欲望
「リベスブルク家に現在、年頃の令嬢はいないけど、どうしてわざわざ、ブルゴレッド家の令嬢を養女としようとしているんですかね?」
ミレットは自分で調べて来たことに対する疑問に首を大きく傾げる。
「ブルゴレッドが養女にしてほしいと提案したんだろうな。……恐らく、男爵家よりも身分が上の侯爵家の養女として世間に出したいと思ったんだろう。家柄が良い方が縁談も良い所と結びやすいからな」
エリオスが吐き捨てるようにそう言い放った。
「良い所の令嬢として養女にさせて、それでオルティス公爵の息子と結婚って……そんなとんとん拍子に上手くいくかしらねぇ」
ユアンも呆れているのか、手を頬に置きつつ溜息を吐いている。
「んー……。何でも、このオルティス公爵とリベスブルク家の現当主は仲がいいみたいですよ。まぁ、言ってみれば従兄弟同士の関係だからということもあるんですが、これは……」
ミレットは唸りつつも呆れたような表情をしていた。
「何と言うか……持ちつ持たれつ? いや、蜜月関係と言った方がいいのかしら? ……今からちょっと、国家秘密とまではいかないけど、それに近い感じの話をするので、他言無用でお願いします」
ミレットは困った顔からすっと真面目な表情に変わる。
「はっきりとした証拠があるわけじゃないけど、調べたところによると、彼らの近しい者が聞いた話で、二人はとある話を交わしたらしいんです」
片や現国王の義弟、片や名門と言われている侯爵家だ。
どんな話がアイリスに関わって来るのか分からないが、ブルゴレッド家が関わっている以上、関わりがないとは言えないだろう。
「……彼らは現国王の退位を求めているって」
「はぁぁ!?」
声を荒げたのはレイクだ。眉間には深く皺が寄せられている。
「譲位じゃなくって、退位?」
「でも現国王が退位しても、アルティウス王子に王位が譲られるだけだろう? それなら、譲位と変わらないんじゃないか?」
実際に王子であるアルティウスに会っている二人が同時に首を傾げる。
「あくまでも近しい人物からの噂をかき集めただけですから……。あと、リベスブルク家は、本当はアルティウス王子の方と婚約を結ばせたかったらしいですよ。ま、それをオルティス公爵が止めたみたいですけど。どうもこのオルティス公爵は義兄の国王様との仲はよくないみたいですね」
「……」
確かに、16歳となれば、そろそろ王子妃を考えてもいい年頃だろう。
この間、会った際に少しだけ話したが、やはり貴族達から娘を王子妃にどうだろうかという提案がひと月に山ほど来るので、うんざりしていると言っていた気がする。
この話も、その一つなのだろうか。
「何か、もやもやするな。あんまり貴族の話とか興味ないけど、そのリベスブルク家ってのは一体何がしたいんだ?」
「そうよねぇ。あと、ブルゴレッド男爵の娘さんをリベスブルク家の養女にするのは別に良いんだけれど、それとアイリスちゃんの関係性がよく分からないわ」
「……貴族間では、よく養女や養子の話が出てくるものだ。ただ……アイリスの結婚を急いで進めようとしているのにどうしてわざわざ、レミシアの養女の話も進めて、さらにラティアスに嫁がせようとしているのか……」
すると、それまで黙って聞いていたブレアがふっと顔を上げる。
「関係を深めようとしているんじゃないのか?」
「え?」
「そのラティアスって奴、義理にも現国王の弟の息子なんだろう?」
「それは……そうですけど」
「私の考えすぎかもしれないが……。ブルゴレッドと関わりのある、そのリベスブルク家は現国王の退位を求めつつ、なおかつ義弟のオルティス公爵と仲良くしているんだろう? ……もし、このままアルティウス王子が王位を継げなかった場合はオルティス公爵の方に王位継承権が譲られる可能性だってあるのは国民の誰もが知っていることだ。でも、その話を聞いていると、いかにも次期国王候補に媚び売っているようにしか聞こえないんだが」
「……」
ブレアの言葉に一同が石のようにぴたりと固まる。もやもやとしていた黒い霧が、その瞬間、灰色に変わった気がした。
「え? ……嘘でしょう? だって……」
ユアンが冗談だろうと言わんばかりに右手を横に振るが、皆は黙り込んで、何かを考えるような素振りを見せる。
「想像の域に出ないが、それでもそのようなことが絶対にないとは言い切れないな……」
さすがのエリオスも腕を組みながら唸っていた。
「もし、現国王が退位して、何かしらの問題でアルティウス王子が即位出来なかった場合には、オルティス・アブ・ダンケルトが即位することになると思います。そして、その王位が継がれるのは――」
クロイドの言葉を繋いだのはミレットだった。
「っ! 息子のラティアスになるってこと? それなら、ブルゴレッド家のレミシア嬢は……」
「未来の王子妃って事か? はっ……。そんなに上手くいくもんか」
呆れたような口ぶりでレイクは首を横に振る。
「大体、次の王位だってアルティウス王子にはっきりと決まっているじゃねぇか。それを蒸し返そうだなんて……」
