提案
クロイドの恩人であるマーレが亡くなって、数日が経った。それでも教団内の日常はいつもと変わりない。ただ、まだ心の整理が出来ていない者を置いていっているだけで。
ブレアは表に感情を出さないからか、兄弟子であるマーレが亡くなったあとも、通常と様子は変らなかった。切り替えが早いのか、それても密かに心の中に、自分の知らない感情を抱いているのかもしれない。
だが、クロイドの方は──そう簡単に気持ちを切り替えられずにいるようで、周りには心配かけまいと笑う素振りを見せるが、自分にはそれが空元気だということが分かっていた。
……それもそうだわ。大事な人を亡くして、すぐに元気に振舞えるはずがないもの。
自分だって、家族をいっぺんに亡くした時は、ずっと落ち込んで引きこもっていた。立ち直るまで、かなり時間がかかったと思う。それでも時間だけが過ぎていく。
「……アイリス」
食堂で夕食を一人で食べていたところに、ブレアが料理の皿が載せられたプレートを片手に自分の前の席へと座って来た。
「あ、お疲れ様です。ブレアさん」
「うん、お疲れ」
珍しく一緒の時間に食事を摂るブレアにアイリスは少し驚きつつ挨拶をした。今日はこの後には魔具調査課のどのチームも任務は入っていなかったので、ブレアも早く仕事を上がれたのだろう。
「……なあ、アイリス。やっぱり、クロイドの奴……元気ないよなぁ」
スプーンでスープを掬いつつ、ブレアは溜息交じりに話しかけてくる。アイリスは周りにクロイドの姿がないか探したが、同じ食堂内にはいなかった。
「……そう、ですね」
無理もないと思うが、それは口にしなかった。クロイドには早く元気になって欲しいと思うが、無理強いはしたくない。
「それで一つ提案があるんだが」
「え?」
「明日、お前とクロイド、休みだろう?」
「そういえば……」
ここ最近、クロイドの様子か任務のことしか考えていなかったので、休みが近いことをすっかり忘れていたアイリスはたった今思い出した。
「アイリスさえよければ、クロイドを街中に連れて行ってくれないか?」
「ん……? え、ブレアさん、どういう意味ですか?」
クロイドを街中に連れて行って、どうしようというのか。アイリスが食べていた肉の欠片を飲み込んで真っすぐとブレアを見る。彼女は小さく苦笑していた。
「まあ、つまりは二人で出掛けてこいと言っているんだ」
「……はぁあ!?」
思わず大きい声を上げてしまったアイリスはその場にいた者達から、何事かという視線を浴びてしまう。
アイリスは小さく咳き込んでから、周りの目を気にしつつ声を小さくして、もう一度ブレアに訊ねた。
「出掛けてこいって、どういうことですか……」
「デートってことだ」
「……」
アイリスが大きく眉に皺を寄せるとブレアは大きく肩を竦めた。
「……別に、楽しいことでマーレのことを忘れろと言っているわけじゃない。ただ、あの状態のクロイドがずっと続くのが心配なんだよ。どこかで踏ん切りをつけさせないと」
「……その意味は分かるんですが……」
確かに気落ちしたままのクロイドの状態が続けば、何か悪影響が起きかねないことは分かるが、そこで何故自分と二人で出掛けるという話になるのかが分からない。
誰か大切な人を亡くした時、人は一人で居たくなるものだ。自分は無理にクロイドに触れずに、見守る方がいいのではないかと思っていたのだが、ブレアは荒療治に出たいらしい。
「前に二人でデートしたんだろう? 同じ感じでいいから、息抜きさせてきてくれないか?」
「デッ……。何で、その事を知っているんですか……」
アイリスが恨めしそうな表情でブレアを見ると彼女は小さく声を立てて笑った。
「ミレットから聞いたんだ。二人とも私の大事な部下だからな。部下のことはちゃんと把握しておかないといけないだろう?」
「う……」
筒抜けだと分かっていると余計に誘い辛い気がしてアイリスは顔を顰めた。
「ちなみにさっき、クロイドにアイリスと明日出掛けてこいと言ったら頷いていたぞ」
「なっ……」
アイリスが手で千切ったパンの欠片をその場でぽとりとスープの上へと落として絶句していると、ブレアは更に笑っていた。
「そういうわけだ。向こうはすでに了承しているから、そのつもりでいてくれ」
「……それって、決定事項じゃないですか」
「うむ。課長からの命令だ。アイリスとクロイドの二人に有意義な休暇を送ることを命ずる」
「……」
冗談か本気か分からない言葉にアイリスは項垂れつつも、スープの中に落ちてしまったパンの一欠けらをスプーンで掬った。
「ま、気軽な気持ちで楽しんできてくれ」
顔を上げるとブレアの瞳の奥に何か寂しげに思えるものが見えた気がした。彼女もまた、吐き出し口がないまま一人で悩んでいないだろうか。
人の事ばかり考えているのは自分やクロイドだけではない。ブレアの方が実は、ため込みやすい人間だとアイリスは知っている。
……私達のことばかり気にして、自分の方はお構いなしだもの。
彼女の気苦労の一つをなくすためには、彼女の提案は快く引き受けておいた方がいいだろう。アイリスはブレアに了承の意を伝えるべく頷いたが、頭の中では靄がかかったような感覚だった。
とりあえず、クロイドに明日についての事を詳しく話して、どこに行くか決めた方がいいだろうと思いつつ、アイリスは手で千切ったパンを頬張っていた。




