屋敷
ローラの召喚獣が見つけたとされる屋敷から少しだけ離れた路地裏に三人は式魔から降り立った。路地裏に誰もいないことを確認してから、エリオスが姿を隠していた魔法を素早く解く。
大きな鳥型の式魔は役目を終えると一枚の紙へと戻り、鳥の形に作られた紙がエリオスの手の平にひらりと舞い落ちる。
空中を飛行している間は、エリオスの魔法がなせる技なのか、地上に落ちる心配はなく、安全に式魔の上に乗れていたと思う。
空を飛ばなければならない任務はまだ受けたことがないが、一応、式魔や召喚についての魔法も学んでおいた方がよさそうだ。
「ありがとうございました、エリオスさん」
「いや、構わない。……ローラ、どうだ?」
「今、こっちに戻ってきているそうです。……あ、来た」
頭上を見上げると、鴉のような姿をした鳥が羽を羽ばたかせていた。
今は小さい姿になっているが、昨夜はこの鳥を大きい鳥として召喚し、それに乗って教団の教会の敷地内まで飛んできたというのだから、感心の溜息しかもれない。
「あ、屋敷まで案内するって言っています」
「分かった。出来るだけ、目立たないように飛んでほしいと伝えてくれ」
「はい」
ローラが召喚獣に指示を出したのか、召喚獣はさらに頭上へと上っていき、そして道案内をするように前へとゆっくり進み始める。
路地裏を抜けた先は、住宅街に続いていた。人が歩く姿はまばらで、皆が眠そうな表情で歩いている。
「こっちです」
ローラの言う通りに道を右へと曲がる。
「……こんな場所にあいつが新しい屋敷を買っていたとはな」
歩きつつ、エリオスが軽く溜息を吐く。クロイドも任務でこの辺りに来たことはなかった。
中心部から少し離れているだけあって、静かな場所だが、穏やかさを求めている以外の貴族が暮らすには物足りないような雰囲気がある。
「……エリオスさん、改めて聞くことじゃないと思うんですが、ブルゴレッドってどんな奴なんですか?」
自分はまだこの目で見たことはない。世間が耳にするような内容しか、自分は知らないからだ。
「……最低な奴だ。あまり、会ったことがない人に対して、印象付けるような事は言いたくない性分だが、あいつは別だ」
何かを吐き捨てるようにエリオスは言った。
「元々、あの男の性格が悪いのは幼少期から理解していた。金に意地汚いことは周知の事実だったし、俺もそのことで同級生からからかわれることもあった」
エリオスの真顔だった表情がほんの少しだけ歪む。
「だが……俺の母親が病で死んだ時、あいつに呆れる以上に失望したんだ」
「……」
「あいつはこれで自由に金が使えるって言って笑っていたんだ。……家格としてはブルゴレッド家よりも母方のヴィオストル家の方が上だったからな。自分よりも下の者には強く出ることが出来ても、母親の前ではあまり大きい顔が出来なかったらしい」
すっと目を細めて、エリオスは前を向く。彼も小さい頃から色々と苦労してきているらしい。貴族とはいえ、結婚というと家同士の結婚という認識がまだ根強く残っているのだろう。
「財産の管理はしっかり者だった俺の母親がしていた。それまで、母親に財布を握られていたようなものだったから、母親が死んで、あの男は清々したんだろうな。その後すぐに、母親と結婚する前から付き合いのあった女と結婚し、それからは湯水のように金を使い始めた」
あまり、貴族の事情に興味がないクロイドでさえ、ブルゴレッドの名前は知っていた。
幅広く株に手を出し、失敗しては身内や他の貴族から金を借りて、金を作ることの繰り返しをやっていると聞いている。
「あの男には商才がないからな。あの後、家がどうなるのかも分かっていた俺はさっさとブルゴレッド家を出て、除籍した」
「そんなこと、出来るんですか?」
籍に関われるのは当主だけだと思うが。
「そこはさすがに、子どもだった俺は何も出来ないからな。ヴィオストル家に頭を下げて、そっちの籍に入れてもらったんだ」
クロイドはなるほど、と頷いた。前方を歩いているローラを見ると、屋敷はもう少し先なのか、何かを確認するように上空をたまに見上げながら歩いている。
「……だが、それだけでは終わらなかった」
「え……」
