挨拶
ミレットから事前に貰っていた資料の通り、ヴァイデ村に最も近い、最寄駅に着いたアイリス達はそれから、ヴァイデ村の方向に向かう荷馬車に同乗させてもらうことになった。
一時間程、荷馬車の後ろで揺れていると、「ヴァイデ村」と書かれた木製の看板がやがて見え始めてくる。
「やっと、着いたのね……」
荷馬車は普通の馬車と比べると乗車賃は遥かに安いが、それでも乗り心地は決していいものではない。特に舗装されていない道では、舌を噛むのではと思う程、上下に激しく揺れていた。
アイリスもクロイドも荷馬車で酔うことはなかったが、出来るだけ早く目的地に着いて欲しいというのが本音であったため、村への案内の看板が見えた時には同時に安堵の溜息を吐いてしまっていた。
アイリス達は同乗させてもらった荷馬車の運転手にお礼を告げてから、まずは村長の家を目指すことにした。
ミレットから貰った地図によれば、道沿いに歩いた突き当りに村長の家があるらしい。
「それにしても、本当にのどかな村ねぇ」
建っている家は一軒、一軒が離れており、家から出て来た人はアイリス達を見ては穏やかな笑みを浮かべて、挨拶をしてくれる。
舗装されていない道には野良犬なのか、飼い犬なのか分からないが、犬と鶏が村中を駆け回っている。
すれ違う農作業の帰りの屈強そうな男達が、額に流れる汗をシャツで拭きつつ談笑していた。
「……ロディアートとは全然違う雰囲気の場所だな」
「そうね。……時間がとてもゆっくり流れているように感じるわ」
ふと道の右手を見ると、100メートルくらい先に教会の姿が見えた。おそらく、そこに教団から派遣されたヴァイデ支部の団員がいるはずだ。本当はあまり乗り気ではないが、あとで挨拶に行くべきだろう。
村長の家だと思われる庭には、10歳くらいの男の子が一人でボール遊びをしていた。アイリスと目が合うと、少し驚いたように丸い目を見開き、ボールを抱えて小さく首を捻る。
「こんにちは」
出来るだけ、子どもを怖がらせないようにアイリスは笑顔で挨拶してみる。
「村長のハディ・マキャロンさんの家はこちらかしら?」
「……お客さん?」
「ええ。良かったら、ハディさんを呼んでくれる? ……そうね、ブレアって人の使いだって言ってくれれば分かるわ」
「分かった」
男の子は軽く頷いて、ボールを持ったまま家の中へと駆けこむ。程なくして、温和そうな表情をした老人が家の中から出て来た。
「──ああ、教団の方かな? 遠路はるばる、来ていただきありがとうございます」
「いえ……。あの私達、魔具調査課のブレア課長の命により、伺いました。アイリス・ローレンスとクロイド・ソルモンドです」
アイリスのお辞儀に合わせるようにクロイドも隣で頭を下げる。
「これは、これはご丁寧に……。わしはこの村の村長を務めております、ハディ・マキャロンです」
ハディが挨拶を返している途中で、彼の背中からひょっこりと顔を出したのは先程の男の子だった。
「おお? ほら、お前も挨拶しなさい」
「……マティ・マキャロン」
ハディの後ろから、アイリス達へと小さく頭を下げると照れているのか、マティはそのまま家の中へと逃げていった。
「やれやれ……。人見知りはまだ直らぬようだな」
「お孫さんですか?」
「そうです。息子夫婦の一人息子でしてな。甘やかさないように気を付けてはいるのですが、どうも人見知りだけは直らなくて……」
そう言って、孫を見つめるハディの表情は柔らかかった。やはり、孫とは可愛いものなのだろう。
「おっと、立ち話ばかりで申し訳ない」
「いえ。それで回収する魔具というのはどんなものですか?」
「それが……倉庫の鍵を今日はもう閉めてしまいまして……」
「え?」
「いやぁ、村に関するものは全て倉庫にしまっているのです。例えば祭りに使う道具、など……。ですが、昔からの村の掟で、鍵を開けていいのは朝から夕方までと決まっているんですよ」
つまり、どういうことだろうか。
「倉庫を夜に開ければ魔物が出ると言い伝えられているもんで、それを律儀に守っておりまして……。申し訳ないのですが、明日の朝に魔具をお渡しする、ということで宜しいですかな」
