作戦
「彼がこの件に関しているのは偶然か、それとも自ら狙って、雇われているかまでは分からないが、様々な魔法が使える男だから十分に気を付けた方がいいだろう」
シザールは人に対する魔法が長けている。それならば、その魔法がアイリスに使われる可能性だってあるのだ。
「あの、エリオスさん。……対人魔法をかけられた人を正常の状態に戻す魔法はありますか」
「ある。一般的なものだと精神を安定させる魔法だ」
「……もし、知っているなら、あとで教えていただけませんか?」
「……いいだろう」
彼ももしかするとアイリスに人に対する魔法を何かかけられているのではと覚ったのだろう。すぐに頷いて、了承してくれた。
「相手を気絶、もしくは眠らせてもいいのよね? 魔法を使わなくてもそれくらいは出来るわよね、レイク?」
武術の心得もあるのかユアンがからかうような口調でレイクに話しかける。
「当り前だろう。ただ、雇われ者の腕次第だろうな。……その時は、速攻で魔法を使わせてもらいますよ、エリオスさん」
「構わない。ただし、十分に気を付けるんだ。君達まで傷を負って、捕まったりでもしたら意味がないからな」
「安心してください。魔具調査課は侵入も脱出も得意なんですから」
ユアンが得意顔でにこりと笑う。
「まず、俺達二人で見張りを倒して、電灯を消す。その騒ぎに乗じてクロイドはアイリスを連れて屋敷から脱出するのはどうだ?」
「屋敷の外の見張りはどうしましょうか。煙幕でも投げて、寝かせておいてもいいわよ。逃げる時に、姿を見られたら面倒だし」
散々、任務で同じように侵入、脱出を繰り返してきた『風』の二人は手馴れたように算段を付けていく。
「分かりました。電灯が消えたのを確認してから、広間の窓の外から侵入して、逃げる時は青嵐の靴を使って脱出します」
以前、ネイビスに試作品として作ってもらったものをそのまま譲り受けている。それを使えば、三階から飛び降りても平気だろう。
「それなら、俺も窓の外から直接、広間に突入しよう。脱出する際の手助けと時間稼ぎをする」
エリオスもクロイド達の言葉に賛成するように大きく頷く。
「一般人を含めた者が多い広間で騒ぎを鎮めるにはやはり魔法しかないからな。それに広間の方に違法魔法使いがいる場合は更に厄介だ。俺が注意を引く間、君はアイリスを救出することだけを考えてくれ」
「はい」
作戦がまとまったと思った時、ローラが小さく手を挙げる。
「あの……私に、何かお手伝いできることってないですか……?」
この場にいるだけでも、緊張しているだろうに、彼女は声を震わせながらエリオスを見る。
「……残念だが、君はここまでだ。一般人である君にはこれ以上、巻き込むわけにはいかない」
「……」
ローラも何となく、そう言われることを察していたのだろう。挙げられた手はすっと下げられた。
「君にはこの後、孤児院に戻ってもらうことになるが、今回の件は一切、他言無用だ」
「……はい」
有無を言わせぬエリオスの口ぶりにローラはしゅん、と項垂れる。
「それと……。……君にやる気があるなら、俺の弟子になってみないか」
「え?」
それを聞いたローラは驚いたように顔をぱっと上げる。ユアン達だけでなく、ブレアも面白いと思っているのか表情が明るくなったように思えた。
「俺は式魔に関する魔法が得意だ。召喚魔法と系統が同じだから、君にとっても近しい魔法の鍛錬を教えることが出来ると思う。アイリスからは魔法に関する知識を教わっているなら、俺は実技の方を教えられるが、どうする?」
ローラの表情が驚きから、嬉しくてたまらないといったものへ変わっていく。
「……はいっ! あの、是非お願いしますっ!」
どうやらローラの気持ちは即決らしい。その返事を聞いてエリオスは真顔で軽く頷いた。
「詳しくはまた今度、話そう。……誰か、あとで彼女を孤児院まで送ってくれないか。出来れば、昨日からの状況を上手く誤魔化せる人に任せたい」
「あ、それならさっき、クラリスさんがあとでローラを孤児院まで送って言っていましたよ。念のために孤児院自体に魔法で結界を張りに行くと言っていました」
ミレットがちらりとローラの方を見ながら答えた。
「そうか、それは助かる。……それじゃあ、作戦は今の通りで。19時に一度、魔具調査課に集合し、作戦を再確認してから決行する。それまではお互いに準備を済ませていて欲しい。以上」
エリオスはテーブルの上に置いている式魔を元の一枚の紙へと戻して、立ち上がる。
「ブレアさん、上から何か言われた時には責任は自分がとると伝えておいて下さい」
「……特別許可を取りに行くのか?」
「はい。大丈夫です。悪影響を受けるような魔法を使う気はありませんから。……他の三人も準備をしっかりしてきてくれ。ミレット、あと少しだが助力の方、頼んだぞ。……それと、ローラ。気を付けて帰ってくれ」
