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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
偽りの婚約編
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灰色服の男


 ふっと嗅いだことのない、作られたような匂いにアイリスは目を覚ます。ぼんやりと自分の視界を広げてくれたのは、棚の上に置かれている燭台の灯りだった。

 その灯りによって、最初に見えたのは見知らぬ天井。汚れ一つない天井から、今度は周りをよく見ようと視線を巡らせ、そして気付いた。


「っ……!」


 だが、身体を起こそうにもいつものように簡単に起きる事は出来なかった。


「何、これ……」


 自分の手が背中側へと回され、縛られている。足も動かないことから、どうやら両足までも縛られているようだ。


「……」


 思い出した。確か、自分はジーニスによって捕まったローラを助けようとして、そこで不意打ちをくらって、気絶してしまったのだ。


 思い出した痛みにアイリスは顔を顰める。気配に全く気付かないなんて、剣士失格だ。自分に打ち込もうとしてくる瞬間の殺気くらいしか分からなかった。


 ……ここは多分、ブルゴレッド家よね。


 自分はどうやらベッドの上に寝かされていたみたいだ。このベッドも新しいもののように見える。

 窓はあるが、外に出られないように外側から板のようなものが取りつけてある。扉はあるが、あれは外側からしか鍵がかけられないものらしく、内側には鍵穴さえない。


 ……まるで最初から、私を閉じ込めるために作られた部屋みたい。


 窓の外が見えないようになっているので、今がどのくらいの時間なのか分からないが、恐らく夜になっているはずだ。

 自分の置かれている状況を理解しているせいか、アイリスは思ったよりも冷静に物事を考えられている自分を嘲笑する。


 自分のことばかり考えているから、このようなことになるのだ。もっとよく、自分の立場を理解していれば、ローラを巻き込まずに済んだのに。


 ……クロイド。


 名前を呼んでも彼は来ない。彼なら自分が書いたメモを見て、裏口へと向かうだろう。そこで自分が残したものに気付いてくれるといいが。

 だが、今はとにかく動けるようになってから、ローラを探すべきだ。突然、同じように攫われて、こんな場所に連れて来られたならば誰だって驚くし、見知らぬ人が自分を捕まえていると知れば、恐ろしいと思うだろう。


