反省
初任務の翌日。
朝食を食べ終えたアイリスは欠伸を噛み締めながら魔具調査課に出勤するために一人、廊下を歩いていた。両腕には段ボール箱が抱えられている。
昨夜、回収した魔具はすでに魔法課の地下保存室へと運んであるので、あとは報告書を書いてからブレアに提出するだけである。
他の処理も魔法課と魔的審査課に任せておけば良いらしいので、ブランデル男爵に対する処罰もどうなるかは後で聞かされることになるのだろう。
「……本当に魔具調査課は汚れ仕事だけね」
魔法課はその名の通り魔法に関する事を文書として保存したり、魔法を創ったりする事が仕事内容である。
ここでは魔具も作られており、奇跡狩りなどで回収された魔具はこの課で一度詳しく調べられて、魔具が人に害さないように封印を施してから保管しておくのである。
なので魔具調査課はその過程までが主な任務となっていた。
アイリスは段ボール箱を片手で持ちながら魔具調査課の扉を開けた。
「……あら、早いのね。おはよう」
アイリスの隣の席にはすでにクロイドが座っていた。自分はこれでもかなり早起きな方だが彼は一体何時に起きているのだろうか。
視線を課長室の扉に移すとそこには「不在中」と書かれた札が下げられており、ブレアがまだ出勤して来ていないことを示していた。
「……おはよう」
昨夜よりもクロイドの声音が低い。
魔具を魔法課に預けた後はお互いに寮の部屋へと戻ったため、会うのは昨夜ぶりだ。初任務だった昨夜は思っていたよりも疲れていたらしく、部屋に戻った自分は倒れこむように寝てしまった。
クロイドも昨日の疲れが取れていないのだろうかと思い、アイリスは彼の表情をそっと窺ってみる。
ふと、頭に過ぎるのは昨日の出来事。
「……えっと、クロイドさん?」
「……何だ」
「そのー……。もしかして、怒っていらっしゃいます?」
アイリスは持ってきた段ボール箱を自分の机の上にどさりと置いてから、椅子に座った。
隣に座っているクロイドから何か冷たい風でも吹いているかのように彼の周りの温度が下がっているのが分かる。
「……」
アイリスの問いかけにクロイドは無言の圧力を掛けてくる。やはり、自分が予想していることについて彼は怒っているらしい。
「いやっ、だってあれは……魔具を使えば身体能力とか凄く上がるし……。大丈夫かなと思って……」
アイリスが言い訳するように慌ててそう告げるとすぐさま、ぎろりと鋭い瞳で睨まれてしまった。
クロイドは意識していないかもしれないが、今の表情は子どもだったら泣きかねない威圧感を放っている。
「危ない事はしないんじゃなかったのか?」
その冷めた声にアイリスは少し肩を震わせる。
これは中々怖い。彼からにじみ出てくる迫力が半端ない。
「で、でも……窓が開かない上にあの状況だと、クロイドは逃げられなかったし……。あなたは魔法を知らないから、いざという時に戦えないでしょう?」
申し訳なさそうに呟くアイリスに対し、クロイドは少しだけ身体を後ろへと引いているようだった。
そして、ばつが悪そうに唇を噛み締めている。彼にとって、気に障ることでも言ってしまっただろうか。
「……とう」
「え?」
「……あの時は……ありがとう」
クロイドの口から零れたのは、彼から告げられる初めてのお礼の言葉だった。
予想していなかった言葉にアイリスは一瞬固まってしまう。目の前にいるクロイドが自分に対してお礼を言ったのだ。驚かないわけがない。
「……ク、クロイド?」
やはり昨日の疲れが溜まって、どこか具合が悪いのではないのだろうかと疑ってしまう。無表情、無感情の彼からお礼の言葉が出るなど、自分の聞き間違いだったのではとさえ思った。
「でも、それはそれだ。君が危ない事をしたのは事実だ」
「うっ……」
しかし、申し訳なさそうにお礼を言った表情から一変し、クロイドは再び子どもが泣き出しそうな威圧感ある表情へと戻る。
確かにクロイドの言う通り、自分が危険なことを冒したのは理解している。拳銃相手に普通なら立ち向かったりしないだろう。
自分は状況を勝手に判断してしまうせいで、危険なことに突っ込み過ぎるといつも言われている。口よりも手が先に出る性格は直さなければならないと思ってはいるが、つい身体が勝手に動いてしまうのだ。
「……今後、危ない事をしたら相棒をやめるからな」
「……気を付けます」
しゅんと項垂れるアイリスを横目に見ながらクロイドは言葉を続ける。
「でも、今回の任務は俺自身にも悪かった点があると思う」
「……へ?」
「アイリスに任せっぱなしな部分もあったからな」
アイリスが視線をゆっくりと上げると、そこには気まずそうな表情をしたクロイドがいた。
「……確かに俺には力がない。魔力は持っていてもそれをどう扱えばいいのか分からないんだ」
彼はそう言って自分の両手を見つめている。
昨夜、この細い手と黒い宝石のような瞳、そして彼の身体の全てが黒い毛並みの犬と化していた。それが何の呪いによるものなのかはアイリスはまだ聞かされていない。
それでも彼は力を持つ事を望んでいるのだ。もしかすると、相棒を組んでいる以上、足を引っ張りたくないと思ってくれているのかもしれない。
もちろん、アイリスはクロイドが任務中に足を引っ張ったなど、思ってはいない。
だが、彼が力を持ちたいと望む以上、その手助けがしたいと強く思ったのだ。
「ねぇ、クロイド。あなた、魔法を勉強してみない?」
「……魔法を?」
「ええ」
アイリスはたった今、運んできた段ボール箱から数冊の本を取り出す。背表紙は擦り切れているが、これでも大切に扱ってきた本なので、中身は綺麗なものばかりだ。
「……結構、古そうな本だな」
興味があるのか、クロイドがアイリスの手元を覗き込んでくる。
「貰い物や古本だからね。こっちが魔法の基本について書かれている本で、この本が応用編。あとは……あ、色々あるのよ! 魔法に対する体術とか、悪魔についてや封印と解除の本とか……」
アイリスは楽しげな表情のまま次々と本を段ボール箱から取り出してはクロイドの手の上に載せていく。
「お、おい……」
「なに?」
「多すぎないか……?」
「何を言っているの! このくらい勉強してもまだ足りないくらいよ! でも、それよりも先に魔力を媒体するための魔具が必要よね。うーん……。やっぱりこういうのは自分に合う物を見つけるしかないからなぁ……」
「全く……。君という人は……」
何が良いかと一人で悩み始めるアイリスの隣でクロイドは困ったような表情で苦笑しながら肩を竦めていた。




