当たり前
アイリスがティリーを保健室まで運んで、手当をしたあとに運動場へと戻ると鬼ごっこはお開きになっており、孤児院の皆は帰る準備を済ませてティリーを待ってくれていた。
「ティリー、無理に走ったり暴れたりしたら傷が開くから、今日は大人しくしているのよ?」
「うんっ。ありがとう、アイリスお姉ちゃん!」
子ども達が自分達に手を振りながら校門を外へと出て行ったのを確認してから、アイリスも長椅子に置いていた自分の鞄の持ち手を掴んだ。
「それじゃあ、俺達もそろそろ帰るか」
「そうね」
自分達も帰ろうと歩みを進めていた時だ。
「……やっぱり、アイリスは僕と違うんだね」
ぽつりと後ろで呟く声が聞こえて、アイリスとクロイドは同時に振り返る。そこには何故か悲しそうな顔で笑っているセリフィアがいた。
「セリフィア?」
「……ねぇ、アイリス。さっき、ティリーが怪我をした時に僕が魔法を使うことを止めたでしょう?」
「えぇ」
「それはどうしてだい?」
「どうしてって……」
アイリスはクロイドの顔を何となくちらりと見た。クロイドもセリフィアの言葉に首を傾げているようだ。
「それは……魔法を知らない人が目の前で魔法を使われたら驚いてしまうでしょう? それに教団の規則でも一部を除いて、一般人に魔法を使ってはいけないと決まっているし」
「それじゃあ、ティリーが大怪我をしていたら? 彼だけじゃなく、皆が一斉に怪我をしていたら、君は魔法を使うことを許してくれた?」
「それはっ……」
セリフィアの問いかけにアイリスはすぐに答えることは出来なかった。
もし自分の目の前で命の危機が迫っている人がいるなら、きっと全力を尽くしてでも助けたいと思う。だが、魔法を使わなければ死んでしまうといった状況だったら、自分は一体どうするだろうか。
「ほら、答えられないよね? ……僕はすぐに魔法で怪我を治す。治すことが出来る。きっと……それを躊躇することはないんだ」
セリフィアは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「どんな状況だって僕はすぐに魔法を使うことを判断する。だって、それが僕にとっての当たり前だからね」
でも、とセリフィアは言葉を続けた。
「当り前を当たり前だと思ったまま過ごすことが、僕は急に恐ろしく思えたんだ」
自分の腕を包み込むようにセリフィアは身体を縮めた。
「きっとアイリスは魔法が使えても使えなくても、どっちにしても変わらないだろうね。目の前に傷付いている人がいれば助けるんだと思う。だけど僕は……」
セリフィアは夕焼け色に染まり始めた空を見上げる。鳥一羽さえ飛んでいない、雲だけが漂う空がそこにはあった。
「僕は躊躇することなく魔法を使う。そして多分、恐ろしいものを見るような瞳で見られるんだろう。……自分に向けられる感情が嫌だと感じれば、魔法を使ったことに関する記憶だけ消す。そして、何もなかったように過ごすんだ。……それが僕にとっての当たり前だから」
「…………」
何と答えればいいのか分からなかった。彼女が今までどのように魔法を使って過ごしていたのかは、今綴られた言葉だけで想像出来てしまい、格差のようなものを感じてしまったからかもしれない。
「僕にとっての当たり前は、僕にとって都合の良い世界だってことだ。それに気付いたんだ。魔法を誰かに使っても、それが誰かのためを思って使ったこととは限らない。……そう気付いたんだ」
「――でも、あなたはティリーを心配したから魔法を使おうとしたのでしょう?」
アイリスは一歩、セリフィアへと近付く。
「あなたの都合で魔法を使おうとしたのではなく、泣いているティリーを心配したから、魔法を使って治してあげようとした。……そうでしょう?」
「…………」
「それは都合云々ではなくて、セリフィアの気遣いによるものよ。だから――そんなに怯えた表情をしなくてもいいと思うわ」
アイリスがそう告げた瞬間、セリフィアの表情が悲壮なものへと変わった。彼女は魔法を使うことに対して、何かを恐れているように見えた。
それが彼女にとっての当たり前だと思いつつも恐れている何かがあるからこそ、今にも泣き出しそうな表情をしているのかもしれない。
「……アイリスは優しいね。君が……僕の本当の家族だったら良かったのに。そうすれば僕は少しだけでもこの感情の整理が出来たかもしれない」
気付いた瞬間にはセリフィアの表情は明るいものへと変わっていた。だがアイリスにしてみれば、その表情は無理矢理に何かを押さえ込んで我慢しているように見えた。
……セリフィアは何かを抱えているんだわ。
自分が魔力無しだと馬鹿にされて悩んでいた時があったように、セリフィア自身も何かを悩んでいるのかもしれない。
「――それはどうしても家族じゃなければ駄目なのか?」
今まで黙って聞いていたクロイドが穏やかに問いかける。
「家族という定義に拘らなくてもいいんじゃないか?」
「……どういうことだい?」
「アイリスをそちらに渡す気は更々ない。だが、お前がアイリスの友人になるだけなら許してもいいということだ」
アイリスはぱっとクロイドの方へと振り返った。彼は腕を組みつつ、これでも妥協したと言わんばかりの表情をしていた。
「僕が……アイリスの友人に?」
自分で言っている言葉が信じられないのかセリフィアは驚いている顔をしていた。
「まぁ、俺にはお前が何を抱え込んでいようが関係ないけどな。ただ、アイリスの敵となるなら容赦はしないだけだ。今も、これから先も。……でもアイリスはお前の事をそれなりに心配しているみたいだし、友人になるくらいなら許してやる」
どうやらクロイドには自分がセリフィアを心配していたことを気付いていたようだ。鼻を鳴らしながらそう言い放つクロイドにアイリスは小さな笑みを見せた。
「僕がアイリスの友人だって? はは……。だって、僕は……僕は普通の人間じゃないもの。誰かに理解できるわけがない」
混乱しているのかセリフィアは頭を抱え始める。
「僕は……魔法しかないんだ。魔法だけが僕の……」
「セリフィア」
アイリスはそっとセリフィアの肩に手を添える。
「私はあなたと同じローレンス家だけれど、それでも違うところはたくさんあるわ。魔力有無と力の大きさ、権力、立場……。それらは決して同じになるものはない。だって、情報だけで相手を理解してもその人にはなれないでしょう?」
「アイリス……」
「でも、セリフィアが抱えているものを知っていれば、あなたが苦しんでいる時に手を差し伸べることが出来るかもしれないじゃない? それは家族だけじゃなく、友人でも出来ることだと思うの」
セリフィアが唇を噛んだように見えた。子どものように表情を歪ませる。
「ねぇ、セリフィア。……あなたは何を恐れているの?」
アイリスの静かな問いかけに、セリフィアはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。




