二つの家
──初めまして、もう一つのローレンス家。
彼女は確かにそう言った。アイリスはどう反応すればいいか分からず、腰に手を添えたまま、セリフィアを上から下までじっと見つめる。どこにでもいそうな、普通の少女にしか見えない。
だが、彼女は何かを知った上で、自分のもとへと来ているのは分かっていた。
「……どうしたんだい?」
セリフィアは不思議なものを見るように首を傾げる。
「……何者かも分からないあなたに、警戒しない方がおかしいわ」
「あ、それもそうだね。でも、僕は君を警戒していないよ?」
「……それはあなたが余裕だって言いたいのかしら?」
「うーん、それもあるけど……」
ふっとセリフィアは自分の後方へと身体を向けた。つられてアイリスもそちらに目を移すと、丁度クロイドが美術館の中から出て来たところだった。
「すまない、アイリス。遅くなって……」
だが、クロイドもセリフィアの姿に目を留めて、怪訝な表情をした。彼も同じように、自分に似ていると思っているのだろう。
「やぁ、こんにちは」
「……」
警戒心を解かないまま、クロイドはセリフィアに背を向けないようにしつつ、アイリスのもとへと寄った。自分には分からないがクロイドはセリフィアに魔力を感じているのかもしれない。
クロイドはすっとアイリスとセリフィアの間に、壁になるように立ってくれた。
「ふむ。随分な警戒だなぁ」
のん気そうに彼女は溜息を吐いている。
「別に怪しい奴じゃないよ? さっきも言った通り、僕はブリティオン王国のローレンス家当主の妹で、今は観光……という名目で君に会いに来たんだ、アイリス。あ、ちなみに魔法使いだよ。確かこの国では魔法使いは秘密扱いなんだよね? 大丈夫、大丈夫。入国した時もただの観光者として手続きをしたから」
このいつ破れるか分からない緊迫な雰囲気の中、セリフィアは何でもなさそうに話を続ける。
「……アイリスに何か危害を加える気なら、容赦はしない」
クロイドがセリフィアを睨みながら威嚇するように低く呟く。
「んー? そういう君は誰なんだい? 魔力が何となく兄様のものと似ている気もするけど……」
一歩、セリフィアはクロイドに近づき、彼の手をすっと手に取った。
「なっ……」
突然のセリフィアの行動に、クロイドはその手を弾こうとしたが、しっかりと握られているのか離せずにいるようだ。
「──『心身接触』」
ぽつりとセリフィアが呟いた言葉が、魔法の呪文だとアイリスはすぐに気付く。
瞬間、クロイドが生気でも吸い取られたかのように前のめりにふっと膝を崩した。
「クロイド!」
アイリスはすぐに駆け寄り、彼の身体が倒れないように腕で支えた。クロイドは汗を噴き出し、気だるげに息を吐く。
だが、特に問題はないのか、クロイドは小さく首を横に振った。
「……クロイドに何をしたの!?」
アイリスはクロイドの身体を支えつつ、セリフィアの方を振り返った。
「何って……。情報を収集しただけだよ? 口から聞くよりも、心と脳に直接聞いて、僕が理解した方が早いからね」
何でもなさそうにセリフィアはそう言って、クロイドの手に触れた右手を自分の胸辺りに当てる。その光景はまるで、胸の中に異物を押し込めているように見えた。
「何を……」
「ふむ。そうか……。──名前はクロイド・ソルモンド。歳は16歳。魔具調査課に所属、アイリスとは相棒で……」
自己紹介文を読むようにセリフィアはすらすらと目の前にいるクロイドに関することを述べていく。アイリスとクロイドは信じられないものを見るように彼女に鋭い視線を向けていた。
「本名は……クロディウス・ソル・フォルモンド。ああ、本当はこの国の第一王子だったのか。あ、でも王子ってことは……なるほど、遠縁にあたるけど血縁関係はあるのか。ふーん……。あ、呪い持ちか~。それはちょっと面倒かもね」
「っ……」
特に興味もなくセリフィアはそう言ったが、アイリスはつい反応して彼女を睨んだ。
「……セリフィア、あなたは何が目的なの?」
夕方になったとはいえ、ここは公共の場所だ。刃物を取り出すと目立つし、魔法はなおさら人前では使えないため、出来るなら穏便に済ませたい。
「君のことを知りに来たんだ、アイリス」
「……それは何のために?」
