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汚れ

  

 ふっと自分の呼吸を意識した途端に、アイリスは目を覚ました。


 見知らぬ天井と柔らかなベッド。身体をゆっくりと起こして、少し寝ぼけたまま周りを見渡す。普通の部屋の中のようだが、ここはどこだろうか。


 まるで宿の部屋のようにも見えるが、自分が昨日泊った部屋とは違う。少しずつ、頭も冴えて来たところでアイリスははっと顔を上げた。


「……っ!」


 そして、飛び跳ねるようにベッドから降りる。思い出したのはジュモリオンのこと、そして──。


 部屋の扉を開けようとした瞬間、扉が向こう側から開けられる。その光景がやけにゆっくりと見えた。


 開かれた扉の向こう側にはクロイドが立っており、アイリスとぶつかりそうになって、お互いに動きを制止させる。


「クロイド……っ」


 無事を確認出来て、思わず泣き出しそうな声が出るアイリスに対して、クロイドは小さく笑ってから両手を広げた。その腕の中にアイリスは躊躇する事無く飛び込んだ。


 昨日と違って、密着しているクロイドの身体は温かかった。胸に耳を当てると鼓動が強く主張するように脈打っている。


 ちゃんと、生きている証拠だ。

 夢などではない。


 それが嬉しくてアイリスはつい力強く抱きしめようとするが、彼が怪我をしたことを思い出し、ばっと身体から離れた。


「クロイド、怪我は……」


 だが、クロイドは苦笑するだけだった。


「とりあえず、部屋に入らせてくれ。……ここは支部の宿舎の部屋なんだ」


「え?」


 首を傾げつつもクロイドを部屋へと入れて、隣に並ぶようにベッドの上へと座った。


「俺もアイリスも血まみれだったからな。ルオンが気をきかせて、宿舎に連れてきてくれたんだ。あの状態のままで泊まっていた宿に帰ったら驚かれるだろう?」


「そうだったの……。……でも、クロイドが無事で良かった。私、あの時、本当に駄目だと思っていたから……」


 思い出したくはないほどに、絶望してしまいそうな状況だった。血だってたくさん出ていたのに、どうして彼は平気だったのだろうか。


「……確かにあの時、ジュモリオンから直接、攻撃は受けた」


 そう言って、クロイドはシャツを上へとめくり上げる。左腹部には生々しい一線がくっきりと入っていた。


「ルオンの治癒魔法のおかげで傷はもう、塞がっているけどな」


「まだ、痛むの……?」


 クロイドはすぐにシャツを元へと戻した。


「いや、痛みは……それほどまではない。完全に傷痕が消えるのは時間がかかるかもしれないから、あまり激しい運動は出来ないってルオンに言われた」


「そう……」


 それでもあの出血量で助かったことが信じられないでいた。アイリスの考えていることが分かったのか、彼は小さく頷いた。


「……咄嗟にジュモリオンの気配に気付いたから良かったが、あのままだったら君の方がやられていたぞ」


「……私は、別に……」


 クロイドが傷付いたことの方が悲しかったが、そうは言えなかった。彼がその言葉を言われるのが好きではないと分かっているからだ。


「俺も何とか急所を外れたから助かったが……。さすがに痛かったからな。腹部を思いっきりに殴られたし」


 それで意識を失っていたのか。自分はそれを死んだと思ってしまい、そして自身の感情を止めることが出来ないまま暴走した。

 今、思い出せばクロイド達には恐ろしい姿を見せてしまっただろう。


「……クロイド、あの時……。私を止めてくれてありがとう」


 ジュモリオンを無慈悲に攻撃していた自分は一年前、魔物討伐課に所属していた時の自分のようだった。


 相手が魔物で、人にとっては悪だと判断すれば、その魔物が二度と立ち上がられなくなるまで、ずたずたに引き裂いてしまう。


 例え相手の血を浴びようとも、慈悲を乞われようとも。それすら聞き入れずに、ただ「敵」がいなくなるまで、自分は剣を振るうのだ。

 それこそが「真紅の破壊者クリムゾン・クラッシャー」の名の一番の由来でもある。


 魔具調査課に来て、その傾向はなくなったと思っていたが、やはり自分の中には魔物が絶対悪だという認識が根付いてしまっているのだ。

 それが自分の意識がない場合でも。


「ひどいものを見せてしまって、ごめんなさい……」


「……ジュモリオンを倒したこと、後悔しているのか?」


「それは……」


 ジュモリオンは村人達の命を弄んでいた。決して許されるべき魔物ではない。


 それでも彼らを壊すのではなく、封印することだって出来たはずなのに、あの時の自分には自制心がなく、迷うことなく彼らを壊した。


「……支部の団員も村長達もマティも、無事だったみたいだ。ちゃんと目を覚ましている」


「本当っ?」


 彼らの無事を聞き、アイリスは安堵の溜息を吐く。ジュモリオンの仮契約はちゃんと解けたのだ。


「ああ。……確かにジュモリオンを何かしら別の方法で、封印することも出来たかもしれない。でも、それ以前に……君は村人達と団員を救っているということを忘れないでくれ」


