夜凪
クロイドが焦る様に医務室へ入ると、その一室にはベッドの上に寝かされているローラがいた。
「ローラ!」
「あ……クロイドお兄ちゃん……」
ローラの顔色は身体の調子があまり良くないのか、少し青ざめているようにも見える。クロイドの姿を目に留めたローラは身体をゆっくりと動かす。
「魔法、使ったら駄目だって知っていたけど、でも使っちゃって……。見ての通り、倒れちゃったの」
そう言って、申し訳なさそうに言っているが、一体ローラの身に何が起きたのだろうかとクロイドが困惑していると、後から追いつくようにクラリスがやってくる。
「その子、教会の庭に倒れていたのよ。……召喚魔法を使って、ここまで逃げて来たんですって」
「召喚魔法で……」
だが、ローラの周りには召喚獣らしきものはいない。彼女の召喚獣を持続させる力がすでに空っぽなのか、召喚は解かれているようだ。
「確かに教会の部分には結界は張っていないが……」
いつのまにかエリオスも隣に来ていた。
そういえば、教団の敷地内は正規の道順でなければ、外部からの侵入、もしくは攻撃されないように結界が張ってあると聞いている。
だが、教会は一般人も出入りするため、教団と繋がる通路以外は、自由に行き来出来るようになっていたはずだ。
「夜だから良かったが、昼間だったら誰かに見られていた可能性もあったな」
「……ごめんなさい……」
やってはいけないことをやったと自覚しているのか、ローラはしゅん、と項垂れる。
「……ローラ、別に君を責めているわけじゃない。何か理由があったんだろう」
クロイドが穏やかな表情で問いかけると、ローラはやっと息を吐いた。その表情には疲労も映っているようだが、その瞳からは強い意志を感じられた。
「あのね、私……知らない人に呼び出されて、突然どこかに連れ去られたの」
クロイド達は顔を見合わせつつ、息を静かに飲み込む。
「最初は身代金とか、人身売買とか……そういう人達かと思っていたんだけど、多分そうじゃなくて……」
すっとクロイドが視線を移すと、ローラの右手には包帯がしっかりと巻かれていた。逃げる際に怪我をしたのだろうか。
「私ね、聞いたの。……私が人質として、そこにいれば、ローレンス嬢も簡単には逃げ出せないって……。ローレンス嬢ってアイリスお姉ちゃんのことでしょう?」
クロイドは自分の心臓が強く、脈打ったのを意識せずとも感じた。
「でも、私には……力がないから。あの場所のどこかにアイリスお姉ちゃんがいても、きっと助け出せないと思って……」
ローラの声がだんだんと小さいものへと変わっていく。
「私が……逃げたと知れば、アイリスお姉ちゃんも私のことを負い目に感じないで、きっと逃げられると思って……。だから、一人で逃げてきたの」
本当は、一緒に捕らわれているかもしれないアイリスのことを助けたかったのだろう。だが、その力がないと自覚している彼女は、自ら逃げて助けを呼ぶことを選択したのだ。
「……アイリスもきっと、ローラが無事だと知れば喜ぶよ」
クロイドはローラの左肩に手を置き、慰めるように小さく笑った。
「逃げてきてくれてありがとう。手まで怪我して……頑張ったんだな。あとはもう、大丈夫だ。俺達に任せてくれ。絶対にアイリスを助け出すから」
「クロイドお兄ちゃん……」
くしゃりと突然、ローラの顔が歪む。ずっと緊張していたのだろう。
見た目は子どもなのに、他の子ども達と比べたら精神的に成熟しつつあるローラだが、それでも怖いことは怖いと感じる子どもなのには変わりない。
むしろ、よく耐えて、自らの力でここまで逃げてきてくれたことを褒めたいくらいだ。
「本当はすぐに休んでもらいたいんだが、少しだけ話を聞いてもいいか?」
エリオスの問いかけにローラは涙を手の甲で拭って、力強く頷く。
「まず、君がそいつらに攫われた時の状況を教えて欲しい」
「はい。……えっと、確か高等部の方だった気がするんですけど、女の人が自分を教室に呼びに来たんです。高等部の知り合いが私を裏口で呼んでいるから、来て欲しいって……」
クラリスが話していた、リンター孤児院の子ども達が言っていた話と一致する。
「だから私、裏口へ向かったんです。でも、誰もいなくて……。その時、何か言葉が聞こえたのを覚えています」
