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思い出の約束

 

 マーレの葬儀が終わった日の夜、ブレアは魔具調査課の課長室で一人、酒の入ったグラスを傾けていた。


 開け放した窓の向こうに見えるのは、いつもと変わらない街並みと空に昇る欠けた月。変わらない景色のはずなのに、今日は酒が回るのが早いのか、滲んで見えていた。


 魔具調査課の面々はすでに自室へと引き上げている時間であるし、今日は夜の任務もないため、誰かが戻って来て、酒を飲んでいるところを咎められることはないだろう。


 右手でグラスを傾けつつ、ブレアは月明かりに一枚の紙をかざしてみる。手帳の項目を一枚、無理矢理に切り取ったその紙には、赤い染みがべっとりと付いており、乾ききっていた。


 これはマーレの手帳に挟まれていた一枚らしい。何故それを自分が持っているかと言うと、この紙の最初の行に「ブレアへ」と一言書かれていたからだ。

 遺品となったマーレの手帳の中からこの紙が出て来たらしく、マーレの仲間が渡してくれたのだ。


 自分に宛てられた手紙となるはずだったその紙を見て、ブレアは目を細める。昔、手紙を書くのは苦手だと言っていたマーレの言葉を思い出し、思わず口元が緩まりそうになった。


「……滲んで続きが読めないぞ、マーレよ」


 一人、小さく呟いてもその言葉に返してくれる者はもういない。自分の名前が書かれた次の行からはマーレの血で染まっており、文字は滲んでいた。

 手帳は胸辺りにしまわれていたものだったため、マーレの血が濃く滲んでしまったのだろう。


 本当なら、この一枚の紙にびっしりとマーレの言葉が綴られる予定だったのだ。しかし、それは途中で叶わないものとなっている。


 何と書くつもりだったのだろう。いつも書かれている内容は自分とクロイドを気遣うものばかりで、彼自身のことはあまり多くは語られていなかった。


「……」


 ブレアは課長机の一番大きな引き出しを開ける。そこには鉄製の箱が入っており、それを机の上に取り出してから、蓋をそっと開けた。

 箱の中に入っているのは、マーレから送られてきた手紙だ。途中から数えるのを諦めたくらいの量の手紙が山を成していた。


 手紙と言っても、紙切れを二つ折りにしたものを魔法で鳥へと変化させて送って来るため、箱の中には二つ折りの手紙ばかりがそこにはあった。

 その中に一枚の血濡れの紙切れをゆっくりと重ねるように置いた。


「これが最後なんて、笑えるじゃないか」


 もう、手紙が増えることはないのだ。

 少しずつ、溜めた言葉達は動かないものとなってしまった。


 マーレに送る手紙にはいつも同じ文章を書いていた。


 ――早く、帰って来い。

 ――手合わせしろ。

 ――決着を付けさせろ。


 それは自分とマーレが交わした約束を果たすための催促でもあった。それを彼は忘れないまま、自分にずっと付き合ってくれていた。

 マーレにとって誰か良い人がいたかもしれないのに、彼は律儀に自分との約束を守り続けてくれた。


「馬鹿だなぁ、マーレ……。本当に……。……あんな……子どもの頃の約束を守り続けるなんて……。私達はどうしようもない馬鹿だよ……」


 自嘲するように低く笑って、グラスに入っている酒をあおる様に飲む。




 約束をしたのはもう十数年も前のことだ。自分はセントリア学園の初等部に入学したてで、そして家と学園を嫌っている少々面倒な性格をしていた。


 スティアート家は魔法使いの名門であったが故に、家に居れば息苦しさを覚える程に堅苦しく、よく家族と喧嘩ばかりしていた。

 子どもながらに気難しい性格をしていた自分は学園内でも同い年で馴染める者などおらず、授業をこっそりと抜け出しては屋上で一人、昼寝をするのが常となっていた。


 そんな時に当時、高等部だったマーレと出会ったのだ。

 彼も自分と同じように授業を抜け出しては屋上で昼寝をすることを趣味としており、最初こそは警戒していたものの、マーレの人懐こい性格と持ち前の豪快な明るさによって、壁は少しずつ無いものとなった。


