白い敵
他の隊員達はマーレの指示を待っている。マーレも最善の方法を考えていた時だった。
食事をしていた竜がふっと顔を上げて、こちらへと勢いよく振り返ったのである。
「っ!」
竜は自分達がここにいることを完全に気付いたらしく、前足に持っていた魔物の肉をその場に落とすと、引き攣ったような声で鳴いた。
明らかな敵意が含まれた鳴き声にマーレは咄嗟に指示を飛ばす。
「全員、一時撤退! 距離を取り次第、リーシャ達は魔法で奴を束縛しろ!」
「はい!!」
だが、マーレの指示よりも速かったのは竜の動きだった。白い竜は翼を広げて、風を起こすように羽ばたかせたのである。
突然、その場に発生した強風に耐えるようにマーレは己の剣を地面に突き刺して、支えにしながら風が通り過ぎるのを待った。目を瞑って、腰を落としていなければ、すぐにでも飛ばされそうな強い風だ。
まるで、魔法によって作られたもののようにさえ思えた。
しかし、鈍い音と声が二つ分その場に響き渡る。
「ぎゃっ……」
「ぐっ……」
突風が通り過ぎた後に急いで、後ろを振り返るとそこには身体を吹き飛ばされて、大木に強く打ち付けられてしまったリーシャとホサインの姿があった。
二人とも、強く身体を打ったのか、木の根元に倒れており、歪んだ表情のまま目を瞑っている。
竜の一瞬の攻撃によって気絶したらしい二人の名前を叫びたい衝動を強く抑えつつ、マーレを地面に突き刺した剣を素早く抜いた。
「ロビは二人を安全な場所まで退避させろ! クラップ! この辺り一帯に竜が逃げられないように巨大な結界を張ってくれ! あと、森の近くに人家があったはずだ。上手い事言って、外に出ないように注意喚起して結界張って来い!」
「は、はい!」
「了解です!」
竜からの突風の攻撃に耐え切ったクラップとロビに鋭い指示を飛ばしつつ、マーレは剣を掲げて、竜の前へと飛び込むように姿を見せる。
「――風斬り!!」
風魔法の呪文を詠唱しつつ、マーレは剣を振り下ろし、瞬間的に形成した風の刃を竜に向けて放った。
しかし、風魔法は竜の得意技らしく、竜が翼を羽ばたかせただけで、マーレが放った攻撃は空の上へと押し戻されるようにしながら消されてしまう。
……この際、こいつが狩猟禁止の竜だろうが、何だろうが関係ねぇ。殺してはいけないと決まっているが、弱らせてはいけないとは決まってねぇからな。
人命を優先的に考えたマーレはとりあえず、この竜らしきものを弱らせて、確保することに決めた。ただし、竜と戦闘したことはないため、相手の戦闘能力は未知数である。
とりあえず、攻撃をするなら風を作り出す翼か前足だろう。
「おらぁっ!」
剣を水平に構えつつ、突撃するようにマーレは竜に向けて渾身の一撃を放った。
「っ!?」
竜の前足に刃を立てたというのに、剣は貫通してはいなかった。それどころか、少しも突き刺さることがないまま、マーレの剣を弾いたのである。
手に残る感触は、まるで鉄の塊に刃を立てて、衝撃が揺れるように響いて来るものだった。痺れる手を我慢しつつ、マーレは少しだけ顔を顰める。
「……おいおい、冗談きついぜ。鱗がこれ程、硬い奴が居て堪るかよ……」
マーレはすぐに後方へと飛ぶように引き下がり、額に冷や汗を浮かべつつ、自嘲するように苦笑いする。
今まで、散々戦ってきた魔物の中にも皮が分厚い奴や、鱗が硬い奴はいたが、それでも剣先を少しだけ突き刺すことは出来ていた。
今の一撃は、自分の最も得意技である突きの一撃だ。その一撃をこの竜は鱗で完全に防いだのである。
ただの竜ではないのは確かだ。
「……風斬り」
