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病室

 

 治療室は医務室の更に奥の部屋にあった。医務室は軽傷を治し、具合の悪い人を看病する場所だが、治療室は違う。

 魔法による治療や世間で施されている最先端の医療も行っており、その対象者は重傷を負った者である。そのため、アイリスも医務室の奥に来るのは初めてに等しかった。


 医務室の中には、負傷した人が寝ているのか、うめき声と医師の話す声が聞こえる。少しだけ、血の匂いもした。


「こっちよ」


 アイリスは治療室がある方向へとクロイドを先導する。治療室の扉が見えて来たと思ったら、「治療室」と書かれたプレートの下ではブレアが腕を組み、背中を壁にもたれさせながら立っていた。


 恐らく、クロイドを待っていたのだろう。クロイドの姿を見つけたブレアは先程と同じ、無表情のままで、もたれていた身体を起こした。


「……来たか」


「はい」


 はっきりと答えるクロイドにブレアはほんの少しだけ面食らったような顔をした。


「治療が終わって、マーレは奥の部屋で寝かされている。……魔物討伐課の奴が傍にいるだろうが、行くか?」


「行きます」


「……そうか」


 何かを納得したようにブレアは静かに呟き、今度はアイリスの方へと視線を移した。


「良かったら、アイリスも来てくれないか? ……元魔物討伐課のお前には、居づらいかもしれないが……」


「気にしないで下さい。クロイドの傍にいるだけですから」


 魔物討伐課だった時に色々と迷惑をかけてしまったので、もしかすると恨んだような目を向けられるかもしれないが、今はそんなことに構ってはいられない。


 ブレアは軽く頷き、二人に中へ入る様に勧める。治療室の扉の向こう側は壁が白く、長い廊下と、壁沿いにいくつもの扉があった。扉の向こうには患者がいるのだろう。


「こっちだ」


 ブレアは躊躇する事無く一番奥の部屋の扉へと向かっていく。


「準備はいいな?」


「……はい」


 力強く頷くクロイドを確認してから、ブレアは扉を軽く叩く。中からは返事が聞こえ、ブレアは扉を開いた。

 瞬間、血の匂いが濃いものとなる。久しぶりに嗅いだ、鉄錆にも似た匂いにアイリスは思わず唾を飲み込んだ。


 室内は小さい灯りしか点いていないため、薄暗く感じた。それ程広くはない部屋に、カーテンがこちら側と遮るように閉めてある。


「誰ですか?」


 若い声が室内の奥から聞こえたと同時に、カーテンの内側から姿を見せた。二十歳くらい短髪の男が、こちらへと歩いてくる。

 アイリスはその男の名前は知らないが、魔物討伐課で見かけたことがあったと思い出す。


「魔具調査課課長のブレア・ラミナ・スティアートだ。マーレ・トレランシアと面会に来た。……様子はどうだ」


「何で、魔具調査課……」


「ロビ、誰が来たって?」


 鼻が詰まったような声とともに、カーテンの向こう側から男がもう一人、顔を出す。そして、その男かアイリスではなく、クロイドを見ると明らかに嫌そうな顔をしたのだ。


「おい、お前……」


 男はクロイドの前へと立つと上から下まで見てから、表情をさらに嫌悪感をこちらに伝えるように歪んだものにした。


「お前、ペスコ村の教会で暴れた奴だろう?」


「……」


 どうやら彼はクロイドのことを知っているらしい。


「え、もしかしてマーレさんが一時期、預かっている子どもが居たって聞いたけど、そいつだったのか?」


 ロビと呼ばれていた男もクロイドの方へと近付いてくる。病室には二人とマーレ以外いないのか、他に声はしない。

 嫌そうな呟く声だけが、そこに響く。


「俺はしっかり覚えているぜ。あの時、俺も任務に同行していたからな。……それで? マーレさんに守られていただけの弱虫が今更、この人に何の用だ?」


 よく見ると男二人の目は赤く、そして目元は腫れていた。怪我をしているのか、一人の右腕には包帯が巻かれている。


「……マーレさんに会いに来た」


 一歩、クロイドは前へと出る。まさか言葉を返されると思っていなかったのか、二人は少し驚いたように後ろへと一歩下がった。


「あの人に言いたいことがあるんだ」


「はっ……。別れの言葉でも言いに来たのかよ? それなら、お断りだな。……言っておくが、課長を連れて来たって通しはしないからな」


 男がブレアの方をちらりと見やる。ブレアの表情は一つも動くことはなかった。


「マーレさんは今、眠っている。今後も関係者以外の面会は遠慮してもらいたい」


「……その関係者って、どこからどこまでが関係者の内に入るの?」


 それまで黙ってみていたアイリスはつい、口を出してしまった。男二人はすぐにアイリスの方へと視線を向けて、すぐに眉を深く寄せた。


「……君は確か、去年くらいにうちにいた……」


「ローレンス家の魔力無し(ウィザウト)か。お前の方こそ、関係ないだろう。口出ししてくるんじゃねぇ」


 語気は強いが、カーテンの向こう側で寝ているマーレを気遣っているのか、男達は小声でそう言った。


