学生気分
「あっ、おはよう!! アイリス、クロイド!」
会った瞬間にセリフィアの元気な声を聞いたせいなのか、隣に立っているクロイドは頭を抱える仕草をした。
アイリス達の姿を見つけたセリフィアは教会内に設置されている木製の長椅子から腰を上げて駆け寄って来る。
実は、アイリス達が食堂で朝食を食べていた時に修道課のクラリスが教会にアイリス達に会いにきたと主張している人物が朝の6時半時くらいからずっと長椅子に座って待っていると伝えに来たのだ。
その言葉でアイリス達はすぐにセリフィアだと気付き、いつもよりも更に早い時間に学園に登校しなければならなくなってしまったのである。
「おはよう。……本当に来たのね」
溜息交じりにアイリスがそう呟くとセリフィアは胸を張って答えた。
「もちろんだよ! 僕はまだ君達のことを観察しきれていないからね」
「大体、学園内に簡単に入れると思っているのか? 見た目は学生に見えたとしても、教師は知らない人間がいればすぐに気付くと思うぞ。部外者として外につまみ出されるに決まっている」
「ふふんっ。そこは大丈夫だよ。昨日のうちに僕が短期留学生として学園内に入れるように手続きしたから」
「……はぁ?」
クロイドが明らかに不機嫌そうな声を上げる。
「こう見えて、向こうのローレンス家は名家として有名だからね。こっちにいる権力者の知り合いにほんの少し色々とお願いして、『ただの留学生』として入れるようにしてもらったんだ」
「……」
彼女の背後にどんな人物がいるかは想像出来ないが、自分達を観察するためだけにそれほどの事を安易にやってしまうセリフィアに対して、凄い執着だと思うべきかそれとも呆れるべきだろうか。
アイリスは今日一番の盛大な溜息を吐いた。
だが、権力者というにはそれなりの地位を持っている者だろう。貴族の誰なのかは分からないが、ブリティオンの貴族と個人的に親しくしている家があるのかもしれない。その辺りはミレットに聞いた方が詳しいだろう。
「……セリフィア、あなた朝食は食べたの?」
6時半からこの場所でずっと待っていたのなら、何となく朝食は食べていないのだろうかと思ってしまう。
「食べたよ。こっちのご飯は美味しいねぇ。ブリティオンの味も好きだけど、僕はこっちの料理の味の方が好きかも」
彼女が泊まっていたホテルでは一流の朝食が出されるのだろうと想像したが、自分の想像の範囲を超えたため、アイリスはそれ以上考えることを止めた。
「それじゃあ、今日から宜しくね!」
セリフィアの無邪気に笑う表情に対して、クロイドは頭が痛くなってしまったのか右手でこめかみ辺りを押さえていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
突然の短期留学生に教室内の生徒達はやはり驚いているようだった。教師に名前を紹介されたセリフィアはにこりと笑って、頭を下げる。
黙って笑っていれば、本当にどこかの令嬢のように見えるので不思議な気分になってしまうが、彼女はあくまでもブリティオンの魔法使いである。その認識を忘れてはいけない。
「いやぁ、昨日の話を色々聞いてはいたけど、まだ頭が追いつかないわ~」
アイリスの隣に座っているミレットが感心するような口ぶりでセリフィアを見ながら苦笑いしている。ミレットにとっては他人事であるため、のん気でいられるのだろう。しかし、こちらとしては早くセリフィアに自国へと帰ってもらいたい。
外国からの短期留学生の事をよく見ようと学生達はセリフィアのことを凝視していた。
だが、そんな視線もお構いなしにセリフィアは、彼女についての話が行き交うざわめきの中、空いている席からクロイドの隣を選ぶ。
「えっへへ。何だか、本当に留学生になった気分だ」
「……何で俺の隣に座るんだ」
恨めしそうにクロイドは小さくセリフィアを睨んだ。
「だって、アイリスの隣は……えっと、ミレットが座っているし、アイリスの前の席は君が座っているだろう? それなら僕はクロイドの隣に座るしかないじゃないか」
余程、自分の近くに座りたいらしい。ミレットは小声でアイリスにだけに聞こえるように呟いてきた。
「何だか、懐いた子犬みたいな子ね」
「……まぁ、少しだけ子どもっぽい感じはするわね」
懐かれるようなことをした覚えは全くない。むしろ、昨日はセリフィアを投げ飛ばしてしまったので、嫌われるようなことしかした覚えがない。
ちらりと視線を移すとクロイドが眉間に深く皺を寄せながらセリフィアを牽制しているように見えた。
……授業中、集中できないかもしれないわね。
アイリスは何度目か分からない溜息を吐くしかなかった。
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本当に学生気分を味わっているのか、授業中のセリフィアは積極的に手を挙げて、教師に出された問題をすらすらと解いていた。
その度に、周りの学生たちから羨望のような眼差しが送られていたが、セリフィアは気付いていないらしい。
休み時間の間も留学生のセリフィアのことが気になるのか数人の学生が彼女に話しかけていた。
満更でもないのか、セリフィアは緊張気味に会話をしているように見えて、本当に彼女がブリティオンのローレンス家の魔法使いなのかと疑いたくなるほどの学生らしさが出ていた。
「……うーん……やっぱり、検索出来ないわね」
隣に座っているミレットが小声でぼそりと呟く。
「どうしたの」
「いや、セリフィアのことを色々と調べてみようとしたんだけれど、彼女自身だけじゃなくてブリティオンのローレンス家自体を調べられないように検索避けの結界が張られているみたいなのよねぇ。それなりに用心しているってことなのかしら」
アイリスは同い年の女学生達と楽しそうにおしゃべりしているセリフィアを見やる。
ブリティオンの魔法使いらしくなくても、やはり彼女はローレンス家の魔法使いなのだ。力が強ければ、敵を作ることも多いだろう。ましてや名門として向こうでは有名な家ならば尚更だ。
……セリフィアはブリティオンでどんな立ち位置なのかしら。
ローレンス家の令嬢として過ごしているならば、生き辛いと思うこともあるかもしれない。もしくは有名な魔法使いの家の娘として過ごしているかもしれない。どちらにせよ自分の想像が追いつかない立ち位置にいるのだろう。
「……」
セリフィアが自分に関心があるらしいが、それはアイリスも同じだ。
自分の知らないローレンス家はどのように生きているのだろう。どのように魔女狩りから生き延びたのだろう。それが気になっていた。
……考えても分からないわよね。
今の自分がここに存在するのは、かつて黎明の魔女と呼ばれたエイレーンとその仲間達が尽力したからだ。守るべき場所を作ってくれたおかげで、魔法使い達は安寧の日々を手に入れる事が出来た。
だが、ブリティオンの魔法使い達はどうだったのだろうか。イリシオスの言っていた通りに力によって安寧を手に入れ、その後どのように過ごしていたのか。
……聞いたら、答えてくれるのかしら。
アイリスは子どものように笑っているセリフィアを複雑な気分で眺めていた。




