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強い人

 

「久しぶり、だな……」


 掠れたままの声で、マーレは言葉を紡ぐ。一つしか見えていない目がクロイドを映した。


「お前が……教団に入って、そう日は……経って、いないはずだが……。とても、懐かしく……思える」


 言葉の一つ、一つを彼はゆっくりと発した。


「今はブレアさんのところで、元気にやっています。仕事も少しずつ覚えて、今は学園にも通っていますよ」


 クロイドは微笑を浮かべつつ、柔らかい声で言葉を返した。


「ちゃんと呪いの力のコントロールだって、出来ていますし、魔法も覚えました」


「……そうか」


 遠くで、雨音が響いている気がした。


「……出来れば、こんな姿……お前や……ブレアには見せたく、なかったんだがな……」


 彼の身体は動かないのか、それとも動けないように施されているのか、瞳だけが彼の意思によって動いていた。

 そして、その瞳はアイリスを映す。


「……その子は……?」


 クロイドはアイリスの方をちらりと振り返り、掌をこちらに向けつつ、紹介してくれた。


「俺の相棒のアイリス・ローレンスです」


「初めまして。一年前まで、魔物討伐課にいました、アイリス・ローレンスです」


 アイリスは一歩だけ前へと進み、軽くお辞儀をした。本当に一瞬だけだったが、マーレの右目が大きく見開いたようにも見えた。


「……ああ、聞いたことがあるな……。そうか、クロイドの相棒は……君だったか」


 納得したような呟きにクロイドは大きく頷いた。


「……彼女と約束しているんです。いつか……いつか、魔犬を倒して、この呪いを解くと」


 クロイドがそう告げた時、ほんのりとマーレの眼尻が柔らかくなった気がした。


「……そうか。そう、思えるように……なったんだな」


 きっと、クロイドはマーレの言葉を一つ一つ、胸の奥へと仕舞い込んでいるのだろう。ただの思い出になるのではなく、刻み込むように魂に縫い付けているのだ。




「マーレさん、今日はあなたに言いたいことがあって、それを伝えに来たんです」


「ほう……? 何だ?」


 クロイドは一歩、一歩前へと進む。その動きがやけに、ゆっくりと見えた。


「今まで、ずっと意地を張ってばかりで、言えなかったことがあったんです。でも、今の俺ならその言葉をちゃんとあなたに伝えることが出来る」


 動かないマーレの右手にクロイドはそっと自分の右手を添えた。


「俺を助けてくれて……守ってくれて、ありがとうございました。こうやって、今の自分がいるのも、生きたいと強く望むことが出来るようになったのも、全部マーレさんが俺を……俺のことを諦めないでくれたからです」


 アイリスは胸の奥が熱くなるのを感じた。泣いてはいけないと分かっているので、涙は見せない。それでも、クロイドがどんな思いで、その言葉を綴っているのか理解している。


「あなたのおかげで俺は……」


 クロイドは言葉を止めて、はっとしたように顔を上げる。よく見ると、彼の右手がクロイドの手を握るような仕草をしていたのだ。


「その言葉で、十分だ」


 場違いな程に、穏やかで寂しい言葉が響く。


「俺は……自分の価値観を……お前に、押し付けてしまっていないかと、不安もあった……」


 マーレの瞳は一度閉じて、そして再びクロイドへとその視線は向けられる。


「クロイド、お前は……最初から、生への執着が……薄かった。その割には、他人のことばかり……気に掛ける」


 マーレの言葉にアイリスは何となく、自分自身に聞き覚えがあるように思えた。いや、聞き覚えなどではなく、それはクロイドに出会う前のアイリス自身に向けられた言葉と同じものだった。


「そんな優しい奴が……生きたくない、など……思ってしまうことが、俺は悲しくもあり、そして……恨めしくも思った。……世の中には、生きたくても……それを強く、望めない奴だって、いる。俺は……そういう奴もたくさん見て来た」


 何故か、その言葉に今度はブレアが顔をそむけた気がした。


「だから、勿体ないと……思った。少しだけでいい。少しだけ……何か、お前にとって……光になるものを見つけることが出来る、力を……付けさせなければと、思ったんだよ。……今となっては……お節介と言われるかもしれんが」


 クロイドの肩が震えた。それでも耐えるように彼は顔を上げ続けている。


「……そんなこと、ないですよ」


 息を吐くように、クロイドが静かに笑った気配がした。


「俺は……あなたのその価値観に救われたんですから」


「……そうか。……それなら……俺がお前に伝えたことは……無駄じゃ、なかったんだな……」


「ええ。……今はどうか、ゆっくり休んで下さい。そしていつか……魔犬を倒して、呪いを解いたら、また顔を見せに来ますから」


「……そうだな……。それまで、元気で……やれよ。……ブレア、ローレンス家の、嬢ちゃん……。クロイドのこと、頼んだぞ」


 マーレの視線だけが、こちらに向けられる。アイリスは大きく頷いた。


「もちろんだ」


 ブレアも強く、言葉を返しているがその表情は柔らかくはない。マーレは再びクロイドの姿をはっきりと瞳に映してから、その瞼をゆっくりと閉じた。


 長いこと言葉を話すだけでも、体力を使うだろうに、それでも彼は止めなかった。瞳を閉じるまで、クロイドのことを気にかけて、再び眠りにつき始める。


 彼の身体と精神があと、どれほど続くのかは分からない。だが、再び目を覚ましても彼はきっと自分以外の人間のことを気に掛けるのだろう。マーレという人は、きっとそういう人なのだ。


 クロイドは手を離して立ち上がる。その瞳は大きく揺らいではいたが、涙は零れていなかった。ブレアが小さく頷き、アイリスとクロイドはその場から立ち去る。

 すっと後ろを振り向くと、カーテンを閉める、最後の瞬間までクロイドはマーレを見つめていた。


 足音を立てないように静かに病室から出て、扉を閉める。白い廊下が随分と明るく見えて、アイリスは瞳を瞬かせた。


「……ブレアさん、ありがとうございました」


「……」


 ブレアは無表情のまま、クロイドの頭に手を載せる。


「今は何とか繋がっているが……いつ、その時が来るかは分からない。ここ数日はそういう心持ちでいてくれ」


「……はい」


 クロイドの返事を聞くとブレアは小さく頷き、背を向けて歩き出す。思えばブレアが人前で涙を見せたことは一度もなかった。


 昔は強い人は泣かないものだと思っていたが、きっとそれは違う。強いとか、弱いとかは関係ないのだ。

 泣いたらいけないと決められているわけではないのに、強い人は──ブレアはきっと、涙を流すことを自分に許していないだけなのだ。

 アイリスは小さくなっていくブレアの背中を見つめながらそう思った。


 もちろん、泣いてどうにかなるわけではないと分かっている。だからこそ、自分には二人にかける言葉が見つからなかった。


「……アイリス。付いて来てくれて、ありがとう」


 クロイドが表情を幾分和らげて、そう言った。


「……うん」


 大丈夫か、と聞けるわけがない。まるで、泣かないと決めているように我慢しているクロイドの隣で、自分が嘆きを言葉にするわけにはいかないのだ。


 アイリスとクロイドは並んで歩き始める。そして、クロイドは二度と後ろを振り返ることはなかった。






 クロイドがマーレに会いに行ってからの二日後。マーレは自分の部下や同僚に見守られ、静かにその息を引き取った。


      


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