「はい」
エリオスはそう言うと早々と魔具調査課から出て行った。
「魔的審査課は大変だなー……」
「ほら、のん気なこと言っていないで、私達も準備するわよ。……この前、使った煙幕はまだ残っていたかしら」
ユアンとレイクも立ち上がり、ブレアに一礼してから課長室から出て行く。
「あの、クロイドお兄ちゃん」
いつの間にか立ち上がっていたローラがこちらを見ていた。
「どうした」
「アイリスお姉ちゃんを助けられたら……。明日でもいいから、連絡してくれる?」
今日と明日は学校が休みだ。その場合、ローラは孤児院で吉報を待つことになるのだろう。きっと、心配で眠れないに違いない。
クロイドは表情を緩めて、しっかりと頷いた。
「ああ、もちろんだ。……必ず、助け出すから」
「……うん」
ローラのことだ。この場にはそう思う者などいないのに、自分のせいでアイリスが捕まってしまったと、いまだに思っているのかもしれない。
「それじゃあ、行きましょうか、ローラ」
「はい」
ミレットに連れられて、ローラはクロイドとブレアに軽く頭を下げてから立ち去った。その場にただ二人、取り残される。
「……いつか、こうなるかもしれないと思っていたが、思っていたよりも状況が動くのが早かったな」
苦いものを食べているような顔でブレアは溜息を吐く。彼女もブルゴレッド家のことには手を焼いているらしい。
「クロイド。私はね、アイリスには穏やかに、そして幸せに暮らして欲しいと願っているんだ。もちろん、それはお前に対してもだが」
「はい」
「……この作戦でアイリスを助けだしても、ブルゴレッド家が諦めない限り、同じことが繰り返される可能性だってある。だが、それを諦めさせる方法が一つだけあるんだ」
「何ですか?」
「今度はお前がアイリスを攫って行けばいい」
「……え?」
ブレアは至極真面目にそう言っていた。
「クロイド。お前がアイリスと結婚すれば万事解決だ」
「……」
言われたことは理解しているのに、頭の中が真っ白になった気がした。
「何だ、クロイド。アイリスと結婚したくないのか?」
「……いいえ」
すぐに答えてしまったが、クロイドは平常心を保ちつつ言葉を続ける。
「ですが、そういうのはお互いの気持ちというものが大事でしょう」
「ミレットに聞いたが、学園ではお互いに婚約者同士の関係になっているらしいじゃないか。アイリスは嫌なことは嫌だとはっきり言うし、言わないのならその関係が満更でもないってことだろう」
確かに、アイリスが自分の婚約者と言われるのは嫌ではないのかと聞かれた時に自分は嫌ではないと答えたが、アイリスはどうだったのだろうか。その返事は聞いてはいない。
「さすがにすぐに結婚すればいいというわけじゃない。まだ二人とも学生だし、やらなければならないことだってある」
「それじゃあ、どうして……」
「アイリスが今後、ブルゴレッド家に余計な手を出されないようにするためだ。……ミレットが言っていた手を使って、お前達二人が公認の婚約者として世間に広めておけば、それに手を出そうとすればもちろん非難されるだろう? 情報操作はミレットのお手の物だしな」
「俺は『クロイド・ソルモンド』という、本当だったら存在していない人間ですよ。戸籍を作っていても、やはり名前に拘る輩はいます。そんな奴がアイリスの婚約者になっていても、予防線にはならないと思いますが」
別にこの名前が嫌いなわけではない。ただ、『ソルモンド』という名前は自分一代で終わる名前であるため、アイリスに言い寄るような輩を跳ね返す力を持った名前などではないのだ。
「家名だけが大事じゃなさ。……大事なのは心だよ、クロイド」
まるで聖母のように穏やかな笑みを浮かべブレアにクロイドは一瞬だけたじろいだ。
それでも、やはり一番大事なのはアイリスの気持ちだ。こちらにその気があっても、無理にこの気持ちを押し付けるわけにもいかない。
「……その辺りの話はアイリスが帰ってきてから、進めた方がいいでしょう。やはり、俺一人で決められる話ではありませんから」
逃げたと思われるかもしれないが、今はまだそう言った話を勝手に進めることは出来ない。
「それもそうだな」
ブレアが苦笑したが、その表情はまだ固いように思える。
「……アイリスを無事に連れて帰ってきますので」
「頼んだぞ」
いつもの任務を言い渡す時と同じような表情にクロイドは頷き返す。
失敗するわけにはいかない。きっと、ここがアイリスの未来を決める分岐点なのだ。それを自分はただ、もとに戻すだけだ。
……早く、会いたい。
あの笑顔にもう一度、会うために。彼女が望んでいない世界から引き上げるために。
クロイドはブレアに背を向けて、静かに闘志を燃やしながら課長室を出た。




