仮定
「変化を得意としている魔物だったとしても、どうしてわざわざ認知度が低い魔犬に変化しているのか理解できないな」
ルオンは木の陰にこっそりと隠れつつ、自分達が走って来た方向へと目をやるが、道には誰も通らない。
「確かに魔物というだけで誰だって恐れるはずだ。魔犬にこだわる必要はない、ということか」
「そういうことだ。……なぁ、何か他に気付いたことや感じたことはなかったか? 何でもいい」
支部の隊長らしく、ルオンは取り仕切り始める。さすがにそこは徹底されているようだ。
「……魔犬に関してはさっき、クロイドが言った通りよ」
「そうか……」
「あぁ、そういえば……。支部の団員達が何か叫んでいたな」
「ん?」
「確か……『嫌だ』って」
「……」
アイリスも記憶を辿ってみる。
クロイドの言う通り、団員の誰かが魔物に対して「嫌だ」と叫んでいたのだ。
「何に対して嫌だ、という意味なんだろうな」
「さぁな。奥の方で戦っていたから、よく見えなかったんだ。……ひどく、怯えているように聞こえた」
考えていても答えは出ない。それでも、拭いきれない奇妙な感覚が確かにあった。
「ねぇ、別の視点から考えましょう。例えばどこから魔物が来たのか、どうして人を殺さないのか──」
「結界を張っているなら、どこから来たのかくらい分かるんじゃないか?」
「まぁな。……でも、何か妙な感じだったんだよな」
「妙? 何がだ?」
「俺は結界魔法が結構得意な方だが、村全体を包んでいる結界が完全に破かれた、という感触はなかったんだ」
「え? ちょっと、待って……。結界は破られたわけではなくって、ただ突然、魔物が結界の中に入って来たってこと?」
何だかおかしい話だ。
「クロイドは村全体に魔物の気配がするって言っていたけれど……」
「はっきり言って、俺の結界は破られてはいないだろう。だから、奇妙なんだよ」
ルオンが腕を組んで唸り始める。確かに魔物が入って来られないように結界を張っているなら、魔物が結界を破ろうとすればすぐに感知できるはずだ。
だが、今回は違う。唐突に魔物が結界内に現れたと言っているようなものだ。
すると、何かを思いついたのかクロイドがふっと顔を上げる。
「……なぁ、あくまで仮定の話なんだが」
「何だ?」
「最初から結界内に魔物がいたということなら、何も不思議ではないんじゃないか?」
「……っ!」
「ちょっと待ってくれ。それなら、気付くはずだ。微力でも魔力を感じれば、絶対に俺は分かる」
余程、結界に関することに自信があるのかルオンはクロイドに食って掛かる。
「……私が以前、魔物討伐課に所属していた時に一度だけ見たことあるわ。……強い魔物の中には、自分の魔力を覚られないように、隠すことが出来る魔物がいるの」
魔力を感知できないため、その魔物を探し出して討伐するのには本当に時間がかかったことを覚えている。
「もし、今回もその時みたいに相手が強い魔物なら、感知されずに結界内で過ごすことが出来たんじゃないかしら」
「でも、それなら、いつ結界に入ったって言うんだ? 俺は常に結界内の魔力の動きは把握している。魔力を持った奴が多いのに、この村で魔法を使う奴はそうそういない。……魔法は俺達支部の人間くらいしか、使わないぞ」
「……ルオン、村を囲っている結界の範囲を教えてもらえないか?」
クロイドはその辺りに落ちていた木の棒を拾い、地面に村の地図らしきものを簡単に描いた。
「あ? まぁ、いいけど……」
クロイドが描いたものに付け足すようにルオンは木の棒を使って、次々と建物や場所の名前を加えていく。
「それで、ここからこうやって……。こんな感じに結界で囲っているんだ。囲むと言ってもこれだけ広いと、中々大変だからな。結界の魔法を込めた水晶の魔具を5つの場所に置いて、線を繋げるように結界を張っている」
「随分と広いのね……」
アイリスはじっと描かれた地図を見る。村周辺だけではなく、耕作地や放牧地、森や倉庫まで囲まれている。
これほど大きな結界を張って、それを持続させるのは大変だろう。
「……倉庫も結界内に入っているのか」
「ん? まぁ、そうだな。この倉庫の中には村にとって大事なものが保管されているし、村人達もよく来るからな」
「……」
クロイドは何かに気付いたのか、黙ったまま地面に描かれた地図を睨むように見ている。
「クロイド、何か分かったの?」
「……分かった、という程までじゃない。ただ、何となく思い出したことがあって」
「何だよ、言ってみろよ」
「……いや、この村の人達は倉庫には昼の時間しか入らないって言っていただろう」
「ああ、村の掟か。あれ、随分としっかり守っているからな。まぁ、夜間に倉庫を開けていて泥棒に入られたりしたら、大変だからだろう」
「でも、それだけじゃない。……村長に、最初に会った時に言っていたんだ。──夜に倉庫を開ければ、魔物が出るって」
「……」
クロイドの言葉に、アイリスとルオンは固まったように黙る。
「もしかするとだが……。結界内にある倉庫の中に何かしらの理由で元々、魔物が潜んでいたという考えはどうだろうか。そして、倉庫が魔物を封じる役目をしていた……」
