不安の種
いつも通りの時間に目が覚めたアイリスは、着替えを済ませてから窓を開ける。朝日が少しずつ町を色付けていく時間を見るのは昔から好きだ。
暫く眺めていると羽音が聞こえ、伝書鳩のシャルトルが窓辺へと降り立つ。その細い脚にはいつものように細く縦に畳まれた手紙が備え付けられていた。
「ありがとう、シャルトル」
「クー……」
パン屑を与えるとシャルトルはそれを嘴で突き始める。そろそろ、手紙がくる頃合いだろうと思っていた。
アイリスはシャルトルの脚から外した手紙をそっと丁寧に広げていく。従兄弟であるエリオス・ヴィオストルからの手紙である。
綺麗に並べられた文字は季節の挨拶とアイリスを気遣う文面が書かれていた。
「え……?」
だが、そこに書かれていたのは近日中に帰る、お前の相棒にも会ってみたいという文面だったのだ。
「……」
確かにこの前来ていた手紙の返事に魔具調査課で相棒として一緒に勤めているクロイドのことを少しだけ紹介するように書いていたが、ここまで食いついてくるとは思っていなかった。
これは一応、クロイドにも従兄弟が会いたいと言っている、くらい伝えておいた方がいいだろう。
「でも、近日中っていつかしら……」
この前の手紙にはもうすぐ任務が片付くと書いてあったが、このように記しているということは既に任務を終えてこちらへと帰還し始めているのだろうか。
そして、最後の一文に、見落としてはならない重要な事が書かれていた。
――ブルゴレッドの事で、話がある。
それだけしか書いていない。つまり、大事な話は直接会ってから、ということだろう。アイリスは手紙をそっと閉じる。
何となく、胸の奥にざわめきのようなものが浮かんでは沈んでいく。
「……嫌な予感が当たらないといいんだけれど」
アイリスの吐いた溜息をパン屑を食べていたシャルトルは首を傾げながら聞いていた。
食堂へ朝食を摂りに行くと、一番端の席にクロイドが一人で座っているのが目に入り、アイリスはプレートを持って、その目の前へと座った。
「おはよう、クロイド」
「おはよう」
黙々と食事をしていたクロイドがふっと顔を上げる。
「お腹の傷の具合はどう?」
「……毎日のように聞かれている気がするな。もう、一週間だぞ」
ヴァイデ村から帰ってきて、ちょうど一週間程経ったがそれでも気になるものは気になるのだ。
「痛みも無いし、傷も完全に塞がっている。医務室で診てもらっているが、もう軽く走るくらいの運動なら出来ると言われた」
「そう。それなら良かった」
アイリスはほっと息を吐きつつ、トマトスープを食べ始める。
「……そう言えば、知っているか?」
クロイドが周りを気にしつつ声の音量を抑えて訊ねてくる。
「アルが、一つ新しい政策を出したらしい」
「え? ……アルって、あなたの弟の……」
それ以上は言わずにアイリスも声量を合わせる。クロイドはこくりと頷いた。
「さっき、そこに置いてあった新聞を読んだんだ。――年齢に制限があるが、一時的な試験期間を設けて、イグノラント国籍の子どもにかかる学費を無償化するらしい」
思わず、持っていたスプーンを落としそうになった。目を丸くするアイリスの表情を見て、クロイドはふっと笑った。
「何でも、早急に出したい教育に関する政策だったらしく、議会で揉むに揉めたと書いてあった。……まぁ、貴族共は自分達の給金が減るんじゃないかっていう、金の心配しかしていないだろうけどな」
「……」
アルティウスに出会って、まだ一ヵ月くらいしか経っていない。彼は必ず約束を守ると言っていたが、ここまで早い決断を出し、試験期間とは言え学費を無償化する政策を出すとは思っていなかった。
「それでも、国王が太鼓判を押しているから、反対するに反対出来なかったんだろうな。そのまま可決されて、今日からその政策が施行されるらしい。――ゆくゆくは、この国にいる子ども全ての学費を大学まで無償にしたいって、アルが書面で意見しているぞ」
そう言って、クロイドはアイリスの後ろの方にある、今朝の新聞が置かれている棚を指さしていた。
「随分と……早いのね。でも、財政の方は……」
先日、アルティウスも言っていた。全ての子どもの学費を無償で賄うにはまだ経済力が足りないのだと。
「今のところは大丈夫だろう。まぁ、あとは……アル次第だな」
もう王子という身分ではないクロイドはそれ以上、口出しすることは出来ないと分かっているのか、静かに食事を再開する。
「……リンター孤児院の子ども達も、学校に行けるってことよね?」
「そうだな」
それは嬉しいことだ。恐らくローラ達だけでなく、シスター達も大喜びしているだろう。
「……」
アルティウスはきっと、自分達の知らないところで頑張っているに違いない。次にいつ会えるかなど、分かりはしないが、もしその機会があればありがとうとお礼を言いたかった。
「……あ、そういえば」
ふっと、今朝のことを思い出したアイリスは顔を上げる。
「あのね、兄さん……じゃなくって、従兄弟の兄が近々、教団に帰って来るの」
「従兄弟?」
「魔的審査課で働いていて、国外に任務に行ったりしているのよ。それで手紙でクロイドのことを少し書いていたら、あなたに会いたいって……」
「……俺に、か?」
「多分、私の相棒だから、挨拶くらいしておきたいんじゃないかしら。兄さん、律儀な人だし」
「……何か緊張するな」
どこか気まずそうな顔をしつつ、クロイドが小さく唸る。
「別に怖い人じゃないわ。そうね……。少しだけ、冗談が好きなお茶目な人よ」
「そうか……。……でも、何か手土産とか渡した方がいいのか?」
「どうして、そうなるのよ……」
クロイドがやけに真剣にそう言うのでアイリスは周りに気にされないくらいの声量で小さく笑う。
穏やかな朝なのに、それでもぽつりと浮かんでいるブルゴレッドに関することを忘れることは出来なかった。