 早く助けてあげなければ、恐怖を心に刻み込んでしまいかねない。

 アイリスは自分の腕を縛っている縄を何とか解こうと、手を色んな方向へ動かしてみる。


 ……思ったより、きつく縛られているわね。


 先程、自動車から降りてきていた男達は荒事を引き受けそうな感じだった。人を縛り上げるのはお手の物なのだろう。

 アイリスが暫くもがいていると、扉の向こう側からいくつか足音が聞こえ始め、それはやがて扉の前で止まった。


「……」


 金属音が重なる音が聞こえ、扉がゆっくりと開いていく。

 アイリスは身体を少し、身構えつつもその現れた男を睨みつけた。


「……随分と、丁寧なおもてなしね、ジーニス」


 この部屋の鍵を持ったジーニスの後ろには灰色のローブを来た男が入って来る。いかにも怪しい容姿だ。


「おはよう、アイリス。といっても、まだ夜になったばかりなんだけれどね」


「あの子はどこ。あの子に乱暴したら、許さない」


 視線で相手を射られるなら、どんなにいいだろう。


「そんなに怖い顔をしなくても大丈夫だよ。君がここに居てくれる限り、あの女の子に手出しはしないから」


「私が簡単にあなた達を信じると思う? ここへ連れてきて頂戴。でなければ、あの子が本当に無事かどうか信じられないわ」


「それは出来ないね。だって君、あの子が無事だと分かったら、一緒に逃げるだろう?」


 ジーニスは肩をおおげさに竦めてみせる。


「心配しなくても、無事に結婚出来たら、あの子は逃がしてあげるさ」


「……私がする気がなくても、出来ると思うの?」


 アイリスは思いっきり身体を前へと揺らし、床に倒れつつも飛び起きる。両足が縛られた状態で出来るのはここまでだ。


「君は相変わらず、お転婆だなぁ」


 動けなくても、他にも戦い方はある。例えば頭突きなどなら、今の状態でも出来るはずだ。ただし、相手が二人以上だと分が悪すぎる。


「そうそう、忘れるところだった。君との婚約発表、明日の夜に決まったから」


「はぁ!?」


 思わず素で冷めた大声が出てしまった。早いというよりもあまりにも急過ぎる話にアイリスの頭はついていけない。


「それまではこの部屋に居てもらうよ。もちろん、明日までの時間、身の回りのことはメイドに任せるから」


「ちょっと待って! ……私は絶対にあなたとなんか結婚しないわよ!」


「人質になっているあの子がどうなってもいいのかい?」


「それは……」


 アイリスがすぐに反論する前に、すっと灰色のローブを着た男が前へと出る。


「ジーニス様、お戯れはそのくらいで」


「何だ、君も頭が固いな、シザール」


 その名前に何かが引っかかり、アイリスはその男の顔をよく見ようと目を凝らす。


「まぁ、いいや。アイリス、お腹は空いているよね? 一緒に夕飯はどうかな?」


「……ここで出されるものを食べるくらいなら、餓死した方がましだわ」


 すかさずアイリスが舌打ちしつつそう答えるとジーニスは苦笑しながら頷く。


「そう言うと思ったよ。でも、このまま起きていてもらっては、夜中に暴れ回って抜け出されかねないからね。……シザール。君のお得意の催眠術とやらで彼女を眠らせてくれるかい?」


「はい、畏まりました。……ですが、この催眠術は集中しなくてはなりませんので、ジーニス様は一度、部屋の外でお待ちいただけますか。すぐに終わりますので」


「何だ、見てはいけないのか? 父上がお前のその妙技を褒めていたから、直接見たかったんだが」


「はい。こう見えて、すぐ緊張してしまう性質でして……」


「ははっ……。まぁ、お前がそういうなら、部屋から出て行くよ。……それじゃあ、アイリス、おやすみ」


「ちょっと……!」


 だが、アイリスの制止さえ聞かずにジーニスはその場から立ち去る。部屋の中にはアイリスと妙な男だけが残った。




「――シザール・ハインズ」


 アイリスがぼそりと言った名前にシザールは反応を見せる。


「あなた、貴族相手に魔法で商売しているシザールよね? お仲間を置いて、こんなところにいるなんて、誰も思わないでしょうね」


 男はフードの下で笑みを浮かべていた。見た目は二十歳半ばくらいだ。髪色は黒に近い茶色で、鼻が高く、目の色は緑だ。


「貴族様相手だと、儲かるからな。あいつらは運が悪かっただけだ」


 先程までのジーニスに対する口調とは変わって、粗暴な口調で言葉を返してくる。


「じゃあ、私がここから出られたら、あなたがブルゴレッド家と関わっていたことを魔的調査課に赤裸々に話してきてあげるわ。そうすればあなたは捕まって、この家も監視対象に入って、私も魔的調査課も万々歳だもの」


 出来るだけ皮肉を込めてアイリスは嘲笑する。今は、それしか言い返せないのが悔しかった。


「……ブルゴレッド家に、式魔を置いていたのはあんたか? いや、あんたには魔力がないな……」


「あら、知らないの? 私、教団で唯一の魔力無し(ウィザウト)なのよ」


「……じゃあ、あの子どもが言っていたローレンスは、あのローレンス家のことだったんだな」


 シザールはアイリスを馬鹿にするような笑みを浮かべ始める。


「そうよ。残念だわ。私にナイフ一本さえあれば、あなたの首を掻き切るどころか、ブルゴレッド家を全員始末出来たのに」


 勿論、そのような事を実際にすれば自分も罪に問われる。だが、そうしてやりたいのは山々だった。


「……ここに運ばれてきている小さな女の子は無事なの?」


「それを知ってどうする」


 シザールは腰に下げていた杖を取り出す。


「ただ、確かめたいだけよ。……この家の人間は簡単に人を裏切るような奴らよ。私がここに居ても、あの子に手を出すなら、私は大人しくしておく意味がないもの」


 本当のことを言えば、動けないので大人しくしておくしかないのだが。

 それでもローラの無事だけは確かめたかった。


「ふん、よほどのじゃじゃ馬のようだ。……あの娘は無事だ。何せ、この俺が眠りの魔法をかけたからな」


「そう……。それなら、いいわ」


 アイリスがほっとしたような表情を見せるとシザールは意外だと思ったのか首を傾げる。


「あんた、いま自分が置かれている立場を分かっていて、他人の心配をしているのか?」


「そうよ。……私が巻き込んでしまったようなものだもの」


 思っているよりも、シザールと会話が出来るのは、やはり教団の存在を知っている者同士だからだろうか。


「……あなたが魔法使いだって知っているのはジョゼフ・ブルゴレッドだけ?」


「あぁ、あのお坊ちゃんや奥方にはただの催眠術師としか伝えていない。俺は自分の魔法を安売りしたくないからな。……特にあのお坊ちゃんには頭を下げるだけでも反吐が出そうだ。何と言うか、生理的に受け付けたくない人間だな、あれは」