 まるでそれ以上自分を責めるなと言っているようだった。アイリスは思わず下を向く。彼は無残に魔物を殺した自分のことをどう思っているのだろうか。

 聞きたいのに、聞けなかった。


 返事に迷いを持っているアイリスを気遣ってくれているのか、クロイドはどこか困ったように笑った。


「……それとな、もう一つ助かった要因があるんだ」


「え……」


 クロイドは周囲に人の気配がないことを確認してから、口を開く。


「俺が魔犬の呪いにかけられているせいなのか、傷の自己修復が早かったんだ。気を失っていても分かるほど、腹部で強く主張していた痛みが少しずつ引いていく気がしたんだ」


「それは……魔犬も傷の修復が早い可能性があるってこと?」


「恐らくな」


 そう答えるクロイドの表情はもう、明るいものではなかった。だが、そんな表情を見せたのは一瞬で、クロイドはすぐに立ち上がる。


「ほら、宿屋から荷物を引き取って来たから、アイリスも着替えるといい。それと下の階に厨房があったから、ちょっと借りて朝食を作ったんだ。あとで一緒に食べないか?」


「作ったって……よそ様の家なのに……。ん?」


 そこでアイリスは何かに気付く。今、彼は着替えろと言った。


 何から、何に着替えるのか、それは分かる。だが昨晩、アイリスは魔物の血を被って、全身が真っ赤に染まっていたはずだ。


 それなのに自分の身体はどこも汚れていないどころか、むしろ綺麗だ。血の匂いが微かにするだけで、血痕は一つもない。


 それどころか服まで着ていたものが違うものへと替わっている。これは確かに自分の部屋着だが、いつのまに着替えたのか。

 いや、着替えなどしていないはずだ。だって、今まで自分は寝ていて――。


 そこで顔をばっと上げると、どこか気まずそうな表情で口元を手で隠しているクロイドがいた。


「……ねぇ、寝ている間に誰が私の着替えをさせたの?」


 自分でも訊ねるのが恐ろしい質問だと分かっている。だが、一体誰が自分の身体を綺麗に拭いてくれた上に、着替えまでしてくれたのか。


「……いや、許可なくやったのはまずいと思ったが、血まみれのまま寝かせるわけにもいかず……」


「……見たの?」


 ずいっとアイリスは真っ赤になった顔を近づける。


「……全部は見てない。触るのは……身体を拭く時に布越しで少しだけ。あとは出来るだけあまり見ないように拭いた……はず」


「っ……」


 その意味が何を表しているのか、聞かなくても分かった。クロイドも頬を赤く染めて、アイリスと視線が重ならないように他所を向いている。

 それまで考えていたことが一気に弾け飛んだように忘れ、アイリスは頬をさらに紅潮させていく。


 恥ずかしさと、気を失ったことへの後悔と、クロイドに世話をしてもらったことへの感謝が入り混じり、何といえばいいのか分からず、黙ってしまう。


「……本当にすまない。勝手なことはしない方がいいと思ったんだが……。でも、他の奴に君の世話を任せるくらいなら、自分でしたかったんだ」


「……私だって、知らない人に世話なんかされたくないわよっ」


 それが例えば女性だったならば、まだ羞恥心が小さいもので済んだのだが。


「……見苦しいものを見せて悪かったわね。でも……ありがとう」


「いや、見苦しくなんかは……。むしろ綺麗……」


 クロイドが何かを言おうとする前にアイリスはすかさず、枕を手に取り、彼の顔に向かって投げた。


「んぐ……」


 今回は見事、枕がクロイドの顔に命中した。ぽとりと枕が床へと落ちる。


「もうっ、そういうことは言わなくていいの!」


「だが……」


「いいから! 着替えるから先に下に行って頂戴! このまま部屋にいるなら、ブレアさんにこの事を告げ口するから!」


 床に落ちた枕を拾い、アイリスは半分泣いて、半分怒っている状態で、その枕をぶんぶんと回した。


「分かった、落ち着け……。じゃあ、下で待っているからな」


 自分に背を向けたクロイドはまだ顔を赤くしたままだ。扉を開けて、部屋の外へと完全に出て行ったことを確認してから、アイリスは枕に顔を埋める。


「あー……もうっ……」


 明らかに自分の方に落ち度があると言えるが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。


 ふと、自分の手を見る。

 そこにはもう血は付いていないはずなのに、匂いがこびり付いて取れない気がした。


 ……綺麗なわけがないわ。こんなに血で染まっているんだもの。


 真紅は鮮血を意味し、破壊は原状が分からなくなるまで、魔物に剣を振り下ろしていたから。だから、あの名前が付いた。

 自分の手は魔物の血で汚れている。


 本当は自分が真紅に染まる姿など、クロイドには見せたくなかった。それでも彼は自分の行動を責めずに、身体が血で赤く染まっていたのを綺麗に拭いてくれた。


 ……気持ち悪くなかったのかしら。


 自分だったら、不気味に思う。

 この身は、もう普通の女の子ではないのだ。魔犬に会った日から、自分は──剣士になったのだから。


 それでもクロイドは普通の女の子のように接してくれるし、自分のことを意識しては顔を赤く染めている。

 それがどうしようもなく嬉しいと思ってしまう自分がいるのだ。悪い事ではないはずなのに、後ろめたく思うのは何故だろうか。


 ……とにかく、支部の人達やマティ達に会わないと……。


 アイリスは首を振り、とりあえず別の服へと着替えようと、自分の鞄に手を伸ばした。

  

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