 この時、マーレはすでに教団の魔法使いだったため、ブレアがスティアート家出身だと知ると驚いているようだったが、態度を畏まることなく、気さくに接してくれていた。


 自分はそれが途轍もなく、心地よかったのだ。スティアート家の人間としてではなく、たった一人のブレアという小娘として、接してくれることが嬉しかった。


 スティアート家は魔法だけでなく、剣術も卓越した者を輩出する家系として優れていた。

 自分にもその才能があったらしく、幼い頃から剣術の稽古を付けられていた。それでも昔は剣が嫌いだった。


 それがいつの間にか好きになっていたのは、マーレのおかげだろう。彼は二人の秘密の場所である屋上で、こっそりと剣術の稽古を自分に付けてくれたのだ。それはただの剣の打ち合いではない。


 マーレが教団には秘密で魔法で氷の剣を作り、それを先に折った方が負けという遊びに近いものだった。今思えば、捻くれた性格をしていた自分を楽しませようとしてくれていたのだと分かる。


 授業を抜け出しては、二人で氷の剣を交える。たまに談笑しては何があったかを語り合う。向こうからしてみれば、歳の離れた妹のような感覚だっただろう。


 ただ、楽しかった。家でも学園でも、自分らしさが分からないまま、沈まずに済んだのは間違いなくマーレの存在があったからだ。



 このくらいの時期には、二人とも教団の総帥であるイリシオスから直接、魔法の手ほどきを受けていた。

 イリシオスが週に一度くらいで魔法を学びたい意欲がある者を募り、年齢、性別、家に関係なく平等に教えてくれていた。


 だが、学園の屋上以外の場ではただの知り合いのふりをしていた。お互いに、何となく周りには秘密にしておきたかったからだ。

 授業を抜け出すのは咎められることだし、任務以外で、しかも学園で魔法を使っていることが知られたら罰則ものだ。


 悪戯をこっそりと遂行している子どものように、学園の外で会う時は二人とも取り澄まし、そして二人きりの時だけ、何も気にすることなく無邪気に笑い合っていた。



 いつだったか、マーレとこんな話をした。


『――はぁ? 恋人をどうして作らないかって?』


『若者が恋人と人生を楽しむことを青春と呼ぶと本に書いてあった。マーレと会ってから3年近く経つが、色恋の気配をお前から感じ取ったことは無いぞ』


 二人の仲なので、敬語でなくていいとマーレは出会った当初に言ってくれたため、自分は生意気な子どものような態度でマーレに問いかけたのだ。


『ブレア……。お前、歳に似合わず、ませた本を読んでいるんだなぁ』


『本なら何でも読むだけだ。それでどうして恋人を作らないんだ? お前は青春という楽しいことをしなくていいのか?』


 すると、マーレは小さく苦笑したのだ。


『あのなぁ、世の中、恋人を作りたくてもそう簡単には出来ないもんだぞ』


『そうなのか?』


『まぁ、好きな奴くらいは出来るだろうが、人生ってのは自分の思い通りにはいかないもんさ』


 そう言われた時、子どもであるにも関わらず、胸の奥がきゅっと締め付けられる感じがしたのを覚えている。


『それに俺の場合は色恋の事を考えるよりも、まずは一人前の魔法使いになるのが先だからな』


『ん? 教団に属しているんだろう? 十分に魔法使いじゃないか。イリシオス先生からも、物覚えが早いって褒められていたし、更に剣も強い』


『ははっ。……俺なんて、まだまだだ。教団には俺以上に強い奴がたくさんいるんだぜ?』


『……』


 マーレと出会って、三年近くの月日がいつの間にか経っていた。

 もうすぐマーレが学園の高等部を卒業する日が近いことは自覚しており、卒業すればマーレは教団での任務に没頭する毎日を送るのは容易く想像出来ていた。


 彼がいなくなれば、また自分は独りになる。それが寂しいという感情だと初めて知ったのは恐らくこの時なのだろう。


『……それに恋人なんていたら、任務に集中出来ないからな』


『どうしてだ?』


『確かに守る存在があれば人は強くなることもあるかもしれない……。でも、いつか死ぬ瞬間が来るかもしれない危険な任務をしているのに恋人なんていたら、俺は死地に行くことを避けそうな気がするんだ』