「その割には、腰が低いじゃない」


「雇い主の息子だからな。下げなきゃならん、頭くらいは下げるさ。さて、もういいかね? そろそろ、お嬢さんには寝てもらう時間だ」


「……待って、最後に一つだけ」


 アイリスは一度、深く息を吸った。

 恐らく、この男には頭突きは効かないだろう。自分の魔法に自信があるなら、攻撃し返してくる可能性がある。


 彼の魔法でこの後、寝ることになるのは十分に分かっているが、それでも聞き出せる情報は聞き出しておきたい。


 今、情報課ではこの男について調べているはずだ。もしかするとこの場所が割れれば、自分も教団の人間に見つけてもらえる可能性は十分にある。

 それに今頃、自分が寮にも魔具調査課にもいないと気付いたクロイド達が、自分の居場所を探ってくれているだろう。どちらから探してもきっと、自分がここにいると分かるはずだ。


 だが、気になることがある。

 何故、唐突に明日、婚約発表をしなくてはならないのか。


「……あなたにブルゴレッド家から契約の話が来たのはいつだったの?」


 いつから、これを計画していたのか、それが知りたかった。結婚を急ぐ理由は一体何なのか。自分が結婚出来る歳になったから、急にその話を進めたのだろうか。


「一週間よりも前だったね。急いでいるようだったが、前金を結構な額もらえたから、すぐに了承した。最初は式魔がいたから、誰かに呪詛でもかけられているから、それを祓って欲しいのかと思っていたが……。まさか、金のためにとあるお嬢さんを誘拐しろだなんて言われるとは思っていなかったさ」


 シザールはよほどお喋りなのか、聞いていないことまですらすらと喋ってくれる。言いたいことはいくつかあったが、それは抑えて、返事をするだけにした。


「そう……」


 一週間前というと、ジーニスが自分に久しぶりに話しかけて来た時期と一致する。その時に、すぐにでも結婚話を進めようと考えていたのかもしれない。


 つまり、クロイドが自ら婚約者だと言い放ったことが原因でこういった強引な方法を取ったのではなく、最初から違法魔法使いを雇って、自分を誘拐する計画を立てていたということだ。


 結婚すれば自分が成人になっているかどうか関係なく、遺産は引き出すことが出来るようになる。それは夫となる人物が使えるようになるという事。

 それならば、まだお互いに学生の身である自分とジーニスの結婚の話をそんなに急いで進める必要はないのではと思う。何故、今、この時期に急に話を進める必要があるのか。


 ……もしかして、大金が必要なことでもあるの?


 もし、そうならば納得はいく。何か急に大金が必要となり、自分達の金で賄いきれなくなったブルゴレッド家はアイリスの持つ遺産を当てにしていると考えられる。


「もう、いいだろう? 俺はこのあと男爵に呼ばれているんだ」


「……眠ったあとに、何かしたら許さないわよ」


 アイリスは出来るだけ、性格が悪い女に見えるよう、演じることに努めた。


「こう見えて俺は紳士なんだ」


「今日、知ったばかりの相手の話を信じられると思う?」


 アイリスがわざとらしく溜息を吐くとシザールは同意するように苦笑した。


「安心したまえ。明日の夜になるまで、あのお坊ちゃんも君には手出ししないさ」


「どうしてそれが分かるのよ」


「何でも、ブルゴレッド家のしきたりがあるらしいじゃないか。結婚して、初夜を迎えるまでは花嫁に手出ししてはいけないって」


 そんな話、自分は全く知らないが、ジーニスがそれを律儀に守っているなら、一晩は安心できそうだ。


「まぁ、手出しされそうになれば、問答無用で頭突きをするけどね」


「それは怖い」


 シザールはベッドに横たわるようにと視線で合図してくる。アイリスは嫌々、それに従うことにした。

 アイリスがベッドの上に横になったことを確認したシザールは杖を指揮者のように上下に振り始める。


「――揺れる、揺れる、ゆりかごよ。その身体、その心、全て閉ざし、今、ひとたびの安らかな時間をかの者に与えたまえ」


「……」


 眠りながらでも意識があればいいのにと思う。そうすれば、明日の朝までにこの現状をどうすればいいのか考える時間はたくさんある。

 シザールの魔法が効いてきたのか身体が少しずつ重くなり、瞼が何度も閉じそうになる。


「それじゃあ、おやすみ。金づるのお嬢さん」


 だが、それでもアイリスの意識は自分の心と反していく。


 ……絶対に、結婚なんかしないわ。


 あと、一日だけ希望がある。まさか、明日の夜まで眠らされるわけではないはずだ。どこかで隙を少しでも見せたら、ローラを探して、逃げ出そう。走れることさえすればこっちのものだ。


 もしかすると、何かに気付いたクロイド達が助けに来てくれる可能性も残っている。絶望するにはまだ早い。

 それに結婚の署名を書かなければならなくなったら、その場にいる者、全員を殴り飛ばして、気絶させてでも逃げ切ってやる。


 やがて閉じていく意識の中でアイリスは心の中で静かに決心した。

    

    

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