「……魔物を封じる役目……」
何かが頭の中に引っかかったが、上手く言葉に出来なかった。
「だが、何かの原因で魔物は外に出た。そして、魔力を使ったことで俺達の知るところとなった、という仮定だ」
「……仮定か。でも、クロイドの話は良い線行っていると思うぜ。それなら、結界を破られることなく、突然魔物の力が発現しても納得がいく」
クロイドの仮定に同意なのかルオンは何度も頷く。確かにクロイドの話はちゃんと筋が通っていると思う。
だが、あと一歩、何かが足りない。
「倉庫は夜間の時間帯は絶対に入れない。村長しか鍵を持っていないからな。いつも夕方前に村長は鍵を閉めに行くのが日課だから、間違いない」
今日、村に到着した際にも村長は言っていた。今日はもう倉庫を閉めてしまったから、明日の朝に魔具を回収して欲しいと。
魔具、と言っていた。
アイリスは何か閃いたように顔を上げる。
「ねぇ、ルオン。あなた、私達が回収する予定の魔具がどんなものなのか、知らない?」
「……それ、今の状況に関係ある話なのか?」
「あると思ったから、聞いているのよ。ここで世間話なんかしないわ」
「それもそうか」
ルオンは一つ溜息を吐いてから答えてくれた。
「村長が倉庫を整理していた時に見つけた魔具だ。その場に俺もいたからな。俺は魔具や封印といった類は専門じゃないからよく分からないが、その魔具は布で包まれていたんだ。布を開いてみたら、リボンみたいな紐に魔法の呪文がびっしりと書いてあってな。つまり、これは何らかの魔具で、何かを封じている可能性が高いから、紐を解かない方がいいだろうということで、村長は教団に魔具を回収してもらうことにしたんだ」
「その魔具に魔力は感じたのか?」
「いや、全く。だから、それほど危ないものじゃないだろうって、他の奴らは笑っていたけど……。俺は何か嫌な感じがしたんだよな」
どこかで聞いた話だ。その先を確認しようと、クロイドが言葉を続ける。
「……布の中は見たんだよな? どんな魔具だったんだ?」
「ん? 多分、あれは鏡じゃないかな。蔦みたいな文様が描かれていたな。でも、妙なんだよ。こう、楕円形の鏡を二枚、合わせ鏡するみたいにして、呪文が書かれた紐で結んでいたんだよ。力も感じないし、変なものだなとは思っていたんだけどさ」
ルオンはそこでアイリス達の表情がさっと青くなったのに気付いた。
「うおっ、何だよ、お前ら……」
「……ルオン、聞いて。その鏡……村長の孫のマティが部屋に持って帰っているわ」
「……は?」
これで全てが繋がってしまった。
「マティには秘密にしておいて欲しいと言われたけれど、今はそんな時じゃないわね。……マティは倉庫から、とある鏡を見つけてね。その鏡が気に入ったからって、家にまで持って帰っていたの。その時、言っていたわ。最初は二枚あったけれど、いつのまにか一枚がなくなっていたって」
クロイドも気付いたのだろう。額を右手で覆うようにして、溜息を吐いている。
「その鏡からも魔力は感じなかったわ。でも、もしそれが……ルオンの言っている鏡と同じものだとして、閉じ込めていたはずの倉庫から出され、さらには封印が解かれていたとしたら……」
「……この結界内での出来事に納得がいくな」
ルオンは軽く舌打ちをした。
「くそ……。せめて、俺達が預かるか、子どもの目の届かない所に隠しておけば良かったな……」
「悔いても仕方がない。とりあえず、村長の家に行こう。ルオン、マティが持っている鏡を確認してくれないか」
クロイドに続くようにアイリスも立ち上がる。
「でも、俺……封印とか、苦手分野なんだよな……」
今日、何度目か分からない溜息を吐きながらルオンも立ち上がる。
「あら、そこは心配しなくてもいいわ」
アイリスは苦笑しながら、クロイドの方をちらりと見る。
「……念のためにって、封印魔法に関することを徹底して、覚えさせられたからな」
アイリスの苦笑に同意するようにクロイドも困ったような笑みを見せる。
それを聞いたルオンは少し意外だと言うように、目を丸くした。
「念のためって、魔具を回収するだけに封印魔法を覚える必要があるのか?」
「言っておくけど、魔具調査課はただ単に魔具を回収しているだけじゃないわ。今みたいに魔具に封印されていない魔物を封印し直して、回収することだってあるのよ」
「魔具の窃盗団とやり合ったりもしたな」
「一筋縄ではいかない任務ばかりだから、幅広い魔法と技術を身につけておかないとね」
そう言って、少し強張ったような表情で二人は笑い合った。
「へぇ……。思っていたよりも大変なんだな、魔具調査課って。……暇で楽そうな仕事だって思っていて悪かったよ」
ルオンは頭を掻きながら素直に謝った。
「ううん。私の方こそ、幻滅したなんて言ってごめんなさいね。……今のあなたは凄く隊長らしいと思うわ」
アイリスに同調するようにクロイドも軽く頷く。
「……それじゃあ、隊長らしくさっさとこの件を片付けて、村に平和をもたらさないとな」
そう言って、ルオンが小さく吐いた溜息は、今まで一番明るいものだった。




