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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
花の意志編
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失敗作


「僕は自分自身が怖いんだ」


 土が服に付くのも構わずにセリフィアは座り込んだままぽつりとつぶやいた。


「僕の魔力が高いことは理解しているし、それを使いこなせている自負だって持っている。だけど……」


 セリフィアは右手で自分の顔を覆った。


「この力は決して誰かを気遣って使うことはないんだ」


「…………」


「僕が力を振るうのは全部『兄様』のためだ。この身もこの心も力も全てあの人のためにあるって思っている。だから、兄様が人を殺せと言ったら殺すし、アイリスを攫えと言われれば迷いなくその命令に従えるんだ」


 一つ一つの言葉を聞いてもそこに彼女の意志を大きく感じられるものはなかった。


「だって、僕の全ては兄様のためにある。だから、どんなことだってやれる。僕には兄様しかいないからね」


「……あなたのお兄さんは拒絶出来ないほど恐ろしい人なの?」


「恐ろしいよ。僕より力は強い。多分、君達が所属している教団の誰よりも強いよ。……もちろん、僕は兄様のことを凄く尊敬しているから、拒絶したいわけじゃないんだ」


 それでも、とセリフィアは言葉を続けた。


「でも……でもね、本当にたまにだけれど……。ふっと気付いた時に僕の身体が血だらけになっている時があるんだ」


 セリフィアは自分の身体を抱きしめるように腕に力を入れた。アイリスとクロイドは顔を見合わせて息を小さく飲み込んだ。


「僕の血じゃない。誰かの血が僕の身体にべっとりと付いているんだ。……全部が終わってから気付くんだよ。僕は僕の意志に関係なく、誰かを殺したんだって」


 セリフィアの言葉に誰がそうさせているのかは聞かなくても分かっていた。


「そして後から、兄様の敵だった人間が一人減ったことを知るんだ。……僕達『ローレンス家』はそうやって成り立っているんだよ」


 遠くで鳥が夕暮れを告げる声を上げた気がした。寒いわけではないのに背筋に冷たいものが流れていく。


「血を迎え入れて濃くしているのも自分達の都合のためだ。他の人間の意志なんて関係ない。そこにあるのは……兄様の意志だけだもの」


「…………」


 アイリスはセリフィアの隣へと片足を土の上に付けながら腰を下ろした。彼女の背中にそっと手を当てるとセリフィアの身体は一瞬だけ震えた。


「だから……君達が羨ましかったんだ。同じローレンス家なのに違うことが羨ましかった。どうすればそんな風になれるのか知りたかったんだ」


 セリフィアは大きく息を吐いた。


「二人が自分達の意志で選んで恋人同士だっていうことも羨ましかった。だって、僕は愛を知らないもの。兄様は僕に命令を与えても愛をくれることはない。他の人間達だってそうだ。……それでも、血は繋がなければならない。兄様がそれを望むから――」


 彼女の言う『兄様』に洗脳されているのか、それとも心の底から敬愛しているのかは分からない。ただ、混乱しているようにも見えるセリフィアの言葉と姿はどこか狂気が隠れているようにも見えた。


「……僕に意思はない。ただの人形と同じだ。僕だって兄様が好きだから、あの人の望みは何でも叶えたいって思う。でも……僕は……」


 ぽろりとセリフィアの瞳から涙が零れた。

 その涙は他の誰かが流すものと同じ色をしていた。


「僕は自分の知らないところで人を殺してしまうことが何よりも恐ろしいんだ。自分が少しでも好きだと思った誰かが次の瞬間には自分の手で死んでいるかもしれない。それが恐ろしくて堪らない」


 静かな呟きは夕暮れ色に染まった空に向けて溶けていった。


「もしかすると兄様の意に反すれば君達だって消されてしまうかもしれない。僕はそんなの嫌だ。だって、僕は君達のことが嫌いじゃないもの。本当はローレンス家とか魔法使いとか血とかそんなこと関係なく……僕は……僕のこと好きでいてくれる人が欲しいだけなのに。僕は普通でありたいだけなのに……」


