拳の言語
「よーし、この調子で残り二冊も見つけるぞー!」
そう言って、ナシルが意気込んだ時だった。
「あ」
ミカの小さな呟きに、その場の全員が振り返る。
空中を漂うように飛んでいたのは、白い本だった。その飛び方はとても優雅で、遠くから見れば、白い鳩にも見えなくはないだろう。
「いたーっ!」
先程の本とは違って、低飛行していため、ナシルはこの機を逃すまいと、眼鏡に指先を当てる。
「『記憶の瞳』!! 記録――静止の魔法、発動!」
瞬時に、床に淡く光る魔法陣が出現し、そのまま宙を飛んでいる本目掛けて、勢いよく上昇した。
だが、その魔法が本に触れる瞬間に、本は急に進路変更をしたため、魔法は不発となる。
「あーっ! もう、面倒だなぁ!」
ナシルはがっくりと肩を落とす。
「ナシルの魔法は魔法陣の円に触れないと魔法が発動しないからねぇ」
「つい、慌てちゃって、小さな魔法陣しか再現出来なかったんだよっ」
どうやら、再現できる魔法陣の大きさまで決められるらしい。
すると、今度はミカが万年筆を取り出して、宙に向けて、文字を書きだし始める。
「――『捕縛』」
宙に浮かぶように書かれた金色の美しい文字は、きらきらと光りを帯びている。ミカは自分で書いた文字を指先で軽く弾いた。
ふわふわとゆっくりと揺れ動きながら、「捕縛」の文字は白い本へと近付いていく。
本の方も何かが自分に接近してくると思ったのか、瞬時にそれを避けようとするが、それでも文字はしつこく、付いて回っているようだ。
「文字って、消えないんですか?」
不思議に思ったのか、クロイドがミカに訊ねた。
「うん。俺が魔法を解くか、もしくは対象の物体に触れない限り、そこに留まるよ。まぁ、文字自体に魔力がこもっているから、その魔力が消失したら、消えることもあるけど」
そんな事を言っているうちに、「捕縛」の文字は追いかけていた本にすっと触れては、溶けるように吸い込まれていく。
本は急にぴたりと動きを止め、そして浮遊する力を失ったのか、そのまま垂直に落ちてくる。
「おっと。……はい、捕獲完了~」
どこか得意げな表情で、ミカは宙から落ちて来た本を受け止めて、表紙を見せてくる。表紙には「汚れなき鳩」と金色の文字で題名が書かれていた。
それをミカが所持している鞄の中へと詰め込む。
「これで、三冊揃ったね。あとは残り一冊かー」
「あ、それなら先程、向こうの方で魔力反応がありましたよ」
アイリスはこっちだと言うように、自分がさっき探していた方向へと歩いていく。
「思ったよりも、早く終わりそうだねぇ。今日は夕方までには帰らないといけないから、本当に助かったよ」
「でも、あんまり早く帰り過ぎても、準備出来てないんじゃ……」
すると、ナシルがミカの口を素早く塞いだ。
「んぐふっ……」
「何で、ミカはすぐに口に出すかなぁ!?」
「もがっ……。ナシ……んぐっ……苦しっ……」
その光景を見ていたアイリスとクロイドの視線にはっとしたのか、ナシルはミカの口を塞いでいた手をさっと放した。
「あっ……。あはは……。気にしないでっ!」
何か、二人の間で通じる話なのだろう。アイリスとクロイドは曖昧に笑って、頷くことにした。
・・・・・・・・・・
「この辺りに、魔力反応があったんですけど……」
アイリスは先程、自分が調べていた本棚を指さした。
「確かに魔力の気配はあるね」
きょろきょろとナシルは周りを見渡す。クロイドも魔力の気配を辿っているようだが、その所在を掴めずにいるようだ。
「隠れるのが上手いのか、特定するのは難しそうだ」
にやり、とナシルが口の端を上げて笑ったのが見えた。ナシルがもう一度、眼鏡に指を添えて、大きく言葉を発した。
