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雨音

 

 それは雨が続く日だった。急ぎの任務もなく、アイリスとクロイドは魔具調査課で書類整理をしつつ、簡単な掃除をしていた。

 他の先輩達は他の任務か、もしくはまだ出勤してきておらず、室内はクロイドと二人きりだった。


「……中々、雨が止まないわね」


 アイリスは窓の向こう側を覗き込むように見つつ、溜息を軽く吐く。


「先輩達、びしょ濡れで帰ってこないといいけどな。拭くものを一応、用意しておくか」


「そうね。確か、こっちの棚にタオルがしまってあったと思うけど……」


 壁沿いにある棚から、タオルを取り出そうとした時だった。

 魔具調査課の扉が勢いよく開いたのだ。


 あまり、乱暴に開かれることのない扉に驚いたアイリスとクロイドは同時に振り返る。そこにいたのは、ブレアだった。

 その表情は険しく、決して穏やかなものではなかった。


「ブレアさん、どうしたんですか……」


 平常ではないその雰囲気にアイリスは何かを察する。


「……クロイド」


 ブレアは扉を閉めて、真っすぐとクロイドのもとへと歩いた。


「いいか、落ち着いて聞いてくれ」


「はい?」


 一つ、呼吸をしたブレアが何かを覚悟したようにそれを飲み込み、言葉を静かに発した。




「──マーレが……危篤だ」


「っ……!」


 クロイドの表情が一瞬で、恐ろしいものを見たような、そんな顔へと変わった。アイリスはマーレという名前に何となく聞き覚えがあったが、誰だったか思い出せず、記憶の糸を手繰る。

 そして、自分の中で一人だけ知っている人物の名前を思い出した。


「あの、もしかして……。『(パンデラ)』隊のマーレ・トレランシア隊長ですか? 魔物討伐課の……」


 自分も元は魔物討伐課にいたため、その名を知っていた。


 直属の上司ではなかったので、顔を見た事ある程度にしか知らないが、遠征部隊と呼ばれる討伐隊の隊長をしていた彼は、地方に出現した強い魔物を中心に討伐し回っていると聞いている。

 実力は魔物討伐課の中で上位に位置しており、教団内で行われた剣技の大会では何度か優勝しているらしい。


「そうだ。……ああ、アイリスは魔物討伐課だったから、知っていたか。彼は私の兄弟子の一人でね。……クロイドの事を私に任せてくれたのは彼なんだ」


「そう、だったんですね……」


 ちらりとクロイドの方を見ると、尋常ではない様子で目を大きく開いたまま固まっている。

 恐らく、知り合いよりももっと親しい関係なのだろう。そんな人が危篤だと言われて、平常でいられるわけがない。


「……マーレは任務の最中に力の強い魔物と遭遇して、重傷を負ったらしい」


「……あの人が……そんな簡単に傷を負うはずがありません」


 絞り出したような言葉に同意するようにブレアは短く頷いた。


「ああ、もちろん、私もそう思った。……その魔物は逃げたらしいが、恐らくどこからか召喚された魔物だとマーレの仲間たちが言っていた。……契約紋がその魔物にはあったそうだ」


「契約魔、ですか?」

 

 創られた召喚獣とは一時的な契約を交わすが、契約魔は違う。

 元々存在している魔物や別次元に住まうものを自分の僕として半永久的に縛り付けることが出来るのだ。力の強い魔物を縛り付けることが出来るのは余程、魔力が高いか召喚魔法に長けている者くらいだろう。


「誰かの契約魔が人を襲ったということですか? そんなこと……」


 そのようなこと、今まで耳にしたことはない。契約魔は契約している主の命令を忠実に従うと聞いており、教団内で魔物と契約している人は、人を襲わないように命令をしているらしい。