「確かに私自身は関係ないわ。でも……マーレさんの関係者という括りにどうして、彼が入らないって言えるの?」


 アイリスの言葉にむっとしたのか、男の一人が舌打ちをした気がした。


「同じ討伐隊の隊員であるあなた達にとって、マーレさんが大事な人だっていうなら、それはきっと、マーレさんにお世話になった彼も同じよ。そこに違いなんてないわ」


「……」


 クロイドが少しこちらを振り返った。揺れるように動く瞳の中に自分の姿が見えた。



 その時だった。


「──誰か……いる、のか……?」


 低く苦しそうな声が奥から聞こえ、はっとしたマーレの部下二人は急いで、カーテンの向こうへと消えた。


「マーレさん、俺です。クラップです」


「……クラップ……ロビもいるのか?」


「はい。いますよ」


「すまねぇな……。よく、見えなくて、な……。……リーシャと……ホサイン、は……」


 絞り出される微かな声は震えていた。それでも自分以外の誰かを彼は心配しているようだ。

 クロイドの方を見ると、何かを堪えるように、口を一文字にして、拳を震わせていた。


「二人とも、無事です。怪我はしましたが、命に別状はないです。今は医務室で寝ています」


「あまり喋らないで下さい。安静に……」


「──そこに、誰か……いるな?」


 マーレの言葉に、男二人はぴたりと口を閉じた。クロイドの目は大きく見開かれる。マーレは重傷を負っているというのに、カーテン越しの気配に気付いたようだ。


 男二人は何と答えればいいのか迷っているらしく、マーレの問いには答えない。その代わりに答えたのがブレアだった。


「私だ。ブレアだ」


 ブレアは一歩踏み出す。


「……ブレア、か」


「お前が重傷を負ったと聞いて、様子を見に来た。思ったより元気そうじゃないか」


 冗談のように彼女はそう言ったがその顔は笑ってはおらず、苦渋で溢れていた。カーテン越しのマーレが低く笑ったのか、微かにそのような吐息が聞こえた。


「油断は……して、いなかったんだがなぁ……。俺も、どうやら歳、だろうな」


「まだ、若いだろう。……休める時に休ませてもらうんだな」


「ふっ……。……ブレア、そこに誰かいる、のか? お前の魔力じゃない、波動……を感じる」


「さすがだな。……クロイドを連れて来た」


 誰のものだったからは分からない。誰かが、息を引き攣ったように吸った音が微かに聞える。


「……クロイド?」


 はっきりと呼ばれた名前に、クロイドの身体が震えたように見えた。アイリスはそっと彼の背中に手を添える。温かさをそっと渡すように。

 クロイドは何かを決めたのか、ぐっと喉の奥へと飲み込んで、顔を上げる。


「──はい。お久しぶりです、マーレさん」


 カーテン越しのマーレに向かって、クロイドは穏やかな声ではっきりと声を張った。


「……久しぶり、だなぁ……」


 穏やか過ぎる声に、クロイドは唇を噛んでいた。


「……クラップ、ロビ……。すまないが、席を……外して、くれないか。リーシャ達の……様子、見てきてくれ」


「えっ……」


「ですが……」


「頼む」


 マーレの頼みに男二人は黙り込み、そしてその言葉に従うようにカーテンの向こう側から出て来た。

 その表情は納得出来ないといったもので、部屋から去る前に二人はクロイドとアイリスを軽く睨んでから出て行った。


「……クロイド、こっちに来なさい。アイリスも」


 ブレアの言葉にクロイドは身体が強張っているのか、動きが不器用に見えた。アイリスは背中を支えつつ、彼と一緒にカーテンの向こう側へと入る。

 血の匂いが、鼻の奥を貫いていく。


 カーテンの中に入り、アイリスの視界に最初に入って来たのは、ベッドに寝かされているマーレの姿で、その身を囲うように薄緑に光る魔法陣が浮かんでいた。何の魔法が彼に施されているのかは、聞かなくても分かっていた。


 魔法陣に描かれている文字を見ればすぐに分かる。これは感覚をなくすものだ。恐らくマーレの身体中を巡る痛みを抑えるため使用されているのだろう。


 初めて見たマーレの姿にアイリスは気付かれないように唇を噛む。彼の左腕はなかった。

 左目と頭部に包帯が巻かれ、それに血が滲んでいる。上半身には全て包帯が巻かれており、その包帯には魔法の文字が細かく書かれていた。


 痛みを抑えるもの。出血を止めるもの。腐敗を防ぐもの。接続させるもの。


 今、この魔法の全てがマーレの生を留めているのだ。この魔法を消せば、彼はすぐに痛みと出血により、苦しむだろう。


 だが、これらの魔法の効果にも限界はある。それは、魔法を受ける側の身体に負担がかかることから、体力をかなり消耗してしまうことだ。

 つまり、この魔法の持続は、マーレ自身の体力によって保たれているのだろう。


 これ程までに、重傷を負っているならば、自身の体力で魔法の効果を持続させるなど、並大抵の人では出来ない。アイリスは改めて、このマーレという男の力と精神の強さを実感した。


     

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