「アイリスの父親はヴィオストル家の出身で、次男坊だった。俺の母親はその妹だったから、俺達はいとこ同士の関係だ。それで昔はたまに母親が俺を連れてローレンス家に遊びに行ったりもしていたんだ」
エリオスの表情が一瞬だけ和らいだが、それもすぐに消え去った。
「だが、アイリスの家族が死んだ時、あの男が最初に口にしたのは、義理の兄夫婦に対する嘆きの言葉でも、アイリスに対する励ましの言葉でもなかった。アイリスの母親はローレンス家の女当主だったが、一人っ子でな。仮にも自分が叔父にあたる親戚筋だからと出しゃばり、アイリスに残された遺産の管理は自分がやると言い出したんだ」
「……最低ですね」
親兄弟を亡くしたばかりの子どもに対して、かける言葉がそれしかないのかとクロイドも顔を顰める。
「それだけじゃない。遺産を手に入れるために、アイリスに何度も自分の養女になるように言い寄っていた。……俺も反対はしたが、聞き入れられることはなかった。それでも、その度にブレアさんがあの男を一蹴してくれていた」
「ブレアさんがアイリスを保護、していたんでしたっけ」
「そうだ。……本当にあの人には感謝ばかりだ。アイリスは魔物討伐課にずっと所属していたかったと以前、送られてきた手紙には書かれていたが、俺はブレアさんの下で働いてもらっている方が、安心だな」
すっと横顔を見ると、それは兄のように穏やかで頼もしくも思えるような表情をしていた。
「でも、今は魔具調査課で頑張っていきたいと言っていた。……君のおかげだろうな」
ふいにエリオスがこちらを振り返る。その時にはすでに真顔に戻っていたので、本音か冗談か判断つかない。
「……アイリスは手紙には一体どんなこと書いているんです?」
自分のことはどういう風に書いているのか、少しだけ気になる。
「いつもはどんな任務をやった、どんな失敗をやった、元気でやっているくらいしか書かれていなかったが、ここ二ヵ月くらいは君の話ばかりだったぞ」
「え……」
「最初は無表情で、わざととっつきにくい雰囲気を出している人が新しい相棒になったと書いてあった。それからは、少し怪我しただけで心配してくるとか、料理が自分よりも上手くて美味しいとか……」
「……」
アイリスの口から語られない言葉を他人から聞かされるのは何だかこそばゆい感じだ。
「アイリスは魔力無しだということを気にしていたから、ブレアさんや友人以外と関わる時は、一歩引いて関わるようにしているみたいでな。……まぁ、昔は魔力無しだと言って馬鹿にしてきた奴らを殴り飛ばしていたとブレアさんから聞いていたから、その時に比べると今はおしとやかになった方だが」
何となく想像出来て、クロイドは苦笑して頷く。確かに最初に会ったころは、ハルージャの言葉によく苛立っているようだったし、突っ掛かって来る相手は剣技で叩きのめしていた。
最近はそういったことは少なくなっているように思える。
「あっ、見つけたよ!」
前方を歩いていたローラが立ち止まり、二人の方を振り返る。
「あの家だよ!」
そう言って彼女は視線だけを上手く動かして、その屋敷を見る。どこにでもあるような、貴族が持っている屋敷に見える。
三階建てのその屋敷は新築とは言えないが、長年大事に手入れされて、使われてきたのか趣がある感じだ。その屋敷を囲うように石造りの塀がずらりと並んでいる。
門はしっかりと閉じられており、窓も全て中が見えないように閉ざされている。外から見ただけでは、中に誰か住んでいるのかさえ分からない。
「ここが……」
「あ、ほら、あの窓。昨日、私が割ったやつだから、間違いないよ」
ローラの言葉通り、三階の部屋の窓は割られており、板のようなものでそこは塞がれていた。
「……」
クロイドは感覚を研ぎ澄ませ、音と匂いを探る。怪しく思われないように道を歩いているだけだと装いつつ、意識を集中させた。
「……この塀の向こう側に何人かいますね」
「そういえば、外にも見張りがいるって昨日、言っていたよ」
それなら見張り役が見回りでもしているのだろう。こちらが思っているよりも多くの人間がいるようだ。
「アイリスの匂いはしないですが……。でも、ジーニスの匂いなら微かにしました」
「何? あいつもここにいるのか?」
「ほんの微かですが……」
門を何となく見上げる。これだけの大きさならば、中に自動車を入れることも、その分の庭の広さもあるだろう。