 乾いた風が吹き抜けた気がした。セリフィアの懇願のような呟きが、その風にさらわれていく。

 何か言わなければならないのに言葉が喉から出なかった。


 もう一つのローレンス家は自分の知らないローレンス家だった。セリフィアが尊敬し、慕っている「兄様」はローレンス家の当主だ。その当主が妹に自分の都合のために手を汚させているのだ。


 それはどのような魔法を使ってやらせているのかは分からない。ただ、彼女の意志に関係なくそれが行われているかと思うと会ったこともない「エレディテル・ローレンス」に吐き気がした。


「ねぇ……アイリス、クロイド。人を気遣うってどういうこと? 愛って何だい? それは必要なものなの? 兄様の命令を聞くだけの僕は間違っているの? 僕は普通の女の子には見えない? 恐ろしいって思う? 僕と同じじゃなくて良かったって思う?」


 捲くし立てるように述べられる言葉は彼女の存在の意味を問うているように聞こえた。セリフィアは感情がコントロール出来ていないのか、涙を零しながら笑っていた。


「っ……」


 何も、何も言えなかった。

 それでもアイリスは手を広げてセリフィアの頭を包み込むように抱きしめる。


 クロイドは顔を背けて、眉を深く寄せながら痛々しいものを見てしまったかのように目を瞑っていた。


 自分はセリフィアと、セリフィアを手駒のように扱っているエレディテル・ローレンスを否定する言葉も権利も持ち合わせていない。

 それはきっと自分の都合で人を消してしまう人間の心理を理解出来ていないから、否定する言葉が見つからなかっただけかもしれない。


 ただ、セリフィアを可哀想だと思ってしまったのが悔しいと感じた。そのくらいの感情しか、彼女に対して湧き出なかったからだ。




「はは……。……ごめんね。見苦しいところを見せちゃったね。……これだから兄様に失敗作だなんて言われちゃうんだ」


 セリフィアは顔を上げて、手の甲で強く涙を拭った。赤くなった目元にはまだ涙が残っていた。


「……失敗作?」


「うん。兄様がね、僕を見て残念そうに溜息を吐いて言っていたんだ。……僕は失敗作だって」


 アイリスは喉の奥に出てきそうになったセリフィアの兄に対する言葉を飲み込んだ。


「僕は兄様の言う通りに生きて来たけど、それでも……失敗しちゃったらしいんだ。でも、僕には何か失敗したことの身に覚えがなくって……」


 思わずセリフィアの腕を強く握ってしまった。セリフィアに向けている表情がどんなものへと変わっているのか分からない。セリフィアはそんなアイリスを見て、小さくはにかんだ。


「だから、僕は兄様にとって役に立つんだってことを示し続けなければならない。そうでないと自分はいらないものになってしまうからね」


「……それじゃあ、イグノラントに突然来た理由もそれが関係しているのか」


 クロイドの穏やかな問いかけにセリフィアは頷く。


「そうだよ。……兄様は血の再結集を求めている。だから、僕がその手助けをしたかったんだ。兄様は忙しい身でブリティオンを離れられないからね。僕がイグノラントでローレンス家の血が濃い人間を探して……そして兄様に褒められたかったのかもしれない。認められたかったんだ。……まぁ、結局は君達に自分の都合を押し付けて君達を傷付けちゃったんだけれどね」


 セリフィアはどこか申し訳なさそうに頬を掻きながら呟いた。


「…………」


 彼女に対してかける言葉は何も見つからない。そこには慰めも同情も存在出来ないのだ。セリフィアはそのようなものを望んでいるわけではないと分かっている。

 ただ、自分が勝手に悲しく思ってしまうだけなのだ。


「……やっぱり僕は自分の都合しか考えることが出来ないずるい奴なんだよ。清らかに生きている君達の友人になるなんて遠い話さ」



 純粋と呼ぶには淡く、彼女の想いは脆いものに感じた。


    




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