マーレは気後れすることないまま、冷静に先程と同じ呪文を呟いた。今度は手に持つ剣の刃に風を纏わせてみる。これで普通の剣よりも攻撃力は格段に上がっているはずだ。
間合いを取りつつ、マーレは竜を睨む。竜の潤んだ瞳は深い海のように青く、そして首元辺りに何かの紋らしきものが目に入って来た。
……何だ、あれは? 見た事のない紋だな……。
距離を取っているため、文字のようなものが書かれているのは分かるがはっきりとは見えない。それでも見た事はない紋であるのは確かだ。
……あとでゆっくりと調べるか。
今は戦闘に集中するべきだろう。マーレは構え直し、もう一度、竜に向けて突きの一撃を放った。風魔法を纏った剣は、今度は防がれることなく、竜の前足へとしっかりと突き刺さる。
「――炎舞の風!!」
剣を突き刺したまま、マーレは炎魔法の呪文を唱える。剣の内側から炎が発生しては、突き刺した竜の足の内側を燃やすように炎を上げた。
「――っ!!」
竜が金切り声に近い耳に強く残る叫び声を上げる。それを無視したまま、足を切り落とそうと更に力を込めた時だ。
「っぐ……」
突然、真後ろから攻撃を受けたのだ。マーレの背中辺りに痺れるような痛みが走ったのである。
視線だけを素早く動かすと、竜は自らの尾でマーレを攻撃してきたようだ。尾は地面を何度も叩きつけながら、鞭のようにしなっている。
「ちっ……」
任務をする際には常に防御魔法を己にかけているのが幸いしてか、背中の骨は折れずに済んだようだ。マーレは追撃することを止めて、剣を引き抜きつつ、再び間合いを取った。
だが、予想していなかった事が次の瞬間、目の前で起きたのである。
確かに傷付けたはずの竜の前足は傷による穴が深く開いていたというのに、少しずつ傷口を閉じるように塞いでいく。その光景にマーレは思わず、口が開いてしまいそうになった。
「……こいつは、まずいな」
どうやらこの竜は自己修復する力も持っているようだ。その力は半端なく早いもので、こちらがいくら傷付けても、早い時間で傷が塞がれてしまうことは明白だと告げている。
明らかな敵意が、少しずつ殺意に変わっていく気がしたマーレは唇を噛みながら、剣を構え直す。いつも任務は本気で取り組んでいるが、今はいつも以上に本気にならなければ、簡単に返り討ちになるだろう。
「……負けねぇよ」
奮起するように一言呟き、マーレは歯を強く食いしばる。
竜は尾でも攻撃してくるため、前足よりも尾を先に切り落とした方がいいだろう。再生か、修復する前に上手く取り押さえるしかない。
殺意の込められた竜の青い瞳は真っすぐとマーレの姿を映している。
「……俺を食っても、筋肉ばかりで美味くねぇぞ?」
冗談交じりにそう言っても聞く相手ではないだろう。
今は動けるクラップとロビがここに戻って来るまでの時間を稼ぎ、三人で一気に攻撃を畳み掛ける方が一番の良策だと思える。
過信しているわけではないが、これでも自分の実力はそれなりにある方だ。だが、正直に言えば、たった一人でこの竜らしきものと交戦するのは得策ではないとすぐに察していた。
深く息を吐いてから、マーレは足に力を入れて竜に向けて、強く一歩を踏み出した。
その日、森周辺では地震が起きたのかと思われる程の振動が数度に渡って起きていた。
地響きにも似た現象に、森周辺の人家の主たちは一体何事だろうかと首を傾げていたが、特に何かの被害は無かったため、一度は安堵していた。
しかし、地響きの現象が起きたあとは、数日間に渡って、森の中に入れないようにと規制されるようになったのである。
住人達は不安を募らせていたが、人を襲う獣が出たため、専門の狩人が獣を討伐するための規制だと人家を見回って来た狩人らしき者達に説明されたという。