「『記憶の瞳』。――結界、発動!!」
ナシルの言葉を顕現するように、本棚を丸ごと囲む程に大きな魔法陣が出現する。その円を垂直に縁取るように透明に光る結界がその場を囲んでいった。
「ふはははっ! これで、簡単には逃げられまい!」
「なるほどー。飛ぶ範囲を狭める作戦かー。ナシルにしては良い案だ」
呼吸が整ったのか、ミカが疲れ切った表情で感心するように頷く。
「……ミカ。あんた、所々で私を馬鹿にしてないか?」
「してないよ。本当、本当。凄く、尊敬してる。ナシル、いつも、凄いって思っているよー」
明らかに分かる程の、棒読みである。ナシルは黒い笑みを浮かべて、再び拳を二つ作り、ミカのこめかみへと押し付けた。
「この、引きこもり本の虫がーっ!」
「痛いっ! ちょ、本気は止めてっ! 頭割れる! ナシルの物理女子力保持者!」
すると、クロイドがすっとアイリスに近づいてきて、耳打ちしてきた。
「……これは、仲がいいのか悪いのか、どっちなんだ?」
クロイドの問いかけにアイリスは少しだけ考える素振りをする。
「……人それぞれ、相棒の形というものがあるんじゃない?」
「……なるほど」
ユアンとレイクはよく言い合うように喧嘩らしきものをしているが、ナシルとミカの場合は、どちらかと言えばナシルが上のように見える。
「何と言うか……魔具調査課に所属している女性は気が強いというか、頼もしい人ばかりだな」
頼もしい、という一言で表すことが出来るので、言葉というものは便利だと思う。
「え、それ……。私も気が強いってこと?」
「えっ……? ……あー……」
クロイドはそのまま考え込むように黙った。
「アイリスの場合は……気が強いというよりも……」
「うん?」
「危なっかしいという感じだな。例えば、文句を言いたい相手の立場が上でも、自分の中で、相手の行動や言葉が間違っていると思ったら、突っ掛かりそうだ。そして、色々と揉めそう」
「……」
何となく、その自覚はあるので言い返せないアイリスは苦い顔をした。だから、言い返すようにアイリスはクロイドがごく稀に行っている仕草をぼそりと呟く。
「……クロイドは心の底から怒っていたり、苛立ったりしている時は、最初に会った頃みたいな無表情になっているわ。目も笑っていないし」
「よく見ているな」
「あなたのことだもの。そのくらい分かるわ」
アイリスがそう言うと、何故かクロイドは嬉しそうに苦笑した。
「さすがは俺の相棒だな」
「……」
そう言われると、何だか急に身体がむず痒くなってしまい、アイリスは視線を逸らした。
「……ナシル。俺もあんな感じに和やかな相棒になりたい」
ミカはこめかみに拳を押し付けられつつも、遠い目でこちら見ていた。
「それは無理な注文だ。あれはあの二人だからしか、出来ないんだ」
「それなら、もっと俺を優しく扱ってよ」
「そいつも無理な注文だ。私達は拳という名の言語で繋がっているからな。相棒という形がそれぞれ違うように、私達の相棒の形もすでに決まっているんだよ」
「何で、ナシルは明らかに文系なのに、たまに体力と物理で解決しようとするのさ……」
ぼそりと呟くミカの声を無視しつつ、ナシルはミカのこめかみからぱっと手を放す。
先輩二人の話もしっかりと耳に入っているので、「和やかな相棒」関係という言葉に微妙に反応してしまいそうになったアイリスだが、そこは表情を普段と同じようなものへと保った。
「さて、最後の一冊、さっさと捕まえましょうか!」
切り替えが早いのか、ナシルのミカに対する黒い笑みは消え去り、通常の飄々とした表情へと変わった。