 もちろん、教団の規則で契約魔による暴走は禁止されているため、契約魔が誰かを襲うようなことはないはずだ。


「教団で使われている契約紋ではなかったらしい。教団に所属していない魔法使いが編み出したものか、それとも……別の魔法使いによるものなのか……」


 だが、アイリスが気になったのは、契約魔よりもクロイドの様子だった。彼は心ここにあらずと言った様子で、放心したままだ。


「……クロイド」


 ブレアが静かに名前を呼ぶ。


「お前が動揺する気持ちも分かるが……。だが、万が一の場合のために、そういう心持ちでいてくれ」


 やっと我に返ったクロイドがぎこちなく、ブレアの方へと頭を上げる。


「そういう心持ちって……。あの人はっ……! あの人は……」


 息を初めてした時のように、クロイドは小さく喘いだ。


「どうして、そんな事、言うんですか。ブレアさんにとっても、あの人は大事な……」


「クロイド」


 先程とは違って、鋭い声がそれを遮る。


「これは事実だ。事実は受け止めなければならない。私も一度、様子だけを先に見てきたが……。マーレの仲間と医師達が総出で彼の延命治療を行っているが、長くは持たないだろう」


「っ……」


 クロイドは何か言葉を吐きだそうとしたが、ブレアの冷めたように鋭い視線を見て、それを留めた。


「命は何度か途切れそうになったが、今は繋がっている。それでも、次の山場が来たら……あの身体は耐えられないだろう」


 そのマーレという人物がどのような重傷を負っているかは、話の内容だけでは詳しくは分からない。それでも、ブレアが真剣な表情で言うからには、相当の深手を負っているに違いない。

 クロイドは事実を受け止めきれないのか、右手で口を覆い、何かを抑え込もうとしていた。


「今は緊急用の治療室にいる。幸いとは言い難いが、魔物と遭遇した位置がロディアート近郊だったから、すぐに教団の治療室に運ぶことが出来たらしい。……魔物討伐課では、その契約魔を別部隊が追跡していると聞いている」


「……」


「会うなら、今しかない」


 クロイドは今にも泣きそうな表情で、ブレアを睨んだ。


「それはどういう意味なんですか!?」


「意味など、一つしかない。別れの挨拶をしてこい、と言っているんだ」


 窓の外で降っている雨の音が、やけに大きく聞こえた気がした。


「いいか、クロイド。私達がいる、この魔法の世界では死と隣り合わせなんて、珍しいことじゃないんだ」


 だが、アイリスにとって、ブレアの言葉はまるで彼女自身に言い聞かせているようにも聞こえた。


「魔法も魔物も、未だに知られていない部分が多い。危険がないなんて、ありえないんだ」


「それじゃあ、仕方ないって言うんですか!? あの人のことを……犠牲が出ることは、仕方ないと……!?」


 ブレアに食って掛かるクロイドの態度は、アイリスが初めて彼の前で怪我をした時と似ていた。


 アイリスは魔物討伐課に居たので、魔物討伐の任務に危険が付き物なのは理解していた。重傷まではいかないが怪我をしたことは何度もあるし、他の団員だって、深い傷を負っている人は何度も見たことがある。それでも、命を落とすほどに危険な任務を任されたことはなかった。

 

 理解していても、それでも感情は追い付かないのだろう。


 この教団は、この国と市民を魔物や違法な魔法から守るために作られた。そしてそれは、魔力を持った者達自身も自らを害するものから守るためでもあった。

 だが、想像しているよりも危険なことが多いのは事実だ。


「……時間はないんだ」


「っ……」


 吐かれた言葉をクロイドは飲み込めずにいた。


「会うなら、すぐに治療室前まで来い。会うことが怖いなら、ここにいると良い」


 ブレアにしては珍しく、突き放すような物言いだった。だが、それほどまでに事態は悪いのだろうとアイリスは静かに察していた。


「……私は暫く、治療室にいる。アイリス、任務中の奴らが帰ってきたらそう伝えてくれ」


「あ、はい……。分かりました」


 アイリスの返事を聞いたブレアは色のない表情でクロイドを一瞥すると、すぐに背を向けて、扉の向こうへと行ってしまう。


 その場に再び、二人だけが取り残されたが、空気は湿度よりも重いものへと変わっており、静けさを打ち消すように、雨音だけが空しく響いていた。


   

   

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