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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
偽りの婚約編
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地獄


 時間の流れをこれほどまでに鬱陶しく感じたことはなかった。時計さえも置かれていないこの部屋は常に薄暗く、今が何時なのかは分からない。


 それでも時間が分かるものといえば、自分のお腹の空き具合や、メイドが持ってくる食事から何となく時間を把握するしかなかった。


「……」


 アイリスが暴れずに素直に言う事を聞くと分かれば、シザールの出番はないのか、朝に一度見たきりで、それ以降はずっとメイドが部屋にいて自分の世話をするだけだった。

 それでも、この手足を縛る鉄製の枷は外してはくれないらしい。


 ……まるで珍獣扱いだわ。


 正直に言えば、うんざりしている限界を通り越している。苛立ちだってわざと隠さずに表情に出しているが、メイドはそれでもお構いなしに自分の世話をしてくる。

 いざとなれば、女性だからと言って手加減はしないつもりだ。もちろん、怪我をさせる気はないが。


 ……とりあえず、この枷さえどうにか出来ればいいんだけれど。


 鍵穴が付いているので、誰かが持っている鍵じゃなければ開かないのだろう。こんな時、魔法が使えれば、一発で鎖を壊して逃げられるのにとさえ思う。


 従順魔法をかけられるよりもましだと思い、出された食事をしぶしぶ食べたが、それでも味はしなかった。


 部屋にある唯一の扉がノックされ、入って来たのは昨日ぶりに見るジーニスだった。メイドの女は軽く頭を下げて壁沿いへと離れていく。


「やぁ、アイリス。ご機嫌いかがかな?」


 上機嫌でジーニスはこちらへと近付いてくる。


「……これで機嫌が良く見えているなら、あなたの目は節穴だわ。眼科でも行って来たら?」


 わざと嫌味っぽく言い放つが、それでもジーニスは笑顔を崩さない。それが逆に不気味にさえ思えた。


「まぁ、確かにこんなに薄暗い部屋に長いこと居れば、気鬱にもなるよね。あと少ししたら、この部屋から出してあげるから、それまで待っていてくれるかい?」


 言葉の一つ一つが、鳥肌が立つほど、気持ち悪く感じてしまうのは何故だろう。


 ……根本的に、私は彼のことが嫌いなんだわ。


 だから何を言われても響かないし、むしろ嫌悪感さえ抱いてしまうのだ。


「あぁ、夜になるのが待ち遠しいよ」


 ジーニスは自然を装いながら、アイリスが寝かされているベッドの上へと腰掛けてくる。重さの分、ベッドが少し沈み、スプリングが軋む音がした。


「本当は今すぐにでも手を出したいんだけれど、決まり事があるからね。これだけは仕方がない」


 もし、言葉で相手を攻撃できるなら、どんなにいいだろうか。もしくは耳を塞ぎたいが、枷が付いた手では、耳まで届かないのが現状だ。


「……反吐を吐きそうなほどに嫌いなあなたと結婚して、手を出されるくらいなら、自分で舌を噛み切って死んだほうがましだわ」


「僕と結婚すれば、優雅な日常が送れるというのに?」


「どこが優雅なのよ。嫌いな奴とずっと一緒にいなければならないことは、地獄と呼ぶのよ」


「……そんなに僕のことが嫌いなのかい?」


 彼はわざとらしく、肩を竦めて見せる。


「えぇ、嫌いだわ。……この手が自由なら、あなたのその自慢のお顔を殴ってやりたいくらいにね」


 そして、ついでにブルゴレッドも殴りたい。


「……残念だなぁ。僕はこんなにも君のことが好きなのに」


 そう言って、彼は右手をアイリスの頬へと伸ばす。その手が身震いしたくなるほど、拒否反応が出たがそれをぐっと堪える。


「何だっけ、あのクロイド・ソルモンドって奴。……そいつのことが好きだから、未練があって僕のことを好きになれないのかな?」


「はぁ? クロイドのことが好きでも、未練があってもなくても、あなたのことは嫌いよ」


「……まぁ、僕は心が広いからね。君が僕の方へ振り向いてくれるまで、待っているよ。……どうせ、すぐに僕の事を好きになるだろうけど」


 ジーニスの言葉に何か引っかかるものがあった。


 ……もしかして、従順魔法のことを言っているの?