「ああ、そうなんですね。大丈夫ですよ。そういう決まり事なら、仕方ないです」
アイリスが苦笑しながら頷き返すと、ハディもどこか安堵したように笑みを見せた。
「昼間のうちに出しておけば良かったんですが、すっかり忘れていまして……」
ハディは申し訳ないと言いながら、頭を掻いている。どうやら、本当に素で忘れていたようだ。
「いやぁ、お客が外から来るなんて、珍しいですからな。張り切って、夕食に使う野菜を収穫しておりましたところ、あっという間に夕方になっておりまして……」
何となく時間に気付いてはっとするハディの姿が目に浮かび、アイリスは小さく笑った。
「ここは田舎ですが食べ物は美味しいんです。良ければ、我が家で夕食を食べて行って下さい。もうすぐ支度が整うんで」
「宜しいんですか? では、お言葉に甘えて……。……あ、でも、その前に教団の支部の方に挨拶に行きたいので、その後にご自宅に寄らせて頂いても良いでしょうか」
「ああ、それなら今頃の時間は教会裏にある宿舎に皆、戻っている頃でしょう」
「分かりました。……では、少し失礼しますね」
また後ほどと言いながらアイリス達はハディに背を向けて、教会の宿舎へと足を進め始める。
「……思ったよりも、優しそうな人で良かったな」
「そうね。でも、このご時世、掟をずっと守ってきているなんて、珍しいわね。他にも聞けば、特有の掟があるかもしれないわ」
実はその土地、独特の決まり事や、行事、言葉などを知ることが楽しみだったりするアイリスは口元を少し緩めて、小さく笑っていた。
「……ちょっと、面白がっているだろう」
「失礼ね。そういうことじゃないわ。ただ、興味があるだけよ」
口を尖らせていると、クロイドは「どうだかな」と言って肩を竦めた。
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ハディの家から教会はそれほど遠くなかった。どこにでもあるような佇まいの教会の裏には、務めている者達が住んでいる宿舎らしき建物が建っていた。
宿舎と言っても普通の一軒家のようだが、長年使われているらしく、壁には蔦が伸びており、所々にしみが目立っていた。
「……よし、行くわよ、クロイド」
「……気合を入れる必要はあるのか」
「大いにあるわよ! だって、魔具調査課に所属していると言えば、他の課からはあまり良い顔はされないもの。丁寧かつ、迅速に挨拶をさっさと終わらせて、ハディさんのところへ戻るわよ」
「……了解」
アイリスが捲くし立てる言葉に同意したのか、それとも呆れているのかは分からないがクロイドは渋々と言った感じで頷き返した。
扉を叩こうと深呼吸していると、クロイドが何かに反応して後ろを振り返る。
どうしたのだと自分も振り返るとそこには少し年上くらいの男がいた。麦色の短髪で、少し吊り上がり気味の目をしている青年は使い古したような茶色の外套を羽織っていた。
「ん? あんたら、何か用か?」
よく見ると、彼の肩には死んでいる鹿が抱えられていた。思わず声を上げそうになるのを押しとどめ、アイリスは極めて真面目な表情を作る。
「はじめまして。……ヴァイデ支部の方ですか?」
そこで男は眉を寄せて、何かを納得したように頷いた。
「そうだ。……という事は、あんたらは本部から任務に来た、魔具調査課の人間か」
「はい。魔具を回収しにきたので、そのついででご挨拶に伺いました」
「へぇー……」
男は不審がるというよりも、どこか変なものを見るような表情をしている。さほど、興味がないのか、男はアイリス達の横を素通りして、扉を荒っぽく開けた。
「おーい、帰ったぞー。カタロフさんから罠に掛かった鹿をもらったぞー」
男は宿舎の中に入ると大声で声をかける。すると、すぐに足音が聞こえ始め、それぞれの部屋から男が3人出て来た。
「やった、今日は鹿肉のシチューだな」
「その前に解体が先だろ。誰がやるか決めようぜ」
「あー。腹減ったー……。ん? なぁ、ルオン。その後ろにいる奴らって誰?」
一人の男の声に反応するように他の二人も一斉にアイリス達の方へと視線を向けて来る。
「今朝、本部から連絡があっただろう。魔具調査課の奴らだ。村長達が倉庫から見つけた魔具を回収しに来たらしい」
