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奇妙

  

 魔犬はアイリス達の表情を楽しんでいるのか、一歩、一歩、地面を踏みしめるように近付いて来る。


 もはや、限界だった。両足に力が入らなくなったアイリスはその場に膝をつけるように座り込む。

 クロイドは胸を押さえながら、必死に力を入れて何とか立っている状態だった。


 二人とも本当は分かっていた。

 この恐怖には勝てないのだと。この絶対的な恐怖に抗うことは出来ないのだと。


 魔犬との距離が10メートルを切った時だった。


「──おい!!」


 知っている声が突如聞こえ、地鳴りのような足音が近づいてくる。


飛び回る翼(ヴォレ・アーラ)!」


 瞬間、身体が急に軽くなったと思えば、左腕を荒っぽく掴まれ、無理矢理に立たされる。自分の腕を掴んでいたのは支部の隊長、ルオン・ランティアだった。

 彼は切羽詰まったような表情でアイリスとクロイドを睨んだ。


「お前ら、死にたいのか!」


 その叱責にアイリスとクロイドは少しだけ腹に力が戻る。久しぶりに呼吸をしたアイリス達は、自分達の力で立とうと足を踏ん張った。


「とりあえず、逃げるぞ!」


 同時に腕を引っ張られながら、脱兎のごとくその場から逃げる。足が何度ももつれそうになっても、ルオンはその腕を決して離さず、力強く引いてくれた。


 それでも恐怖心は拭えない。胸の奥の鼓動は急かす鐘のように強く鳴り続けていた。



・・・・・・・・・・・・・・・



 どこまで走って来たのかは分からない。だが、随分と走ったのだろう、三人で横に並びながら必死に息を整える。


「っ……。はぁー……」


 ルオンは疲れたのかその場に座り込んだ。それもそうだろう。アイリス達の腕を掴みながら先頭を走っていたようなものだ。身体が軽くなる魔法をかけていたとは言え、疲れないわけがない。


 クロイドも息を整えているようだが、額には汗がびっしょり浮かんでいた。


「お前ら、何考えているんだ! あと少しでやられるところだったんだぞ!」


 お叱りを受けても仕方がないと思う。アイリスは何とか息を整えて、それからルオンに向けて謝った。


「……ごめんなさい。でも、ありがとう。助かったわ」


「俺が間に合ったから、良かったものの……」


 よく見るとルオンの腰にも剣が下げてある。彼らも魔物の気配を感じて、すぐに駆け付けたのだろう。


「……あっ、まだ村の人達に魔物が出現したことを知らせていないわ……!」


 アイリスは走って来た道へと身を翻そうとしたが、ルオンにすぐさま止められた。


「それなら、問題ない。俺が村人達の家に魔除けの結界魔法をかけてきた」


「だが、村の結界の中に簡単に入れるような魔物だぞ。その魔法も破られる可能性があるんじゃないか?」


 確かにクロイドの言う通りだ。村全体を覆っている結界はそれほど弱いものではないはずだ。


「……俺が気絶するか、もしくは死なない限り、解けないだろう。少し強めの魔法をかけたからな」


「そう……。なら、良かったわ」


 恐らく、ルオンがかけた結界魔法は強度が高く、そして扱いが少々難しい魔法のはずだ。やはり、彼はそれなりの実力を持って、この任地にいるようだ。

 夕方に彼らのことを甘く見たような発言をしてしまったが、撤回した方がいいだろう。


「だが、俺が駆け付けるのが遅くなったせいであいつらを……」


 三人の仲間のことだろう。ルオンは悔しそうに顔を歪めた。


「大丈夫よ。死んではいないわ。……心臓は動いているけれど、身体が冷たくなって目を覚まさないだけだったわ」


「何でそんなことが分かるんだ?」


「……村長の家に、同じ被害が出ている」


 ぼそりとクロイドが周りを警戒しながら呟いた。


「支部の奴らみたいに身体が冷たくなり、目を覚まさない状態になっていたんだ」


「そうか……死んではいないのか」


 それを聞いたルオンはどこか安堵したような表情になる。隊長というだけあって、仲間のことは心配なのだろう。


「村長の方は手遅れだったか……。アストに任せたんだが、あいつが倒れていたということは、魔物の方の動きが早かったんだろう。……ん? でも、何でお前らがあそこに居たんだ?」