『……』


『俺は少しでも多くの魔物を狩って、魔物による被害を抑えたい。……誰かが魔物のせいで泣くのは見たくないからな』


 その時のマーレはいつもの無邪気な表情ではなく、歳相応の大人のような顔をしていた。


 自分が知らない場所で、マーレはずっと魔物と戦っている。教団の人間ならば、それは普通のことだ。 だが、自分の知らない場所でマーレが死ぬかもしれないと想像してしまったブレアは彼に気付かれないように身震いした。

 今まで怖いものなんて無かったのに、マーレが死ぬことが怖いと思ったのだ。


『ほら、俺は一途な性格だからさ。魔物討伐か恋人のどちらかを選べと言われたら悩むと思うんだ。……それに恋人に悲しい思いはさせたくねぇからな』


『真面目だな、マーレは』


 それだけしか言えなかったのは、彼が真剣な表情で晴れ渡った空を見上げていたからだ。


『何、あと数年で私が教団に入れる歳になる。そうしたら、お前の魔物討伐を手伝ってやるよ』


『こいつ~。ちょっと前まで、剣術なんて嫌いだーって言っていたくせに』


『ふん。どこかの物好きが秘密の特訓をしてくれたおかげだ。そのうち、お前の腕を追い越して叩き伏せてやるぞ』


『言うようになったじゃないか。一度も俺に勝ったことないくせに』


『真剣での勝負はしたことがないだろう。せいぜい、負ける日を楽しみにしておくんだな』


 ブレアは屋上に寝ころび、空を見上げる。その時、ふととある事を思いついたのだ。


『なぁ、マーレ』


『何だ?』


『お前は恋人を悲しませたくないから、恋人は作らないんだよな』


『まぁ、そうなるな』


『それなら、その恋人がお前を守れるくらいに強かった場合は対象外になるのか?』


『……』


 短く息を引き攣ったような声が隣から聞こえた気がした。子どもの戯言だと笑われるだろうかとブレアはそのまま言葉を待った。


『……その発想はなかったな』


 呟かれた言葉はそれだった。しかもかなり、考え込むような呟き方だ。


『ふむ。それなら、私はお前を守れるくらいに強くなる事を誓おう』


『……は?』


 素で間抜けな声が隣から聞こえたと同時に、マーレが激しく動揺したような顔でこちらを振り返ったのだ。

 ブレアは寝ころんでいた身体を起こして、不敵な笑みを見せる。


『まだ私の剣術ではお前には勝てない。……だが、一つ約束をして欲しい』


『……何の約束だ』


 動揺した瞳のままマーレは眉を寄せている。


『いつか、絶対に強くなってから、お前の前に立ってみせる。その時に本気の手合わせをして欲しいんだ。……それでお前に勝ったならば、私にお前を守れる程の実力があるということだ』


