脱出
今度は正確に円が描けるように窓から漏れる月明りの下へとノートを持ってきて、先程と同じ魔法陣を描く。
クルクは自分と同じように、他の動物を召喚しろと言っているのだ。
「えっと……」
この高さから自分を逃してくれる動物と言えば、何があるだろうかと思案する。魔力の残量のこともあるので、出来たとしても、あと一体の召喚獣しか呼べないだろう。
「それなら……鳥、かなぁ」
鳥ならこの高さから降りても飛ぶことが出来るし、人間の足よりは早く逃げられるはずだ。ただし、鳥の背に乗って逃げることを考えれば、小さな鳥ではなく、身体が大きいものを想像しなければならないだろう。
「鷹……とか、鷲とか……」
動物図鑑で見たことはあるが、細部まで表現するのは難しいので能力特化にした方がいいだろう。
「クルク、今から魔法を使うから、ちょっとだけ離れていてね」
「キィ」
ローラの言うことを聞くように、クルクはその場から1メートル程離れた。
「……我が名はローラ・ボルダン。創造するは、我が使い。求めるは影の契り。与えるはこの魔力と真の名」
手を魔法陣へとかざしつつ、先程と同じ呪文を唱える。想像したのは大きく丈夫な翼を持ち、自分一人が背に乗れるほどの背丈を持った鳥。
「呼びかけに応じよ。契りを交わせ、汝が名は――『翼が大ききもの』」
再び光の柱が魔法陣から天井を突き抜けるように伸びる。瞬間、重たい風が一気に自分の身体をすり抜けるように吹いた。
「っ……」
さすがに慣れていないのに魔法を二度も一気に使ったため、自分が使える魔力はもうないようだ。全速力で走ったような疲労感がどっと襲ってくるが、それでローラは歯を食いしばり、前を向く。
そこにいたのは想像通りに自分の身体よりも大きな鳥。鋭い嘴と爪を持っているにも関わらず、その表情はどこかお道化ているようにも見える鳥だった。
そういえば鳥を想像した時に、鷹と鷲と鴉の姿がごちゃごちゃになってしまっていたかもしれない。羽は黒いが、部分的に見れば鷹と鷲の特徴を捉えている気がする。
「エルグランデ、だから……。エルって呼ぶね」
「……」
どうやらクルクとは違い、お道化た表情をしている割には無口な鳥らしい。その方が静かにしていなくてはならない今は都合がいいが。
「あなたの背に私を乗せて、飛んでほしいの。……出来るかな?」
エルは絵に描いたような表情のまま、こくりと首を動かす。この召喚獣も言葉が分かるらしい。
「よし、じゃあ今から準備するからちょっと待っていてね。……クルク、おいで」
手を伸ばすと、すぐにクルクが床を蹴ってローラの肩へと飛び移る。
先程使ったノートと万年筆を鞄の中へと仕舞い込んで、鞄を肩に斜めにかける。あとは窓を割れるものを探して、準備が整ってから逃げるだけだ。
「――そんなことあるわけねぇだろ」
突然聞こえた扉の向こうから近付いてくる男の声にローラはばっと、振り返る。
「いや、外の見張りの奴が何か光っているように見えたって言っていたし。しかも、二回も」
「光るも何も、この部屋はただの物置だし、電灯だって点けてないぞ」
「電灯じゃなくって、何か白い光だったらしい。とりあえず、確かめてみようぜ」
「仕方ねぇな……」
まずい、さっきの召喚魔法の際に現れた光の柱が外で見張りをしている人の目に留まったようだ。
……どうしよう。
今、召喚獣が二体いる状況で寝たふりなど出来ない。一度、召喚を解けばいいかもしれないが、もう一度魔法を使えるほど、自分の中に魔力は残っていない。
焦る中、男達の足音が次第に近付いてくる。
……もう、機会はない。
ローラはすぐに傍にあった木箱を抱え上げ、そして、窓目掛けて思いっきり投げた。
がしゃん、とガラスが破片へと化す音がその場に響く。木箱はそのまま窓枠の向こう側へと落ちていった。
「おいっ、何だ今の音!?」
「部屋の中からしたぞ! 人質が起きているんじゃないか?」
男達が慌てるように扉の前へと走る音が聞こえ、鍵を開けようとしているのか金属音が重なり合って響いている。
「っ、エル! こっちへ……」
ローラは服の袖で拳を作るように握りしめ、エルの身体が通れるようにと窓枠に残っているガラスを叩き割る。
