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証明

 

「クロイド」


 自分が口出しすべきことではないと分かっている。ただ、彼の様子が気になったアイリスは出来るだけ穏やかな声で、名前を呼んだ。

 ゆっくりとクロイドがアイリスの方へ身体ごと向けた。


 涙が出そうで、でない。そういった表情のまま、どうすればいいのか分からずに、手を泳がせて、自分の顔を覆ったように見えた。


「……あの人は……俺の恩人なんだ」


「うん」


「俺が……魔物として討伐されずに済んだのは、あの人のおかげなんだ」


「……うん」


「心も剣も強い人で……。豪胆で、強引で……でも、凄くおおらかで優しい人で……」


 信じられないのだろう。

 全てを受け入れることが、出来ずに彼は息を浅く吐くことを繰り返す。


「分かって……いるんだ。でも、あんなに強い人が……」


 ふらりとクロイドの身体が揺れた気がして、アイリスはすぐに彼の傍へと駆け寄り、背中を腕で支えた。


「……すまない」


 弱々しく謝る言葉に覇気はなく、表情も虚ろだ。アイリスは彼の身体を軽く押して、すぐ近くにあったソファに座らせることにした。

 雨足が少し、強くなったのか窓を叩く音が大きくなる。それでも、クロイドの浅い、呼吸の音はしっかりと聞き取れた。


「……」


 アイリスは立ち上がり、お湯を沸かし始めた。お茶を飲んだくらいで、彼が落ち着けるとは思わないが、自分が何かしていないと、落ち着かなかったのだ。

 時間を計りつつ、お茶をカップへと注ぐ。その間もクロイドは頭を抱えるように、顔を手で覆ったままなので、表情が見えなかった。

 陶器が、物に当たって音が鳴った。クロイドは顔を上げて、隣に座ったアイリスを見る。


「……気を遣わせてしまって、すまない」


「何度も謝らなくていいわ。……私だって、大事な人に何かあれば平静でいられる自信、ないもの」


 目の前に置かれた紅茶のカップをクロイドはじっと見つめる。無言はどれくらい続いただろうか。時計はあるのに、時間が動いたのかさえ感じられない程、にそれは長く、短かった。




「……会いに、行かなくていいの?」


 思わず、口にしてしまった。


「……最後の別れを告げに、か?」


「そういう意味じゃないわ」


 すぐに返事を返したが、それでもその先の言葉を続けることが出来なくなり、アイリスは黙り込んでしまう。


「……すまない。これじゃあ、八つ当たりだよな」


 三度目の謝罪の言葉にアイリスは首を横に振る。


「──ねえ、聞いてもいい? マーレさんとあなたのこと」


 自分の知らない、クロイドのことを胸に収めておきたかった。


「あなたがそんな気分じゃないなら……」


「いや」


 はっきりと、彼はそう言って、首を横に振った。


「まだ、アイリスには話していなかったからな」


「……教えてくれるの?」


 こくりと首を縦に振り、クロイドはアイリスの淹れた紅茶にやっと口を付けた。ほっと、息を吐いてから、彼は窓の外を眺める。


「前に話した続きだ。……一年前、初めて魔犬化した時、俺を討伐しにきたマーレさんとそこで会った」


 マーレは他の団員の反対の声を聞かずに、暴走したクロイドを力でねじ伏せ、即決で引き取ることにしたという。

 教団側にクロイドを預かると伝えた時にはやはり反対の声もあったが、「魔犬」という伝説級の魔物が関わっていることから、情報を得るためにマーレによる預かりは許可されたらしい。


 さすがに教団に連れて帰るわけにはいかず、マーレが間借りした部屋にクロイドを住まわせて、そして魔犬化する呪いをコントロールできるように、魔力を操る特訓を施してくれたのだ。


「魔法は教えてくれなかったが、彼のおかげで俺は自分の意思で魔犬化の力をコントロールできるようになったんだ」


 彼は自分の右手をじっと見つめる。クロイドがどれほどの努力をしてきたのかは、自分の物差しでは想像できなかった。

 自分が剣を鍛えて来たようにクロイドもまた、自分自身を保つために必死だったのだ。


「……最初はこんなこと、何の意味があるんだって、思っていた」


「え?」


「力をコントロールできるようになっても、魔犬の呪いがかかっていることは変わりないからな。この呪いは誰かを傷付けるものだから、討伐されるなら、それでもいいと思っていた。死ぬのは遅かれ、早かれ、そんなに違いはないと……そう言ったら、怒られた」


「マーレさんに?」


 クロイドはこくりと軽く頷く。


「自分の命を大切に出来ない奴が、他の奴の命のことを守った気でいるんじゃないって……」


「……」


「今思えば、凄く眩しい人だった。いつも前向きで、挫けたりしないで、誰かのことばかり考えていて……。ああ、そういう点ではアイリスと似ているかもな」


「私は……ただ、お節介なだけだもの」


 そして、今も彼に対してお節介を焼いているようなものだ。


「普段は優しいが、特訓する時は凄く厳しかったな……。コントロールが失敗するとすぐに魔犬化するから、それを無理矢理抑えるために、何度も気絶させられたし、青い痣が出来ては消えていくのを繰り返していた。……でも、あの人は呆れたりしないで、ずっと俺に付き合ってくれていた。面倒見も良かったんだろうな。仲間からも慕われているようだったし」

