氷の鎖
アイリスの言葉にクロイドは呆然とした表情のまま、目を見開く。
「何を……言っているんだ」
「クロイドは私に防御魔法をかけてくれる? ある程度の攻撃になら、身体が耐えられるくらいの……」
「アイリス!」
クロイドが切羽詰まったような表情で、アイリスの両肩を強く掴んだ。
「言っていることの意味が分かっているのか!? それじゃあ、まるで……」
その先の言葉を続けることをクロイドは躊躇った。
アイリスは揺るがない瞳でクロイドを見つめながら、はっきりと言い放つ。
「結界内に入れば、あいつは当然逃げられないわ。でも、そのまま封印することは出来ないから、私も一緒に入って、弱らせるしかないでしょう? それに幻を見せると言っても、実体がないわけじゃないもの。……その結界が狭ければ狭い程、相手の位置を明確に特定出来るし」
「一緒に入れば君だって、逃げ場がないのは同じだろう!?」
「だからこそ、防御魔法をかけて欲しいの。それなら少しはもつでしょう? 私だって、簡単にやられる気はないもの」
「だが……」
クロイドはまだ納得できないのか、何か言いたそうな表情をしている。アイリスは両肩に置かれた手をそっと外した。
「大丈夫、平気よ」
自分とクロイドは同じくらいに強情だと分かっている。
だが、どうか納得してほしい。ジュモリオンの幻に惑わされずに打ち倒すには、これが一番効率的なやり方なのだ。
「……もし、上手くいかなかったら、どうするつもりなんだ?」
ルオンは特に反対していないらしい。
「そうね……。その時は結界ごと破壊して頂戴」
「っ!」
クロイドの目がさらに見開かれる。
「だって、誰かが必ずあいつを倒さなきゃいけないもの。出来るなら、この手で仕留めるつもりだけれど、もしもの時がないとは限らないでしょう?」
「……アイリスって思っているよりも冷静で、合理的なんだなー」
「そうかしら。いつもつい、感情のままに動いてしまうけれどね」
だから、真紅の破壊者なんて呼ばれるようになったのだが、ルオンはそれを知らないらしい。
「アイリス。それなら、一つだけ条件がある」
クロイドが挑むような視線をアイリスへと向けてくる。
「何かしら」
「俺も一緒に結界内へ入る。……魔法であいつの動きを確実に止めることが出来れば、君に及ぶ被害も少なくなるはずだ」
「それは……私は凄く助かるけれど、あなたはいいの?」
一緒に結界内に入れば、クロイドにもジュモリオンの攻撃が及ぶ可能性がある。
「構わない」
「……」
クロイドの瞳はすっと、据わっているように見えた。どうやら意地でも一緒に結界に入る気らしい。
だが、彼の魔法が有効なのは事実だ。アイリスは彼の意志を無駄にはせずに、その言葉を快く受け取ることにした。
「……そういうわけだから、ルオン、頼めるかしら?」
「まぁ、いいけどよ。あまり縁起でもないことは言いたくないが……気を付けろよ」
「ええ」
クロイドもこくりと頷く。お互いに目配せし、準備が出来ていることを確認した。
ルオンの前に立つようにアイリスとクロイドは横に並びながら、ジュモリオンの方へと歩いていく。自然と歩調と呼吸も合う気がしたのは、やはり相棒だからだろうか。
「何か話していたみたいだけど、そろそろ覚悟は出来たかい? ああ、もちろん、死ぬ覚悟のことだけど」
相変わらず、ジュモリオンは魔犬の姿のままだ。
そして、アイリス達とジュモリオンとの距離が5メートルになった瞬間、後方にいたルオンが叫ぶ。
「──四方に灯るは光の剣。通さずは悪しきもの。応えて、出でよ。澄んだ聖壁!!」
ルオンはそのまま剣先を地面に向けて突き刺した。剣先から流れ出る光の柱が地面を稲妻のように駆け巡り、アイリス達とジュモリオンを囲んでいく。
淡く透明に光る四方の壁により、アイリス達は完全に囲まれ、外に出られない状態となった。
「……ねぇ、これは何のつもりなんだい?」
まるで子どもが不思議だと思ったことを問いかけるようにジュモリオンは首を傾げる。
「結界……みたいだけれど、これで僕を閉じ込めたつもりなの?」
少し隔たりが出来ただけで結界内の空気は重く、淀んでいるように感じてしまう。
アイリスはクロイドよりも一歩、前に出る。
クロイドが傍にいるからだろう。気分は落ち着いていた。
「──身に覆うは霧の鎧。纏うのは鉄より重きもの。吹き抜ける風はその身を守り、汝が盾となる」
クロイドの呪文によって生み出された防御魔法が見えないものとなって、アイリスの身体を覆っていく。それはとても温かく、そして優しいもので出来ているような気がした。
「何だい? 僕と肉弾戦でもやる気なの? 防御で固めても、無駄だと思うけど」
そう言って、彼は鋭い歯をわざと見せるように笑う。
瞬間、ぶわりと鳥肌が立った。目の前にいるジュモリオンから溢れ出る殺気に、アイリスはごくりと唾を飲み込む。
だが、ここで引けを取るわけにはいかない。
「……違うわ。私はただ、止めを刺すだけだもの」
「……何だって?」
アイリスの顔の横にすっと伸びてきたのは、腕だけ魔犬化したクロイドだ。鋭く、黒く変化した手をジュモリオンに向けてかざす。
「……氷の女神、グラシスに乞う。今ここに、汝が力、顕現したまえ。凍る鉄の盾!」
クロイドの足元から渦巻く冷気が溢れるように出てくる。淀んでいたはずの空気は一瞬にして、雪国のように身体を突き刺す冷たさへと変わり、自らの吐息さえ白く染まる。
やがて地面は氷の板のように変化していった。
……中々、冷えるわね。
自分の身体も気を付けていなければ、凍ってしまいそうだ。
自分達の足元を覆った氷はそのままジュモリオンへと伸びていき、彼の足元へと辿り着いた。
パキパキッという氷が割れるような音とともに、ジュモリオンの身体を完全に捕らえた氷は、彼の身体へと蔦が巻き付くように形成されていく。
「なっ……これは……」
そこで初めてジュモリオンの表情が戸惑いへと変わった。
「ただの結界で閉じ込めているだけだと思った? こうすれば幻は作れても、実体となっているあなたの身体が動くことはないでしょう?」
「……足元が動けないだけだろう。このくらい、何ともないさ」
彼は意地を張る様にそう言って、身体を地面へと繋ぎ止める氷を自らの腕で攻撃し始める。
だが、アイリスはそんなジュモリオンを見て、冷めたように笑った。
「私にとって、あなたがたった一瞬、動けないだけでも十分に有利なのよ」
今、自分がしっかりと掴んでいる純白の飛剣は冷気によって、刃がかなり冷たくなっているはずだ。
氷の刃となったそれは、少しでも触れれば冷たいだけでなく、凍傷による痛みが傷口から生み出されることが安易に想像出来た。
相手は村人達の命を握っている魔物だ。彼の過去にどんな罪があり、封じられていたのかは知らないが彼を倒し、魔具を回収することが自分達の任務だ。
情けはかけられない。