 シザールに自分を思い通りに動かせる術があると聞いているのかもしれない。

 ジーニスの言葉通りに動く自分を想像して、思わず背筋に悪寒が走っていく。


「……たとえ、この身が好き勝手にされても、私の心は絶対にあなたを映し出したりしないわ」


 浮かぶのは唯一人。

 この身、この心を捧げたいのはクロイドだけだ。


「……へぇ? でも、それはどうかな。やってみないと分からないだろう?」


 ジーニスはにやりと口の端を浮かべ、顔をアイリスの方へと近付けてくる。


「……」


 だが、そのままやられるアイリスではない。

 寝ていた身体の上半身に力を込めて、ジーニスの額に向けて、思いっきり頭突きしたのである。


 もちろん、全身の力を込められたわけではないので、せいぜい額が赤くなるくらいだが、それでも効果はあったようだ。


「――痛っ!?」


 突然の痛みに驚いたジーニスはそのまま後ろへと頭突きの反動でひっくりかえる。壁際にいたメイドも目を丸くしてその光景を見ていた。


「調子に乗らないで、ジーニス」


 地獄から這い出てくるようなそんな声でアイリスはジーニスを見下す。


「あなたが私の向こう側に何を見ているかくらい、お見通しなのよ。……これ以上、私に手を出すっていうなら、今度はその額に風穴開けるわよ」


 好きだとどの口が言っているのだろう。彼が自分越しに見ているものは金しかない。

 いくら好きだ、愛していると言われてもそれはただの文字でしかない。心が籠っていないものは、言葉だとは言えないのだ。


「……このっ……」


 額を抑えつつ、ジーニスは立ち上がる。メイドはすぐにその場にあった氷水を使って、ハンカチを濡らし、ジーニスの額へと被せた。


「よくもしてくれたな……。痕になったらどうするんだ!? この後、婚姻の席にリベスブルク家が来るんだぞ!?」


 たんこぶでも出来たのだろう。ジーニスはかなり痛がっている様子で顔を歪ませている。もちろん、痛いのはアイリスも一緒だが、こんなの痛みのうちには入らなかった。


「そのまま言えば? 手を出そうとして、頭突きされましたって。……ブルゴレッド家の次期当主の男が、頭突きされて喚いていましたって私も言ってあげるわ」


 大笑いしてやりたいところだが、そこは我慢してアイリスは冷めた表情で言い放つ。


「これで分かったかしら? 私に手を出そうとすれば、あなた自身もその身がもたなくなるってことよ」


 強がりなのではない。

 本気で対応しなければ、危ういのは自分の身だ。


「君って奴は……!」


「ジーニス様、それよりも先に額を冷やさないと……。痕になってしまっては、本当に本家の方々に笑われかねませんわ」


「分かっている! ……くそっ。おい、シザールを呼べ! 時間までアイリスを寝かせておけと伝えろ!」


 ジーニスは頭突きされたことに相当、怒っているのか足で床を蹴るように歩きつつ、部屋から出て行った。


 最後に、見えた横顔は薄っすらと涙を浮かべているようにも見えて、アイリスの内心はやり返し出来た気分で少々すっきりしていた。



 ジーニスの命令に従うように、シザールが急いで部屋の中へと招かれる。突然の呼び出しに当のシザールは首を傾げていた。

 シザールはメイドに部屋の外で待つように言い置いて、アイリスの近くへとやってくる。


「あんた、お坊ちゃんに何かしたの?」


「別に。手を出されそうになったから、頭突きをしただけよ。お坊ちゃんだから、頭突きなんてされたことなかったんでしょうね。薄っすら泣いていたわ」


「ははっ……。それは痛かっただろうなぁ」


 仮にも自分が仕えている主の息子が暴力を振るわれたというのに、シザールは気にすることなく笑っているだけである。


「そんなにこの家が嫌いなのか?」


「えぇ。嫌いよ。この家と結婚して、身を捧げるくらいなら、舌を噛み切って死ぬか、地獄に落ちた方がましだと思えるくらいに」


「莫大な遺産を持っていると大変だな」


「……ねぇ、もし私が、あなたに遺産の半分をあげると言ったら、あなたは私がここから逃げるのを手伝ってくれる?」


 ぽつりと浮かんだことを何となく口走ってみる。元々、自分に残されていると言われている遺産は、あって、ないようなものだ。

 ただ、ブルゴレッド家のものになるのが嫌なだけで。


 だが、シザールは面白いことを聞いた時のように大笑いしたのだ。


「はははっ……。あんたも中々、大胆だね、お嬢さん」


 この家から、同じように捕まっているローラを連れて逃げられるというなら、どんな手でも使いたいと思っている。今の自分には選択肢も武器も何もないからだ。


「でも、俺が欲しいのは金なんかじゃないんだよ」


「え?」


 予想していなかった言葉に今度はアイリスの方が首を傾げる。


「俺が欲しいのは金よりも大きいものだ。でなけりゃ、この件は受けなかったからな」


 その時、初めてシザールの表情が真面目なものになった気がした。お金ではないなら、彼はどんな望みを持ってこの場所にいるのだろう。


「あんたとのお喋りも楽しいけど、俺の夢のためにお嬢さんには時間までぐっすり眠ってもらうよ」


 シザールがすっと杖を取り出す。


「……夜までってこと?」


「そうだ。あぁ、気にしなくても、あのお坊ちゃんに俺から話しておくよ。寝ている間に手を出したら、催眠術が解けて、目が覚めてしまうって。だから安心して寝るといい」


「安心なんか出来ないわ。私は――」


「さぁ、おやすみ」


 シザールがアイリスの言葉を遮って杖を軽く振る。途端に身体が重くなり、瞼が開けたままにすることさえ出来なくなる。


 ……ここで寝たら……。


 目が覚めたら、そこは地獄の時間の始まりだ。爪が指に食い込むように握りしめる。

 目を閉じてはいけない。閉じた先は何もない、真っ暗な闇だ。


 ……嫌だ。駄目、お願い……。


 それでも身体は言う事を聞いてはくれない。

 分かっているのに、それでも眠気はやってくる。


 ……あぁ。


 瞼は閉じられ、闇の世界が広がっていく。

 地獄が少しずつ近づいてくる気がした。


  

    


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