 

 アイリスは会ったことのないマーレの人物像を想像してみる。


 恐らく、クロイドにとってのマーレは、自分にとってのブレアのような存在なのだろう。保護者でもあり、師匠でもある。見えないものでしっかりと繋がれた、そんな存在だったのだ。


「そして、俺が正式に教団の監視下に置かれると決まった時、マーレさんは俺が不憫な思いをしなくていいようにと彼の後任として、ブレアさんに俺の面倒を見てくれるように掛け合ってくれたんだ。ブレアさんはマーレさんから俺の事を詳しく聞いていたのか、たまに俺の様子を見に来てくれていたから、少しだけ心許していた」


 ふっと、クロイドが息をもらした音が聞こえた。


 クロイドは教団の監視下に置かれるとともに、「魔犬」としての情報を得るための情報源にもなっていたらしい。そのことから、「魔犬化するその日」が来るまで、命と生活が保障されることになったという。


 クロイドはその後、寮生活をするために、マーレの部屋から出ることとなり、マーレも任務のため、遠い地まで行くことになった。


「別れの日、あの人は俺にこう言ったんだ。──生きていれば、絶対に自分が想像していなかった何かに出会う可能性がある。だから、自分自身を諦めずに、生きることを諦めずにいて欲しいって。……そう、言ったんだ。だから、俺は……」


 そこで、クロイドの顔が再び、両手で隠されるように覆われる。泣いているのかどうかは分からない。


「いつか……いつか、ちゃんと笑えるようになったら、あの人に……お礼を言いたかったんだ。あの頃の俺は、自分自身に絶望してばかりで、自分のことを蔑ろにしていた。でも、あの人はそんな自分と居ても、文句ひとつ言わずに、接してくれていた」


 吐き出される言葉に、後悔が滲んでいるように聞こえた。言いたくても言えなかった言葉。それはきっと、その時の彼には言えなかった言葉だ。


「俺のことを、あの人が諦めないでくれたから、俺はこの課に入れて、そしてアイリスと出会えた。生きたいと強く願えるようになった。呪われた奴でも、笑っていてもいいと教えてくれたから……」


 雨音はさらに強まっていく。まるで、クロイドの本心を隠す手伝いをしているように思えた。


「……今、あの人に会ったら、俺はきっと笑えなくなる。絶対に泣いてしまうだろう。そんな表情は見せたくないんだ」


「それがマーレさんに会いに行くことを躊躇している理由の一つなの?」


「ああ」


 クロイドは短く答えた。彼は最後の挨拶をしたくないだけではなく、自身の泣き顔を見られたくないのだ。

 マーレの教えを守るために。


「……」


 でも、それじゃあ駄目だ。お節介だとは分かっている。嫌がられるかもしれない。それでも、自分はクロイドに一つの提案を差し出す事しかできない。

 アイリスはすっと立ち上がった。クロイドが何事かと、アイリスの方へ視線を向ける。


「行きましょう、クロイド」


 はっきりと言い放った言葉にクロイドは目を見開く。


「だが……」


「別れの言葉をかけに行くんじゃないわ。……あなたが心に想っている大事なことを伝えに行くの」


 アイリスはクロイドに向けて、右手を差し出した。


「泣き顔を見せたくないなら、カーテン越しでもいいし、私の後ろに立っていてもいいわ。今までマーレさんに、言えなかった言葉をちゃんと伝えて」


「アイリス……」


「お願い。……私も一緒に行くから」


 クロイドはアイリスの差し出した手を取ろうかと迷っているように見えた。


「……一緒に、背負うなら、どんな感情も半減するでしょう?」


「……っ」


 クロイドの表情が何かを堪えるように歪んだ。


「それに自分で言うのも何だけれど、私が居ればあなたがマーレさんの言っていたことを守った証にならないかしら?」


「それは……」


「──この先、私と生きてくれるんでしょう?」


 小さく、アイリスは笑みを浮かべる。アイリスの言葉にクロイドははっとしたような表情をした。


 クロイドが自分に言ってくれた言葉だ。一緒に生きていきたいと、ずっと一緒に居たいと。

 その言葉は彼の意志が見えない形となったもので、その言葉だけでも、彼が生きることを諦めていないと伝えるための証明になると思うのだ。


「……アイリス」


 クロイドがアイリスの差し出した手を両手で覆うように握った。そして、自身の手に額を押し付ける。


「情けないところを見せるようで、悪い。でも……どうか、付いて来てくれないか」


 絞り出された言葉は縋っているわけでも、嘆いているわけでもない。

 そこに見えたのは強い意志。何かを決断した時の表情がそこにあった。


「……ええ、もちろんよ」


 その手の内にある温もりを分け与えるように、アイリスは強く握り返した。クロイドが足に力が入ったのか、今度は真っすぐと立ち上がる。


「──行こう、治療室へ」


 アイリスはクロイドの顔を見上げた時、もう、彼の心も身体もふらついてはいなかった。


   

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