別れの時
マーレの葬式当日は朝からずっと雨だった。葬式には教団の関係者が多く出席するらしく、ブレアも葬式の参列者として参加したが、自分は行かなかった。
想像しなくても、マーレの部下や魔物討伐課の人間が自分を見て、嫌な顔をするのは明らかで、こういう日に嫌な思いをさせたくはなかった。
それでも、遠くからなら見ていてもいいのではとアイリスが声をかけてくれたため、少し思案して、頷いた。
雨足は弱くなることはなく、ずっと降っていた。アイリスが良い場所があるからと傘を差して二人で、その場所まで歩いて行った。
その時間がとてもゆっくりと感じたのはきっと、お互いに言葉を発さずに歩いたからだろう。アイリスは自分に気を遣っているのか必要以上のことは話してこなかった。
教団が所有している墓場はロディアートの近郊にあった。広い敷地を有するその墓場の周りは木々で囲まれており、静寂と平穏な雰囲気に包まれている。
墓石が数えきれないほどに綺麗に並び、殉職した者達がそこには眠っているのだ。
アイリスが連れてきてくれたのはその墓場が一望できる丘だった。丘の上に立っている大きな木の下で二人はお互いの傘がぶつからないように、一つの方向を見ながら立っていた。
丘の下に見える、広々とした墓場の端の方に、黒い服と黒い傘を差した一団はいた。数は数えきれないが、参列者はかなり多く、そこからマーレがいかに慕われていたということが分かる。
葬式の列から離れているこの丘の上からでは、声などは全く聞こえないが、きっと涙を流している人は多くいるのだろう。そして、その音はこの雨によってかき消されているのだ。
「……」
黒服の一団の中に自分はそれを見つけた。白い棺桶がそこにはあった。あの中に、マーレは眠っているのだ。
全てを終えて、静かに眠りの時を迎えている。そう思うようにしていた。全てを刻みこむようにじっと見つめていると、自分の左手にアイリスの右手を重ねられた。
だが、彼女の方を振り向きはせずに、ただ真っすぐとマーレの遺体が入った棺桶を見つめたまま、その手を強く握り返した。
静かな雨が全てを持って行ってしまうような気さえした。
白い棺桶が、広く穴の掘られた土の中へと運び込まれる。本当に、別れなのだ。その実感が、今やっと込み上げて来た。
――クロイドか。宜しくな。
最初に会った時、魔犬化した自分が暴れたせいで、マーレはぼろぼろの身体になっていたというのにそう言って笑っていた。頭を撫でられた時に感じた、あの大きな手の温かさが今でも忘れられない。
――ただいま、クロイド。
自分がお世話になっている身なのに、彼はまるで家族のように自分にただいまといつも言ってくれていた。作った夕飯を何度もおかわりして美味しそうに食べてくれていた。料理が上手いと褒めてくれた。
兄にしては離れすぎているし、親にしては歳が近すぎる。それでも、自分は彼のことを家族のように思っていたのかもしれない。それに今頃気付いてしまったのだ。
棺桶の上にスコップで土が盛られていく。二人の人間が、ゆっくりと、ゆっくりと土を盛って行く。
マーレと過ごした時間は一年にも満たない。それでも、大切なのは時間の長さではない。数か月、一緒にいただけでこれほど別れがたくなるのなら、きっと時間の長さは関係ない。
自分の事を叱ってくれた。こんな自分が一緒にいても笑ってくれた。嘆くことなく、ずっと前向きだった彼が凄く眩しかった。その眩しさが自分は好きだった。
ふと雨が強く降ってきた気がした。全ての思い出と言葉と感情が、溢れるように込み上げてくる。
気付いた時には傘を落とし、アイリスの手から離れていた。
「クロイド!」
自分を呼ぶ名前さえ、振り向かずにただ、丘の上から緩やかな斜面を下るように走った。濡れた芝生で足が滑りそうになっても、泥水で服が汚れても関係なかった。
ただ、走った。
嫌だ、まだ別れを言いたくない。
もっと、話がしたかった。自分が前よりも少しだけ強くなったことを知ってほしかった。見ていてほしかった。
「……マーレさん……っ! マーレさんっ……!!」
叫んでも、応えてくれるわけはない。でも、叫ばずにはいられなかった。
涙が溢れて、視界が見えなくなる。それでも、足がもつれそうになりながら走り続けた。
「嫌だ……。マーレさん……!」
自分の家族がまた、眠りについてしまう。もう二度と会えなくなってしまう。大事な人だったと今頃気付いても、もう遅いのだ。彼は目を覚まさない人となってしまったのだから。
白い棺桶の上には土が盛られ、とうとう見えなくなった。
「……マーレ、さん……」
クロイドは立ち止まり、そしてそのまま足が崩れるようにその場に座り込む。濡れた芝生の水分が、
自分の服を冷たく湿らせていく。
頬に流れるのは自分の涙なのか、雨なのかもう分からなくなってしまった。
あの人はもう、いない。ここにはいないのだ。
分かっているのに、それを受け止めきれない。
クロイドは泣き崩れ、芝生の上に拳を叩くように置いた。うずくまるように顔をその拳の上へと押し付ける。
――生きていりゃあ、絶対に自分で想像していなかった何かに出会う可能性は無限にある。それはお前に可能性があるってことだ。お前が自分自身のことを簡単に諦めてやるんじゃねぇ。生きること諦めるんじゃねぇ。誰だって、生きることを許してもらう必要なんてねぇんだよ。お前が笑えるようになるまで、見ていてやるから、しっかりと生きてこい。
自分が教団に入るときに、マーレから言われた言葉が心の中で水面を反響するように響いていく。
本当にその言葉の通りだった。自分から壁を作っていたのに、それを破ってくれる人が突然目の前に現れた。
想像していなかった、様々な出会いに自分は揺れ動かされていった。そして、この呪われた身を拒絶せずにちゃんと受け止めて、前に進もうという気持ちが生まれた。
初めて、強く生きたいと願えるようになった。
自分が見ていた世界の小ささを思い知った。受け止め方次第で、自分も世界も変わることが出来るのだと知った。
全て、マーレの言葉の通りだったのだ。
「……う、ぁ……あぁ……」
むせび泣くことさえできずに、ただ感情のままに涙を吐き出す。
愚かだったのは自分だ。いつかまた会えると信じていたのは自分だ。当り前だと思っていたことが、いつか突然崩れると知っていたのに、それでも信じていた。
ふっと、頬を伝う雨が弱くなった気がした。背中に温かな感触がじんわりと伝わって来る。
「……」
顔を上げなくても分かる。アイリスが自分の背中を支えるように、その細い手を添えているのだ。傍に立って、自分に傘を差してくれているのだろう。
何も言葉にしなくても、彼女の思いは伝わって来る。
泣いてもいいのだと、その温かさが語って来る。今だけはその優しさに甘えてしまってもいいだろうか。
子どものようだと笑われるかもしれない。それでもいまは、泣くことを許して欲しい。
雨が上がったら涙を拭うから、どうかそれまでは泣かせて欲しかった。




