銅像
今から200年程前に建てられた「ロディアート美術館」の建物は、その姿を変えることなく、細やかな彫刻と目を見張る程の豪壮な佇まいをしていた。
元々は、王家の離宮として建てられたのだが、質素倹約の国王の際にこの離宮をイグノラント王国が貯蔵してきた美術品や調度品を保管する場所として使われ始め、やがてそれは国民に開放される美術館として成り立ったのである。
現在は専属の学芸員も研究員もいるし、美術品として並んでいるのは王家が所有していたものだけではなく、民間の画家や彫刻家のものも展示されている。
ロディアート美術館の外見は華やかだが、室内は優美と調和の取れた様式になっており、この建物が建てられた当時にどのような様式が流行っていたのかが分かる。
アイリスは建物自体を楽しみつつも、壁にかけられた絵画や細かい細工が彫られた壺などを見ていた。
美術館の中はそれなりの鑑賞者がいるが、皆が静かに美術品を眺めている。ただ、革靴の音だけが響く独特の静けさは嫌いではない。むしろ、心地よささえ感じる。
ちらり、とクロイドの方へと視線を向けると彼は並んでいる美術品の価値が分かるのか、しきりに感心したように溜息を吐いていた。
美しい女性に抱かれている子どもの絵の前でクロイドは立ち止まり、凝視している。女性は慈愛に満ちた瞳で抱いている子どもに温かな視線を送っている。とても柔らかい印象が持てる絵だった。
クロイドはその絵を見たまま動かない。その絵に何か思い入れでもあるのだろうか。
「……その絵が好きなの?」
美術館内で喋ってはいけないと決まっているわけではないので、アイリスはクロイドだけに聞こえるくらいに声量を出来るだけ落として訊ねてみる。
「……多分、そうなんだろうな」
曖昧だが、彼がその絵を見る瞳は優しいものだった。
「……」
恐らく、この絵に描かれている女性と子どもは親子なのだろう。彼がこの絵をどのような思いで見ているかは分からないが、それでもその感情は悲しいものではないのはクロイドの瞳を見れば分かることだ。
アイリスはクロイドの隣からすっと離れる。自分の見たいものや感じたいものを好きに味わうことが出来るのが美術館の醍醐味だ。
……そういえば以前、回収した『空腹の絵』と交換したものはまだあるのかしら。
美術館では時折、展示するものを替えていると聞いている。まだ、先日の場所にあの絵の代わりがあるなら、今日は美術品として見てきてもいいかもしれない。
アイリスは女性と子どもの絵を見続けているクロイドの方にちらりと一度、振り返ってから『空腹の絵』が展示されている階へと向かった。
・・・・・・・・・・・・・・・
いつの間にか時間は長いこと経っており、気付いた時には陽が傾きかけていた。自分も見た事のない絵や彫刻に知らずのうちに心を奪われていたらしく、夢中になって眺めていたようだ。
クロイドとは美術館の中で別行動したため、アイリスは館内を探し回るよりも美術館の出口で彼を待っていた方がいいだろうと判断して、今一人、美術館の外で建物を見上げている。
本当に大きな建物だ。自分の知らない歴史をこの建物が知っていると思うと、少し感慨深い。
ふっと、視線を移すと美術館の庭に銅像が立っているのが見えて、アイリスは歩を進めた。
二人の人間が右腕を互いの腕に交差して、立っている銅像だ。奇妙なことに左腕をそれぞれの腰辺りに隠すようにしている。右側の人間は左手に杖のようなもの、左側の人間には短剣を持っている。
「……」
どういう意味を含んだ銅像なのだろうかとアイリスが首を捻りつつ、銅像に備え付けられている鉄板の説明書きを読もうとした時だった。
「――高潔と孤高のブリティオンから、慈悲と嘆きのイグノラントへ和平の証として送る」
突然、アイリスの後ろから若い声がしたため、身体ごとそっとその声の方向へと向けた。
「……っ?」
沈みゆく夕陽が後光のようになっているため、その声の主がどのような姿をしているのか正確には分からない。ただ、身長は同じくらいで、声色から察するに少女のようだ。
「その銅像はブリティオン王国から停戦と和平の証として送られたんだよ。右側の銅像がイグノラントで、左がブリティオンを表しているんだ」
よく顔が見えないその少女は弾んだ声で説明してくれた。
「詳しいのね」
「向こうでは有名な話さ。まぁ、当時は停戦も渋々だったらしいよ。イグノラントは戦争をしたくない国だったから、ブリティオンに色々と条件を出して、やっと停戦まで持ち込めたんだから、その根性と勇気には驚いたものだよ」
「……どうして、停戦に持ち込むことに驚くの?」
少女の影が小さく笑った気配がした。
「ブリティオンは血の気がある人が多いんだ。当時はイグノラント周辺の国はあの国の属国に入っていたし、状況から見れば、属国に入らないと拒否してしまえば、周辺を巻き込んだ大戦争だって起こりえたからね」
余程、歴史に詳しいのか彼女はすらすらと教科書を読むように説明してくれる。
「この国には多くの資源があるから狙っていたみたいだけれど……。さすがにあの国でも、そう簡単には手出し出来なかったからね。……教団のせいで」
「っ!?」
アイリスは彼女の言葉に自分の耳を疑った。今、彼女は「教団」と確かに言ったのを聞き取った。少女は何か面白いもの見つけたように、喉の奥を鳴らすように笑っている。
「観光がてら、色々と探し回っていたけれど、まさかこんなに早く会えるとは思わなかったよ」
少女が一歩、前へと歩を進める。
「……あなた、何者なの」
少女の不穏な空気を感じたアイリスは、すっと右手を背中辺りへ伸ばす。ここに、非常事態が起きた時のために短剣を仕込んでいた。
もし、少女が怪しい動きをするなら、この短剣を抜く心構えだけはしておかなければならない。
「気になる? でも、僕は君の方が気になるんだ、アイリス・ローレンス」
「どうして私の名前を……」
声色は全く知らない。だが、自分が相手を知らないだけで、「ローレンス家」自体は魔法使い達の間では有名な名前だ。相手だけが自分を知っているなんて、よくある話である。
「僕の名前はセリフィア。……セリフィア・ローレンス。ブリティオン王国のローレンス家当主の妹だ」
「っ!?」
少女から吐かれた言葉にアイリスは目を丸くする。彼女は確かに「ローレンス」と名乗ったのだ。間違いはない。
だが、この国でアイリスの親類とも言えるローレンスの名を持つ者はもういないはずだった。
皆が別の家々へと嫁いだか、もしくは亡くなっているので、ローレンスの名を持つのはアイリス唯一人のはずだ。
セリフィアと名乗った少女は年相応の表情で笑みを浮かべる。
「──初めまして、もう一つのローレンス家」
陽が少し沈み、よく見えた顔にアイリスは目が離せなくなってしまった。
少し薄い金髪をゆったりと三つ編みにして、右肩に流すように垂らしている。整った顔立ちと藍色の瞳。幼さが残るが、はっきりとした表情は意思の強い印象を持った。
そして、見た目は同い年くらいのセリフィアという少女の顔は、気のせいに思えない程に自分と似ている面差しをしていた。