『……』


『そうしたら……。私を妹弟子としてではなく、この世でたった一人の人間であるブレア・スティアートとして見て欲しい』


 子どもにしてはませた発言だろうが、その時の自分は確かに真剣だったのだ。

 真剣に小さな背で一生懸命にマーレに近づこうと背伸びしていた。


『……絶対に、強くなるから』


『……』


 馬鹿にされるだろうかと身構えていると、隣のマーレは小さく笑っていた。そして、自分よりも大きな手で優しく頭を撫でてきたのである。


『そいつは楽しみだな』


『……え』


『強くなってくれるんだろう、俺よりも。それなら、俺としても安心だし、気を揉まずに済む』


 何度も頭を撫でてから、マーレはすっと手を引っ込めた。馬鹿にはされなかった。表情も優しく穏やかなままだ。

 そして、強くなるというブレアの意思を彼は尊重してくれているのだと気付いた。


『だが、兄弟子である以上、守られるだけの器に留まる気はないぜ、俺は。これからもっと強くなるんだからな』


『むっ。それなら、私ももっともっと強くなるだけだ!』


『ははっ……。まぁ、気長に待っているさ』


 そう言って、マーレは屋上のコンクリートの上へと寝ころんだ。その表情はいつもと同じ子どものように無邪気で優しくて、頼れる兄貴分の表情だった。


『――ブレア。お前が俺よりも強くなったら、その時は――』





 昔懐かしい思い出に浸っていたブレアはふっと現在へと意識を戻した。いつの間にか、グラスの中の酒は空になっており、窓の外の月は先程よりも傾いていた。


「……ずっと守るなんて、本当に律儀だよ、お前は」


 マーレが外勤から帰って来る度に、手合わせしろとせがんだがするりと躱されて続けて、今に至る。

 最初は自分に負けたくなかったのかと思ったが、それも違うような気がしていた。


 手合わせをしなければ、自分はずっと強さを求めて剣術を鍛え続ける。強くなり続けるだろう。

 それをマーレは分かっていたから、成長途中の半端なままにしないために、手合わせを受けなかったのだ。


 自分が本当の意味で強くなるまで、彼は待ち続けてくれていた。それでも自分はいつか、彼が約束を叶えてくれると信じていた。


 たった一言、欲しかったのだ。「強くなったな」と。

 その言葉が欲しくて、自分は彼の背中を追い続けた。



『――お前が俺よりも強くなったら、その時は――お前の約束を叶えてやるよ』



 ずっと遠い記憶に置いてきたマーレの言葉が頭の中でよみがえり、ブレアは空いている手で顔を隠すように押さえた。


「……約束、したのになぁ」


 淡い思い出は全て覚えている。


 頭を撫でられた感触も、剣を交えて、お互いに笑い合いながら、屋上で昼寝をしたことも。

 名前を呼ばれる声も、子ども相手でも真剣な瞳も、面倒見の良い性格も。何もかも覚えている。


 その鮮明さが、恐ろしく感じてしまうのだ。記憶の中にマーレの存在を閉じ込めてしまう。確かに彼はいたはずなのに、思い出となってしまう。


「……お前の言うことは、いつも当たってばかりだな、マーレ」


 小さい頃に話した内容を思い出して、ブレアは覆った手の下で自嘲気味に笑う。


 危険な任務をしているのに、自分に何かあれば、残された恋人に悲しい思いをさせてしまうだろうと言っていた。本当にその通りだろう。


 大事だと思っている人が自分の知らない場所で死ぬことは、想像以上に心に痛みを伴うものだった。

 それをマーレは知っていたから、恋人を作らなかった。大事だと伝えなかった。それは何のためなのか、分かっていた。

 今の感情以上のものを与えて、残された者達に辛い思いをさせないためだったのだ。


「……」


 ブレアは深い溜息を吐き、顔を覆っていた手を離して、再び視線を窓の外の月へと向ける。


 約束をしていれば、彼はまた無事な姿で戻ってきてくれると思っていたのかもしれない。

 子どもの頃のように無邪気に手合わせをしようとマーレを誘うことが常となり、いつしか当り前としていたのかもしれない。


「分かっていたはずなんだけどな」


 数日前に自分でクロイドに言った言葉を思い出す。

 死と隣り合わせの世界で自分達は生きている。危険がないなど、ありえないと言ったにも関わらず、分かっていなかったのは自分の方だったようだ。


 自分の方が、マーレの死を受け入れられないでいる。死んだという事実を受け止め切れていないままだ。

 全てが今、思い出となった。約束は果たされなかった。


 柄ではないと分かっているのに、感傷的になってしまうのは酔いが完全に回っているからだと思いたい。でなければ、自分は泣けない人間なのだ。


「馬鹿だなぁ……。約束、ずっと守らなくても……」


 窓枠に身体を寄せつつ、目を静かに閉じる。

 雨上がりだからか、湿った匂いが鼻をかすめる。もう、太陽のように温かい匂いを嗅ぐことはないのだ。


「……私はただ、お前が生きていてくれれば……。本当にそれだけで……それだけで、良かったんだ」


 呟きは夜の空気にそっと混じって、消えていく。


 追いかけ続けた約束は、ここで終わりを告げるのだ。

 そして、いつかの日に二人で交わした約束を他の誰かに話す事はないまま、自分はこの先も生きていく。


 自分は、生きていくのだ。


「……マーレ」


 その名前に想いを添えて呼ぶことはもうないのだろう。

 だから、最後に呟かせて欲しかった。


 たとえ、二度と届くことはなくても。自分の中にある魂は、彼を忘れることなく、ずっと覚えているのだと。ただ、伝えたかった。





 ブレアは窓枠に両腕をもたれるように置きつつ、その上に自身の額を添えた。

 優しい夜の風が静かに、緩やかに、ブレアの頭を撫でるように吹き通っていった。




               決別編 完

     

  

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