「おい、急げよ!」
「鍵が、どれか分かんねぇんだよ……」
持っている鍵が多いのか、この部屋のものが見つからないんだろう。ローラはすかさず、木箱を扉の前へと押しやって、いざという時の妨げになるように置いた。
「先に行って!」
ローラの言葉に従うようにエルが窓枠へと飛び移り、そして、宙へと翼を広げて飛んだ。だが、それを見て一安心は出来ない状況だ。
「クルク、ちゃんと掴まっていてね」
「キィ」
がちゃり、と鍵が開いた音が聞こえた。扉が、開く。
だが、ローラは後ろを振り返ることなく、自らも窓枠に足をかける。
「あっ! おい、ガキが逃げるぞ!」
扉はすぐに開いたが、置いておいた木箱が上手く引っかかってくれたおかげで、大人の身体が通れない隙間になっていた。
「くそ、蹴破れ!」
鈍い音とともに、扉が破壊される。
「っ……」
ここはどうやら三階だったらしい。思っていたよりも高い高さにローラは唾を飲み込む。
空を見上げれば、エルが自分の指示を待つように宙を漂っている。それなら、自分の選択は迷う事なく一つだ。
「待て、ごらぁっ!」
荒っぽい声で男がローラへと手を伸ばす。
だが、その前に動いたのはローラだった。窓枠にかけた足を踏ん張るようにしながら、宙に向かって思いっきり飛ぶ。
「おいっ!」
男の手は空を掻いた。
「……エル――ッ!」
飛びつつもローラは叫んだ。肩に乗っているクルクが飛ばされないように空いている手で、クルクを支える。
身体は重力に反することなく、そのまま落下を続けた。地面が寸前に来る前に、思わず目を瞑る。
目を閉じて、どれくらい経ったか。ふっと、現状を確認するために目を開けると自分は柔らかく、艶やかな黒いものの上に居た。
「っ、エル!」
広げられているのは漆黒の翼。それはローラの身体の3倍以上の大きさがあった。
「ありがとう、エル!」
どうやら、地面直前でエルの背に無事に着地出来たらしい。
「……」
上手く脱出が出来たローラが喜びのあまり、その身体へと抱きつくが、それでもエルは無言のままだ。
身体を起こして、周りを見渡す。自分は本当に空を飛んでいた。向かい風はそれほど強くない。むしろ、エルが優しい風を作り出しているようにさえ思えた。
「すごい……」
夜の街が自分の下に広がっている。暗闇にぽつりと見える灯りは夜空の星と同じように見えて、とても綺麗だ。あの場所にいつも自分がいることが信じられないくらいに。初めて見る光景に驚きと感動が隠せない。
「これが、魔法で見ることが出来る世界なのね……」
飛ぶことなんて、中々出来ない経験だろう。
「キィ……」
クルクが肩から腕の中へと下りてくる。
「クルク……。クルクもありがとう」
クルクとエルがいなければ、自分はあの場所から簡単に逃げることは出来なかっただろう。しかも三階の窓から飛びおりるなど、下手していたら死んでいた可能性だってある。
自分に魔力がなかったら、こんな事をしようなんて思わなかったはずだ。それでも、自分は魔力を持っているし、魔法も少しだけ勉強している。
普通の人が暮らす世界から、少し隠された世界へと自ら入ろうとしているのだ。
「私……、やっぱり魔法は凄いものだって思うの」
不可能だと思っていたことを可能にしてしまう力を持って居る。だが、それが叶うのはきっと、正しく魔法を使った者だけなのだ。
脱出出来た今、向かう先は一つだ。目指すのは自分が住んでいるリンター孤児院ではなく、「嘆きの夜明け団」の本部。
正確に言えば、クロイドのもとへと急いだほうが良いだろう。
「アイリスお姉ちゃんが大変なことに巻き込まれているなら、伝えなくちゃ……!」
場所は一度、行ったことがあるので覚えている。
「エル、そのまま東へ。サン・リオール教会に向かって」
「……」
無言だがエルの身体の方向が少し修正された気がした。恐らく、了承の意だろう。
……私に出来ることは少ないけど、それでも頑張るから。
握りしめた手には先程の窓枠に残っていたガラスを割った時に怪我したのか血が袖を色濃く滲ませている。その痛みさえも忘れたようにローラの瞳はただ真っすぐと前だけを向いていた。