「とりあえず、一度、ミレットに報告して、この屋敷のことを詳しく調べてもらって……」
小声で話していると、前方から厳つい顔をした男がこちらへ向かって歩いてきていた。瞬間、エリオスは袖の内側に隠していた何かをすっと取り出し、男に向かって弾き飛ばした。
すれ違う瞬間、お互いに平然を装う。男が今、自分達が観察していた屋敷の門の内側にいる誰かに話しかけ、ほどなくして扉が開き、男は中へと入っていった。
一度、その場を離れた方がいいと判断したのか、エリオスが道の先にある路地裏へと先導していく。
路地裏に入るとローラも緊張していたのか、周りを少し警戒しつつ、ほっと安堵の溜息を吐いていた。
「……エリオスさん、さっきのは……」
「式魔の一つだ。何となく、怪しいと思ったから、あの男に付けてみたんだ。従来のものより隠密に特化するように魔法をかけたから、一流の魔法使いじゃなければ見つけられないだろうな」
自分の式魔を消されたことを意識して、強めの式魔を作ったらしい。だが、一流の魔法使いしか見つけられない式魔を作るエリオスの技術も凄いと思う。
「よく、あの男が屋敷内に入るって分かりましたね」
「勘だ。こういう時の勘ははずれたことがないからな」
そう言いつつ、路地裏から少しだけ顔を出して、屋敷の方を見る。
「あとは屋敷内部の構造と、アイリスが絶対にここにいる確証が手に入れば大分、余裕が出来るんだがな」
「……屋敷の中にさえ、入る事が出来れば、匂いは辿れると思います」
「だが、向こうが雇っている魔法使いが何人いるのか分からない今は、十分に警戒した方がいい。……詳しくは……」
そこで、ローラが屋敷の方を見ていることに気付き、エリオスは会話を止める。
「どうしたんだ、ローラ」
「……いえ、あの……。一つ、気になったことがあって」
「何だ」
「もし、その……あちらの屋敷に魔法使いの仲間がいるなら、私が魔法を使って逃げたことも気付かれている可能性があるってことですよね?」
「それは……」
「でも、追っ手は来なかったから……もしかすると、そういう魔法は使えなかったのかなって思って」
ローラはこちらを振り返る。その表情は上手く言えないのか、必死に言葉にしようとしているように見えた。
「えっと……。さっき、魔法使いそれぞれに得意な魔法があるって話していたから……。その雇われているかもしれない魔法使いの人にも不得意な魔法があるのかなぁって思って……」
ローラは何となく、思ったことをそう言っただけなのだろう。だが、その一言でエリオスの表情が微妙に変化したのをクロイドは見逃さなかった。
「……少し、確認したいことがある。一度、教団へ戻ろう」
何か思う事があっても、エリオスの表情は変わらない。その方がむしろ、冷静に見えるからいいかもしれないが、考えは読みにくい。
「その魔法使いに心当たりでも?」
「……心当たりという程までではないが、ローラの話に少し気になることがあってな。俺は魔的審査課で調べてくるから、屋敷のことをブレアさんとミレットに報告してきてくれないか」
「分かりました」
先程と同様に姿を隠し、式魔に乗って帰るつもりなのだろう。エリオスは懐から先程の鳥型の紙を取り出す。
「……」
その間にクロイドは屋敷の方へと目をやった。
あの場所にアイリスがいるかもしれない。だが、今は助けに行けないというもどかしさが歯がゆかった。
許されるなら、自分の魔法の全てを以てしてでも、助けに行きたい。人目をはばからずに、魔法を使い、助けられればどんなにいいだろうか。
屋敷を壊し、見張りを全て倒して、ついでにブルゴレッドとジーニスにもお見舞いを一発出来ればどんなに簡単だろうか。
……穏便に済ませたいはずだ。
例え、自分がどんな状況に陥っていても、素で物を破壊してしまっても、アイリスは派手に物事を行うことは嫌う性格だ。そして、上手い事、事を運ばなければアイリスの今後にだって強く影響するだろう。
もし、救出出来たとしても、今後の事をしっかりと考えなければ、同じことは繰り返し起きるはずだ。
「クロイド?」
「あ、すいません。行きます」
エリオスの呼びかけに、クロイドは唇を噛み締めつつ、視線を屋敷から引きはがした。