「言葉?」
「はっきりとは聞き取れなかったんですけど、呪文……みたいな。だけど、そこで眠っちゃって……」
「魔法をかけられて眠らされたということか」
「多分、そうだと思います。……気付いたら、どこかの物置みたいな部屋で、手足を縛られていました」
包帯が巻かれていないローラの左手を見るとそこには縄で縛られていた痕が残っており、クロイドは眉を深く寄せる。
まだ、11,2歳くらいの女の子に対して、ここまで容赦なく手荒なことが出来るならば、恐らく日頃から荒事に慣れている奴らだろう。
「その時に見張りの人が言っていました。明日までに、私を見張っていればいいって。そうすれば、正式に結婚が済むまで、ローレンス嬢が屋敷から勝手に逃げたりしないだろうって。私、知っている名前でローレンスが付くのは、アイリスお姉ちゃんだけだから……。だから、きっとアイリスお姉ちゃんも同じように何かに巻き込まれたんじゃないかって思って」
ローラの表情はいつもと同じ、真面目で大人びたものになっていた。
「私は何も力はないけど……。でも、魔力はあったから、教えてもらった魔法を使って、逃げて来たんです。途中で、見張りの人に見つかっちゃったけど……」
「どちらの方向から逃げて来たんだ?」
「えっと……。東に向けて逃げて来たんで、多分……西の方かと。上空から月の光で川が光って見えていたので、ロディアート橋よりも向こう側だと思います」
冷静に判断して、教団の方の位置を確認しつつこちらまで逃げてきたらしい。捕らわれていた状況下の中で、この歳でそこまで冷静に判断できるとは恐れ入るものだ。
「ロディアート橋の向こう側というと、王宮がある方か?」
「王宮の建物も途中で通り過ぎたので、それよりも向こう側だと思います。……ごめんなさい。急いで逃げていたので、捕まった場所の正確な位置が分からなくって……」
「いや、だがおかげで一つ分かったことがある」
エリオスが首を振りつつ、腕を組む。
「どうやら、ブルゴレッドは元々持っていた屋敷とは別の屋敷を使っているようだ」
「え?」
「ブルゴレッドの邸宅があるのは、北の方角だ。しかもロディアート橋……川は超えない場所にある。そこは貴族の多くが住んでいるいわゆる、高級住宅街にあるんだ」
「それじゃあ……」
「恐らく、俺に居場所を知られないように新しく屋敷を買ったか、もしくは借りている可能性がある。……そうすればアイリスを隠せるからな」
「……」
「場所はもう一度、夜が明けてから慎重に探そう。それよりも気になることが一つある」
真顔だったエリオスの表情がここで初めて、小さく歪んだ気がした。
「ローラ。君は明日まで、見張っていればいいと言ったね」
「はい。……だから、きっと明日何かあるんだろうと思って……」
そこで何かに気付いたクロイドは急に立ち上がる。
突然のことにローラも驚いているようだ。
「そうか……。明日、無理矢理に結婚させる気なんだな」
独り言のように呟いたクロイドの言葉にエリオスも同意するように頷いた。
「そういうことなんだろう。話を聞く限り、明日、正式にアイリスと結婚するつもりだと思われる」
ローラは何のことなのか分からないと言った表情で首を傾げている。そういえば、ローラは理由も知らずに誘拐されたようなものだ。
「……実はな、アイリスが無理矢理、結婚されそうなんだ」
「え?」
「相手は貴族。しかも、これはアイリスの両親が遺した財産目当ての結婚らしい。だが、アイリスは拒絶しているから、何としてでも結婚しようとローラを使ってアイリスをおびき寄せたんだろう」
「っ……」
ローラは口を手で押さえる。まさか、自分がそのようなことのために利用されたとは思わなかったのだろう。
「明日までとなると時間がないな……」
ぼそりとエリオスが呟く。
「場所をしっかりと特定して、機会を見計らわなければ、アイリス奪還の計画も失敗する可能性がある」
「……それなら、やはり夜の時間じゃないと」
動くなら、昼よりも夜だ。魔法を使って、見張りを眠らせることは簡単だが、昼間だと自分達の姿さえ見られてしまう。だが、時間がない。
「場所さえ分かれば、今、助けに行けるのに……」
「慌てるな。……恐らく、夜と言っても深夜に近い時間帯に結婚の署名をするはずだ」