「ふーん……」
「げっ、魔具調査課の奴らかよ。あれだろ、変人ばっかりがいるところ」
「……アスト」
ルオンと呼ばれた男が窘めるようにアストと言う名の男に対して深い溜息を吐くも、アストは口を閉ざす気はないらしく、そのまま言葉を続ける。
「だって皆、噂していたじゃん。あと、何だっけ? 確か最近の噂だと魔力がない奴が所属しているとか、呪いをかけられた奴がいるとか」
「お前、本当に噂好きだよなぁ」
「こんな田舎だと、たまに風の噂で届く話くらいしか、楽しみがないんだよ。……で、その噂は本当なのか?」
にやにやと下品な笑みを浮かべてこちらに近づいてくるアストという男に対して、アイリスとクロイドは一度顔を見合わせる。
いま、噂の元となる二人がこの場にちょうど揃ってはいるが、わざわざ言う必要はないだろう。それは何となく、自分達に向けられる好奇の瞳が不快に感じられたからだ。
「いいよなぁ、魔具調査課は。だって、魔具を回収するだけだろう? 超簡単な仕事じゃん」
簡単な仕事と言われたことに、アイリスは思わず青筋が立ちそうになる。
「アスト、しゃべり過ぎだ。鹿の解体、お前にやらせるぞ」
「えー……」
ルオンから注意を受けたアストは不満そうな声を上げつつ、アイリス達の近くから離れて行った。
その場にいる者達はアイリス達をどう見ているかは分からないが、少なくとも見下しているのは感じ取れていた。彼らが抱く認識は一体どこから来たものだろうかと、考えるよりも先にアイリスは反応を返してしまっていた。
「……はぁ。これが支部の団員なの」
わざとらしく溜息を吐くアイリスに今度はルオン達の顔が歪む。
「正直に言って、幻滅だわ。もっと、自分達の仕事に誇りを持ってやっているかと思っていたのに。他の課を馬鹿にしているくらいだもの。あなた達も大したことなさそうね」
喧嘩をしてはならないと分かってはいるが、自分が所属している課を目の前で馬鹿にされたままでは気が収まらない。
血の気が多いわけではないが、すぐ頭に血が上ってしまうのは、悪い癖だと自覚している。
「それで支部隊長はどなたかしら?」
「……俺だ」
アイリスの問いかけに対して返事を返したのはルオンだった。彼は眉を深く寄せながら、アイリス達を見下ろしている。
だが、その気迫にも劣らないのが隣に立っているクロイドだった。さっきからずっと無言だが彼の瞳はじっと四人を見据えて、何か圧力をかけているようにさえ見える。
「俺が隊長のルオン・ランティア」
どこか不機嫌そうな顔でルオンは挨拶をしてくる。アイリスは顔を真っすぐと上げ、目を逸らさずに吐くように言った。
「そう、あなただったの。……私達は魔具調査課のアイリス・ローレンスとクロイド・ソルモンドよ。……それじゃあ、挨拶はもう終わったから、行くわ。ごきげんよう」
流れるような挨拶の後に、軽く頭を下げてからアイリスとクロイドはその場を去った。そこで誰かが何かを思い出したのか、小さく呟いた声が背後から聞こえた。
「アイリス・ローレンス……。あっ! ローレンスって……」
そう、自分こそが魔具調査課に配属されている魔力無しだ。鋭い視線が感じられるが、それさえも無視するようにアイリス達は立ち止まることなく歩き続ける。
もう、彼らに会うことはないとはいえ、出来れば二度と会いたいとは思えない男達だった。
「……喧嘩しないんじゃなかったのか?」
こっそりとアイリスだけに聞こえる声でクロイドが訊ねてくる。
「そういうクロイドだって、怒っていたくせに」
「そりゃあ、怒るだろう。自分が大切にしている場所を馬鹿にされたんだ。睨み据えただけで我慢できたんだから、褒めて欲しいくらいだ」
「あら、私だって、掴みかかったりしなかったわ。それこそ、私の方を褒めるべきじゃない?」
二人は顔を見合わせて、同時に噴き出す。つまり、どっちもどっちと言うことだ。
「まぁ、今回の任務は回収するだけだから、楽なのは本当だけどな」
「そうねぇ。いつもこうだったらいいのに」
そう言って、二人はからからと笑い声を上げる。もう、男達の言葉も態度も気にしてはいなかった。




