両手で隠すように握っていた。


 だが、アイリスが自分の方を見ていると気付いたローラは、その小さな手に持っている何かをスカートのポケットへと入れ込むと、すぐに視線を逸らした。

 一瞬だけ視界に映ったそれは、紅い何かだったとしか分からなかった。



 その後、男達は無事に警官に連れて行かれたらしいが、彼らがその次に連れて行かれる場所は魔的審査課の裁判所だろう。

 恐らく、後で教団の方からロディアート警視庁の上層部に、密かに男達の身柄を引き渡すよう、秘密の令状が届けられるに違いない。

 

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