「どうしてそんなこと知っているんですか」
「ブルゴレッド家のしきたりらしい。昔、母親から聞いた話だ。結婚の署名をする際には本家筋の家も呼んで、結婚発表と披露宴をしたと言っていた。元々はブルゴレッド家の本家筋のしきたりらしいから、顔色窺いが得意なあいつの事だ。その辺りはちゃんと常例通りにやるだろうな」
嫌っているとはいえ、自分の父親の性格を理解しているらしい。
「それなら、明日の深夜までは時間があるということですか」
「あぁ。だからそれまでに場所を確定させて、作戦をしっかりと練った方がいいだろう」
「……分かりました」
クロイドも強く頷く。
「……俺は手あたり次第に式魔を飛ばしてくる。明日の朝早くから君達の手を借りることになるから、休めるうちに休んでいるように」
「えっ……。あの、私も手伝っていいのですか?」
ローラが驚いた声で背中を向けて、立ち去ろうとしていたエリオスを呼び止める。
「アイリスがいるかもしれない屋敷の場所を知っているのは君だけだ。明確でなくても、大体の方向や場所を特定するのには君の力が必要となる。……その辺りは特例として、俺が上の者に申請しておこう」
「っ……。ありがとうございますっ」
エリオスは小さく頷くと、医務室から出て行った。
「……そういうことだ。ローラ、今は疲れているだろうから、しっかりと休んでいてくれ」
「うんっ!」
アイリスを助けることに協力できるのが嬉しいのかローラは年相応の笑顔で力強く頷く。
「でも、魔力不足で倒れたんだから、無理しちゃ駄目よ? 寝ていれば魔力も体内に回復すると思うけれど……」
クラリスが心配そうに頬に手を当てつつ、軽く溜息を吐く。
「私の方から孤児院には友人の家で貧血を起こして、寝ているから帰るのは明日になるって伝えておくわ」
「……宜しくお願いします」
ぺこりとローラが頭を下げると、クラリスも納得したように頷き、孤児院に電話をかけに行ったのかその場から離れる。
医務室には自分達以外、誰もいないのか、もしくは寝ているのか静けさが漂っていた。
「あのね、クロイドお兄ちゃん」
「どうした」
「私……頑張るよ。あんまり役に立たないかもしれないけど、それでも頑張るから」
もう、その表情は子どもには見えなかった。まるで、何かを覚悟した時のアイリスの横顔のようにさえ見えたクロイドは自分の目を疑いそうになる。
「……十分、頑張っているぞ」
「うん……。本当はね、私のせいでアイリスお姉ちゃんが大変な目に合っているんじゃないかって思っていたの。……だけど、もうそういう風に考えるのはやめるよ」
これほどまでに、ローラを大人びたものへと変えてしまうのは、どんな理由があるのだろうか。数か月前のローラとは別人ではないかとさえ思えてくる。
ローラはぱっと顔を上げて、そして小さく笑った。
「……私、いつか教団の魔法使いになれたら、絶対に魔具調査課に入りたい」
「魔具調査課にか? ……色々と大変だぞ。他の課の奴から嫌味を言われることだってあるし」
まだ、ローラは魔力の使い方が安定していないようだが、それをこれから直していけば、一人前の魔法使いとしてやっていけるはずだ。
「もう決めたのっ! 絶対に入って、アイリスお姉ちゃん達を今度は私が助けるのっ!」
子どもが駄々をこねるような言い方でローラがふくれっ面で言ったのが面白くて、クロイドはつい小さく笑ってしまう。
「……そうか。それなら、俺もアイリスも心強いよ」
「うん。だから……。絶対に明日……アイリスお姉ちゃんを……」
少し安堵したことで急激に眠気が襲ってきたのか、ローラが目をこすり始める。身体の体勢が保てなくなったのか、ローラはゆっくりと身体を横たえ、目を閉じた。
「……」
聞えてくる寝息は整ったものだ。完全に寝てしまったらしい。
「……おやすみ、ローラ」
怪我をしてしまったこの小さな手を明日も借りなければならない。今はゆっくりと休むことが大事だ。
クロイドはカーテンを閉じて、医務室から音を立てないまま立ち去った。
……アイリス。
きっと、明日助け出してみせる。そして、もう二度と彼女に嫌な思いをさせたりはしない。
夜凪のような瞳の奥で、クロイドは静かに感情を高ぶらせていた。