「いや、ある条件が整えば、その可能性だってあるんです」
レイクの言葉にクロイドは素早く反対の意を示す。
「政務が遂行できない状況が続いたり、身体や精神の状態が悪化して快復の見込みがない場合もそうですが……。議会の意志によって退位を迫られることもあるんです」
「確かにその法律は知っているが……。法律が出来てから、退位を迫られた国王は歴史上で数人しかいないはずだ。しかも、そのほとんどが私的な金遣いが荒かったり、絶対王制のような政治が多い国王ばかりだ。現国王もアルティウス王子もそのような傾向はないし、むしろ穏やかな人柄だと聞いている」
エリオスの言う通りだ。
国王も弟も争い事を好まず、穏やかで、国民の気持ちを常に考えているし、不正などが嫌いな曇りがない性格をしている。巷に聞く国民からの評判だって良いし、退位を迫られる要素など何一つない。
……だが、もしかすると。
「議会を動かして、退位を求めようとしている可能性はないでしょうか」
クロイドはふっと顔を上げて、皆を見渡す。
「仮定の話ですが、議会で大部分を占める人間が国王の退位を求めれば、そうなる可能性はもちろんあります。ただ、それなりの理由が必要なので、国王も理由によっては退位の要求を退けることも出来るはずです」
もちろん、そんなこと簡単には出来ることではない。現国王もアルティウスも国民から人望があるし、政治が出来ない人間ではないため、そのような要求がきたとしても、退ける力はある。
「何より、議会を動かすには、それ相当に意見と意志が必要ですし、何よりあの場所は権力が渦巻いていますからね。簡単にはいかないでしょう」
貴族で構成されている上院と庶民によって構成されている下院。
自分は議会で彼らが話し合っているところを見たことはないが、議会で話された内容を直接、国王に申し出る貴族などは見たことがあった。
「まぁ、自分より偉い奴からそうしろって命令されたら、断れないだろうが……。賄賂とか渡されたら、従う奴は従うだろうなぁ」
レイクがのんびりと何でもなさそう言った。その場の皆の視線がレイクに集中する。
「え? 何だ? 俺、何か悪いこと言ったか?」
「レイク、あんた……」
ユアンも引き攣った表情で彼を見ている。
「え、だって、そうだろう? よくある話じゃねぇか。表向きには賄賂は禁止されているけど、やっている奴はやっているだろうし。特に貴族達なんて、自分の思い通りに物事進めるために金を握らせたりしているって聞くし」
「……そうか、そういうことだったのか」
レイクの話を聞いていたエリオスがふっと顔を上げる。それは真顔ではなく、怪訝な表情で深く眉を寄せ合っていた。
「だから、あの男は大金が必要になったんだな」
「え? それ、どういうことですか?」
「アイリスの結婚の話を早めたのは遺産を今すぐにでも手に入れたかったからで間違いはないだろう。だが、その大金の用途が分からなかった。……この話が全て一つに繋がっているとするなら、なぜ急にブルゴレッドが、大金が必要になったのかも理解できる」
「もしかして……」
ミレットも何かに気付いたようだ。
「もしかして、アイリスの持っている遺産を使って、議会を動かそうとしているってことですか?」
「えっ?」
「はぁ?」
ミレットの少し慌てたような声色にエリオスは軽く頷く。だが、その話を聞いても、どうも現実的に思えないのは何故だろうか。
「アイリスにどれほどの遺産が遺されているのか分からないが、それでもあの男が欲しがる額なら、相当なのだろう。……奴は自分に縁のあるリベスブルク家に娘を養女にやり、そして更に関わりのある国王の義弟のオルティス公爵の息子に嫁がせようとしている」
あくまで仮定の話のはずだが、それでも今、ここにはミレットが用意してくれた膨大な情報とエリオスが知っているブルゴレッドの話、そして自分が持っている王族と貴族の関係性についての話が揃っている。
仮定とはいえ、ここまで出来過ぎている話は他にないだろう。
「そしてアイリスの遺産を使って、議会を動かし、国王及び、王子の退位を求めて――。自分の娘を未来の王子妃にしようとしている」
エリオスが話を全てまとめおわると、そこには沈黙が静かに流れていた。
誰もこの話を信じられないのだろう。情報を繋げ合わせた推測に過ぎない話だが、誰もそんなはずはないと言えなかった。
……アイリス。
それなら彼女はただ、貪欲な権力欲しさにブルゴレッドに利用されただけではないか。
幼い頃から自分の望まぬ話をブルゴレッドから延々と続けられ、そして彼女の意志に関係なく無理矢理に結婚を進められる。
それがどれ程、苦痛で鬱陶しいものだったのか、自分の想像では表現できない。
クロイドはぐっと爪が食い込むように手を握りしめる。
アイリスをこの権力と欲望が渦巻いた世界から救いたかった。彼女が望む未来を自分が支えたい。自分がずっと傍にいたい。誰にも譲れない。
そう思ってしまうのは、アイリスの気持ちを尊重していないことになるだろうか。