 アイリスとクロイドもその場にゆっくりと片足をつけて座った。


「クロイドが大きな魔力を感じたから、魔物が出現したのかもしれないと思って村長に報告しに行ったの。……でもマティ以外は皆……」


 言葉を詰まらせるアイリスに対し、ルオンはそうか、と言って悔しそうな顔をする。


「魔物はさっきの奴で間違いないだろう。とりあえず、今はあいつをどう倒すかだけを考えよう」


「……」


 だが、すぐに答えないアイリス達にルオンは訝しげな表情をする。


「何だ、魔具調査課の人間は魔物すら倒せないのか?」


 それは決して馬鹿にしたようなものでも、呆れたものでもない。何かを確認するような言い方だった。


「違う……。違うの」


 何と言葉にしていいのか分からないアイリスは右手で頭を抱える。


「……ねぇ、クロイド。あなたも見たわよね? あれは……」


「間違いなかった」


 クロイドも少し青ざめた表情で頷く。


「何だよ、あれって? 俺はよく見えなかったけど、どんな魔物がいたんだよ?」


「あれは……」


 言葉を詰まらせているアイリスの代わりに答えたのはクロイドだった。


「──魔犬(まけん)だ」


「はぁ? 魔犬?」


 何を言っているんだと言わんばかりの表情でルオンは首を傾げる。


「魔犬なんて、御伽噺だろ?」


「……」


 やはり、そういう反応になるらしい。

 魔犬の出現率は本当に低い。魔物の記録を魔物討伐課でとっているらしいが、それには不確かな目撃情報しか載っていないほどだ。


 だからこそ、知っている人間以外に信じてもらえないのだ。それはまるで自分が経験した全てが幻だと言われているようで、アイリスは嫌だった。


「……魔犬は本当にいるんだ」


 クロイドが絞り出すような声でそっと呟く。


「これから話すことをお前がこの先、他言しないと約束してくれるなら、話す」


「クロイド……」


 アイリスが少し不安げな表情で彼を見上げると、クロイドは仕方ないと言うように苦笑した。


「話すって、何をだよ」


「……魔犬についてだ。魔犬は本当にいる。存在している魔物だ」


 クロイドはそう言って、彼の肩口が見えるようにそっと服をはだけさせた。そこに見えるのは獣に噛まれたような大きな傷痕だ。

 アイリスはつい目を逸らしたくなるのを我慢した。


「……それは?」


 ルオンは茶化すような口調ではなく、ただ静かな声で訊ねてくる。


「魔犬に噛まれた痕だ。もう、何年も経っているのに消えることはない。魔法でも消せない傷だ」


 クロイドはすぐにそれを隠すように服を整える。


「俺の……母は魔犬にやられた。その時に出来た傷だ。……アイリスの家族も魔犬に喰い殺されている」


「……」


 ルオンの表情が一瞬、歪んだように見えた。


 この話を誰かにするのは久しぶりだ。当事者である自分達とブレア、そしてミレット達といった親しい人しか知らない話だ。


 魔犬に家族を喰い殺されたなど、誰にでもするような話ではないと分かっているし、したくもない。


「さっき、自分達が対峙したのは、間違いなく魔犬だった。昔見た、そのままの姿であいつはそこにいた」


「言っておくけど、普通の魔物くらいなら、簡単に倒せるわよ。……これでも一応、一年前は魔物討伐課にいたんだから」


 クロイドだって、任務での魔物討伐の経験はないが魔法による戦闘能力は備わっている。ただの、そこらにいるような魔物には負けない自負を持っていた。


 眉間に皺を寄せている二人の様子を見て、ルオンは深く溜息を吐く。


「……正直、俺は自分の目で見たものしか信じない主義だ」


「……」


「だが、俺の仲間がやられている以上、あの魔物が並みの魔物じゃないことは分かる」


「それは……」


「お前らが嘘をついているようには見えないからな」


 どうやら話を信じてくれるらしい。彼は特に自分達に同情するような表情はしていない。アイリスとクロイドは顔を見合わせて、ほっとしていた。


「とりあえず、その魔犬って奴がお前らにとっての強敵だったから、手が出せなかったんだろう?」


「……まぁ、そういうことになるわね」


 いつか倒そうと思っていた敵を目の前にして、この様だ。せっかくの機会が訪れたというのに、これでは仇である魔犬を倒せないのでは、と逆に焦っている自分もいた。


「なぁ、魔犬の特徴を教えてくれないか? どんな奴なのかとか、どういう強さなのかとかさ」


「そうだな……。身体の大きさは大人よりも大きいくらいだ。魔力が高く、強めに結界を張っても破られるだろうな。……俺が住んでいた場所にも結界が張ってあったはずなのに、破って入って来ていたからな」


 恐らく、王宮の結界のことを言っているのだろう。その話を聞いたルオンは思いっきりに顔を顰めていた。


「なっ……。じゃあ、俺の張った結界ももしかすると破られる可能性があるということか?」


「……否定はできない。他に特徴と言えば、輝く黒い毛並みに、鋭い爪と牙。あとは……目が金色だ」


 何度思い返しても、やはり先程あの場所にいたのは魔犬だった。あの金色の瞳と、はっきりと目が合ったのを覚えている。


「あと人語も話せるし、剣を突き刺しただけでは倒れない程に身体が丈夫らしい」


「……中々、面倒な魔物だな」


 呆れているのか、怖気ついているのかは分からないが、ルオンの表情は強張っているように見えた。


 そんな中、クロイドが魔犬の特徴をルオンに話している間、アイリスは何かの違和感がふっと胸の内をよぎったのだ。


 魔犬が何故、人を襲うのかは分からない。

 だが、魔犬が襲ったあとは、いつも爪や牙で遺体がずたずたに引き裂かれている。それはアイリスの家族の場合も、クロイドの母親の場合も同様だ。


 しかし、今回は違う。

 あの魔物が襲ったとされる村長達と支部の人間は凍ったように動かず、心臓は動いているとは言え、身体は冷たいままだ。


 襲い方が変わったにしてはおかしい。だって皆、死んではいないのだ。


「……もしかして、違うものなの?」


「え? 何がだ?」


 クロイドがアイリスの方を振り返る。そして、アイリスは一つ、思い出した。


「ねぇ、クロイド。魔犬が……現れたのは満月で、嵐の夜、だったわよね?」


 何かを確認するようなアイリスの問いかけにクロイドは顔をはっとさせる。彼も気付いたようだ。


「出現する条件も、襲い方もまるで違っているわ」


「おい、どういうことだ?」


 ルオンが全く分からないと言うように首を傾げる。


「……さっきのは……魔犬ではない可能性もある、ということか」


 ぼそりと呟かれるクロイドの言葉に同意するようにアイリスも深く頷く。これは、一体どういうことだろうかと何度も自分の心の中で繰り返す。


 姿は間違いなく、魔犬だった。

 だが、条件が合わない。


「はぁ? それなら、さっきの奴は何になるんだ?」


 ルオンの不満げな問いかけにアイリスとクロイドはすぐに答えることが出来なかった。

   

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