「ローレンス家のためだよ? 君は知らないかもしれないけど、ブリティオンのローレンス家と君の家は元々一つだったんだ」
「……」
アイリスはクロイドの背中に手を添えつつ、セリフィアを疑うような瞳で睨む。
「まぁ、疑うのもよく分かるよ。でも、本当なんだ」
彼女はくるりと回った。白いスカートがふわりと風に揺れていたが、それはまるで風自体を操っているように不自然に見えてしまう。
「君の家と僕の家が二つに分かれたのは、随分昔のことだよ。魔法が効かない異端審問官に追われて、ローレンスの一族はばらばらになってしまった」
その話はもちろん知っている。「黎明の魔女」と呼ばれたエイレーンの母の時代の話だ。
「嘆きなき村」という村で穏やかに過ごしていたローレンスの一族はある日、魔法の効かない異端審問官によって、住む地を追われて、家族とばらばらになってしまったという。
だが、まさかブリティオン王国までローレンスの一族の者が逃げていたとは知らなかったアイリスはセリフィアを改めてじっと見た。
「でも、僕らローレンス家はそのばらばらになってしまった血筋を辿って、ローレンスの血を引くものを集めているんだよ」
「……どういうことだ」
息を整えたクロイドが立ち上がり、再びアイリスとセリフィアの間に割って入る。
「簡単に言えば、血を一つにしているんだ。ローレンス家の血が流れている家々と婚約していって、ローレンスの血を深めているんだよ。その血が薄くても、濃い方と血を結んで行けば、濃くなっていくからね」
何でもなさそう言った言葉にアイリスとクロイドは思わず顔を見合わせる。
「……それで、私に会いに来た理由とそれの話にどういう関係があるの?」
「分からない? アイリスは兄様……僕の兄の花嫁候補になっているんだ」
「っ……!」
衝動的にセリフィアの方へと動きそうになったクロイドの身体をアイリスは左腕一本で抑えて止める。
「本当はずっとアイリスの家と血を結びたかったんだけれど、いつも当主に断られていたからね。でも、今はアイリスが当主だし、年頃も丁度いいし、女だし。それにローレンスの直系だから一番血が濃いし」
隣のクロイドの纏う気配がだんだんと険しいものへとなっているのは直接見なくても分かっている。
「でも、一つだけ君に問題があるんだよね。……アイリス、君は魔力が無いんだろう?」
「……そうよ」
文句があるかと言わんばかりにアイリスは鋭い視線をセリフィアに送ると彼女はどこか困ったように肩を竦めた。
「ローレンス家に魔力無しを迎え入れると周りがうるさいんだよねぇ。純血統を主張している親類とかが特に。兄様も魔力無しのことを見下しているし。うーん……血筋には問題ないし、見た目もまぁ、良いのになぁ」
「いい加減にしてもらおうか」
低い声がセリフィアの言葉を遮る。
「それ以上、言葉を発するならアイリスに対する侮辱と受け取る」
明らかに怒っている時の声色である。アイリス自身は『魔力無し』であることを今はそれ程、気にしてはいないのだが、クロイドはアイリス以上にその言葉を気にしてしまっているのだ。
「……クロイド、だったよね?」
セリフィアはすっと真顔になって、再びクロイドの方へと近付く。
「僕はね、別にローレンス家の血をより深く、濃くしていくことが出来るなら、本当は何だって良いんだ。……それが兄様のためにもなるし。だから……」
はっとしてアイリスが隣のクロイドの方を見やると彼は目を丸くしままセリフィアを凝視しており、セリフィアの藍色の瞳に捕まってしまったかのように動けなくなっていた。
魔法ではない。これはただの眼力なのに、彼女の瞳は相手を制止させる力があるように思えた。
「この僕が、君の子を産んでもいいんだよ? 君にも一応、ローレンス家の血は流れているし、魔力だって強そうだし。呪いの事はまぁ……その呪いが完全なものになる前に、君との子を授かればいいだけだからね」
「っ……!」
ぶつり、と久々に脳内で太いものが切れた音がした。湧き上がる感情に最早、歯止めは効かなかった。身体が瞬時に熱くなったと同時に、アイリスは一歩前へと踏み出す。
そして、アイリスの右手が大きく弧を描き、セリフィアの左頬を強く張り飛ばした。




