鍛錬
ブルゴレッド家の件が終わって、数日が経った。
あれから、耳にしたことと言えば、ブルゴレッド家とリベスブルク家は国王からと世間からの信用がすっかり落ちてしまったらしく、ほとぼりが冷めるまでは外国に移住するかもしれないとミレットが話していた。
現国王の義弟であるオルティス公爵も一枚噛んでいたこともあってか、下手な動きをしないように国王から送られた見張りが立てられることとなったらしい。
あれ以降、学園内でジーニスの姿は見ていない。聞いたところによると、自主退学して、別の学校に転校したらしいと色んな生徒達が噂をしていた。
クロイドとの婚約もミレットによって学園内の皆が知るところになっており、それ以降は特に何か言ってくる者もおらず、日々は穏やかである。
ブルゴレッド家も一家揃って外国へと逃げるということならば、もう自分に関わって来ることはないだろうとアイリスとその周りはやっと安堵の溜息を吐いて、前と同じ日常を送り始めていた。
「……」
早朝、アイリスは朝食を摂る前に訓練場で剣の鍛錬を行なっていた。しばらく、身体を動かすような任務がなかったので、すっかり鈍ってしまった身体を鍛え直すためである。
しゅっと、刃先が風を切るような音を立てる。その場には誰もいないので、気兼ねなく鍛錬が出来るのは早朝だけの特権だ。
今日は新しい任務があると聞いている。それまでに身体を慣らしておかなければ。
「――お邪魔してもいい?」
落ち着いていて、それでも凛とした声がその場に響き、アイリスはばっと後ろを振り返る。
そこにはアイリスよりも少し年上くらいの女性がいた。黒に近い茶色の長い髪を一つの三つ編みにしており、動きやすそうな服装をしている。
気配を全く感じられなかったので只者ではないと思うが、それにしては表情に色が全く無い。
「あ、はい。どうぞ……」
女性は木製の剣を手に取り、軽く素振りを始めた。
「……」
一つ一つの動作に隙が全く感じられない。恐らく、それなりの剣の使い手だと思うが、魔物討伐課に所属しているなら、一年前にそこにいた自分は知っているはずだ。
それでもやはり、顔に見覚えはないので、別の課の人間なのだろうか。
アイリスは考えを無理に止めて、素振りを再開する。広い訓練場に二つの風切り音が響き始める。それが妙に心地よい気もした。
「……」
ふっと気付いた時、その女性が自分の方を見ていた。その色の無い表情はどこか、従兄妹のエリオスを思い出させる。
「……一本勝負、しない?」
「え? ……私と、ですか?」
女性が突然話しかけて来たと思ったら、勝負を申し込まれてしまったのだ。
こういう事は訓練場で鍛錬しているとよくあるが、その場合は自分が魔力無しだということが知られている前提で、からかわれる目的で誘われることがほとんどだ。
だが、この女性は突然、それを思いついたと言わんばかりに提案してきたように思える。
「うん。やってみたくて」
本当にただの興味のようだ。
「分かりました。お相手します」
特にからかう目的でもなさそうなので、アイリスは勝負を受けることにした。
「それじゃあ、ルールは一本勝負で、先に武器を落とした方が負けってことで。お互いに任務があると思いますので、急所は狙わないようにしましょう」
アイリスの提案に女性はこくりと頷く。対峙するようにアイリスと女性は向き合い、そして木製の剣を構えた。
ぴりっと、空気が張り詰めた糸のように冷たいものへと変わった気がした。多分だが、彼女は場慣れしている剣士だろう。
……油断、出来ないわね。
ふっと息を吐き、相手の出方を見極めようと探る。
じりっと、女性の右足が動いた瞬間、剣が真っすぐと叩き込まれる。
「っ!」
アイリスは剣を盾にするように構えつつ、女性が打ち込んできた剣を受け止めた。女性にしては、中々重い剣だ。
ぎりぎりと木製の剣が鈍い音を立てている。足を踏ん張っていなければ、後ろへとすぐに下がってしまいそうなほど、女性は力で押してきているようだった。
「っ……!」
アイリスは力を込めて、盾にしていた剣を振り払うように一線、薙いだ。
だが、剣先は女性どころか、剣にも当たることがなく、避けられてしまう。身体も身軽なのか、まるでステップを踏むように、とんとんと足でリズムを取るように後ろへと下がる。
「……身体、鈍っているの? 少し、ぎこちない」
「……よく分かりますね」
どうやら、身体慣らしをしていたのが知られてしまったようだ。
「でも、手加減はしないで下さい。そうでないと、鍛錬になりませんから」
アイリスが苦笑しながらそう言うと、女性は了承したのか、こくりと頷く。ふっと息を吐いてから、再び女性の動きを見る。
今度は剣の柄を持ちかえて、真っすぐと槍を刺すようにアイリスは打ち込んでみる。
しかし、女性にはその剣筋が見えていたのか、自分の身体に剣先が触れる直前で見切って、剣を下から上へと押しだすように突き上げる。
「っ!!」
突然の予想していなかった衝撃にアイリスの手から剣が離れる。
……落ちる!
武器が床に落ちたら負けである。鍛錬中の勝負とはいえ、自分はかなりの負けず嫌いだ。まだ、この勝負は終わってはいない。
アイリスは剣が手元から離れた瞬間に、床を強く蹴った。
蹴った床から一度、身体は離れ、宙返りしてから剣が床に落ちる瞬間に、それを受け止める。
「――っは……」
手元には一度離れた剣がしっかりと握られている。
「……お見事」
女性はまさか、アイリスが手から離れた剣を自ら取りに行くとは思っていなかったらしく、かなり感心しているのか頷いている。
アイリスが再び構えると女性は少し考える素振りを見せた。
「……今日はここまでにしよう。あまり無理してやると、今日の任務に響く」
「え? でも……」
まだ、勝負は始めたばかりである。アイリスが何故だと言わんばかりに首を捻ると、女性は無表情だがその表情の奥で笑っているようにも見えた。
「大丈夫。勝負はいつでもできる。でも、今日は大事なことがあるから」
この女性もこの後に何か大事な任務が控えているのだろうか。
「分かりました。その時はまたお相手、お願いします」
「うん。……それじゃあ、また後でね」
女性は頷くと、アイリスに背を向けて、木製の剣を壁に立て掛けてから、訓練場から出て行った。
「……また、後で?」
最後の女性の言葉にアイリスは首を捻る。どういう意味なのだろうかと考えていたが、それでも答えは出ない。
とりあえず、考えても仕方がないので朝食を摂りに行こうとアイリスも剣をもとの場所へ戻してから食堂へと向かった。




