誕生日
任務も学園での授業も揃って休みの日、アイリスの過ごし方と言えば図書館に行くか、剣術の修行、そしてミレットと街へ買い物に行くといったことで過ごしている。
しかし、今日はミレットから予定を入れないで欲しいと言われたため、仕方なく手持ちの本を読んだり、自室で剣の手入れをしながら過ごしていた。
何でもミレット曰く、夕方に自分に用事があるらしく、あとで魔具調査課に来て欲しいと言われたのだ。今日は控えている任務はないはずだがと、首を傾げつつも了承することにした。
「……そろそろ、時間かな」
指定されたのは午後5時だ。壁にかけてある時計に視線を向ければ、今は指定された時間の10分前を針が示していた。魔具調査課の部屋に向かった方がいいだろうとアイリスは自室を出た。
今、履いている靴は疾風の靴だ。昨日、ミレットが靴が必要な用事が終わったからと返してくれたのだ。
結局、この靴をどんな用事に使ったのかは教えてはくれなかったが、何故か靴が貸した時よりも磨き上げられているように見えた。
アイリスは不審に思いながらも勘違いだろうと思い、それ以上ミレットを追及したりはしなかったのだが。
「……」
魔具調査課の部屋の前へと到着したが、何だか妙に扉の向こう側が静かすぎる気がした。ミレットがいるなら、ユアン達やブレアと会話しているはずだがと、不思議に思いつつも扉をいつものように開ける。
扉を開いた瞬間、部屋の中から風船が割れたような音が響き、驚いたアイリスはその場に固まってしまう。
室内にいたのはミレットだけではなかった。ユアンとレイク、ブレアにクラリス、そしてクロイドがいた。
「誕生日おめでとう、アイリス!」
ミレットが笑って、声を上げる。
ぽんっ、天井から花が降ってきた。よく見ると、ユアンが杖を使って、魔法で花を散らしているようだ。
壁や天井には一つ一つの紙の輪が連なり、紐状になったものがいくつもつり下がっている。
大きい長台の上には特大のケーキと様々な料理、そしてジュースの瓶が置かれていた。皆はその周りを囲むように座っていた。
「え? えっ? どういうこと?」
状況を把握し切れていないアイリスは周りをぐるぐると見渡しては戸惑った表情でその場にいる者達を見た。
「今日、あなたの誕生日なのでしょう? ユアン達に聞いたから、私もお祝いしたくて来ちゃった」
クラリスは優しい笑みを浮かべて、こちらにおいでと手招きしている。
「おめでとう、アイリス」
ブレアはさっそくお酒を飲んでいるのか、グラスを傾けていた。
「大したものは用意出来なかったけれど、いっぱい食べてくれ」
「食べてくれって、作ったのはクロイド君でしょう~。レイクは材料を調達しただけじゃない」
つまり、これは自分の誕生日パーティーということだろうか。
アイリスはぐるりと見渡し、最後にクロイドへと視線を向ける。彼は穏やかな笑みを浮かべて、頷いていた。
アイリスは呆然としながらも、ミレットとクロイドの間に用意された席に腰を下ろす。
「アイリスのことだから、誕生日にお祝いされると思っていたなかったでしょう? 気付かれないように、皆でこっそりと準備していたのよ」
軽く笑いながらミレットはグラスに飲み物を注いでくれる。
「……そういえばもうすぐ誕生日だと思ってはいたけれど、今日だったのね……」
ぽかりと口を開けているアイリスに対し、面々は苦笑している。
「本当は今日までにお前達の先輩も紹介したかったんだが、忙しそうでな。その機会はまた今度作るから。……まぁ、今日は任務もないし、思いっきり羽目を外してくれ」
ブレアはそう言って、グラスを頭上へと掲げる。それに合わせるように他の皆もグラスを持ち、掲げた。アイリスも急いでそれに合わせる。
「えー……。では、幹事であります、私が一言」
ミレットは仰々しく、咳払いをする。
「アイリス、誕生日おめでとう!!」
「おめでとう!」
「おめでとう~!」
ミレットの声に合わせて、各々が持っているグラスで乾杯をする。軽やかな音が部屋に響いていくが、この音を聞くのはいつぶりだろうか。
「さーて、ケーキ、ケーキ! もう、ここのケーキは最高に美味しいんだから!」
ユアンが皿を用意し、人数分にケーキを切り分けていくがそれでもまだ食べきれないほどのケーキが残っている。
「だからって、特大のやつにする必要あったか? この人数で食いきれる量じゃないぞ……」
「いいじゃない。甘いものは別腹よ」
「あ、このフライドチキン、凄く美味しいわ」
クラリスがフライドチキンを上品に頬張りながら、表情を和らげる。
「それもクロイドが作ったんですよ。あ、ブレア課長、飲みすぎ注意ですからね。……というよりも、教団内でお酒を飲んで大丈夫なんですか?」
「許可はとってある。もちろん、一番上の人間にな」
つまり総帥であるイリシオスに、ということだろうか。
「アイリス?」
隣のクロイドが首を傾げながら、こちら覗き込んでくる。
「あ、ううん。ごめんなさい。ただ……驚いていたの。誰かにこんな風に祝ってもらうのは久しぶりだったから……。でも、凄く嬉しい」
本当に久しぶりなのだ。今まで誕生日が来てもそれは、ただ歳を一つ取ったと思うだけで、特別な日でも何でもない。
特別な日どころか、自分にとっては忘れられない日とも言える日なのだから。
……もう、あの日からそんなに月日が経っていたのね。
過去を懐かしむよりも先へ、先へと進もうとしてきた。だが、進む途中でこんな風に誰かに祝ってもらえるなど想像していなかった。
だから、嬉しくて、どうしようもなく、嬉しくて──。
黙り込むアイリスの瞳に涙が薄っすらと浮かぶ。だが、アイリスは涙さえも忘れたように笑った。
「……ありがとうございます」
畏まってお礼を告げるアイリスに対して、皆はまたもや苦笑する。
「祝いたいから、祝っただけだもの」
「そうそう。あ、アイリス。これ美味しいわよ」
ミレットが次々とアイリスの皿に料理を盛っていく。普段はここまで甲斐甲斐しくないため、珍しいと思いつつもやはり嬉しいものだ。
「でも、まぁ……こういう集まりも悪くはないな」
「あら、率先して飾りつけをしていたのは、どこの誰かしら?」
「ユアンだって、この特大ケーキは自分が好きな店のやつじゃないか!」
「あ、そのケーキってもしかして……」
アイリスがちらりとユアンの方を見るとユアンは当たりだと言わんばかりにウィンクする。どうやら、この特大ケーキはユアンが日頃から通っているケーキ屋の名物とされる特大ケーキらしい。
アイリスも一度、購入したことがあるがこの店のケーキは生クリームが甘すぎず、スポンジもふわふわで溶けそうなくらいに柔らかく、そして美味しかったことを思い出す。
ちらりとブレアの方を見やると、彼女はグラスを傾けながら、微かに笑った。その表情はアイリスの心情を理解してくれている上での笑みだった。
良かったな、と。彼女はそう言っているように笑ってくれた。
「……」
忘れてはいけない日を無意識に忘れようとしていた。
だが、自分はもうあの頃とは違う。確かに強くなった。
一人ではないのだと、改めて思い知り、そして、自分のことを見ていてくれる人達がいることがこんなにも嬉しいことなのだと知った。
アイリスは笑みをブレアに返す。今はまだ家族の墓参りには行けない。
それでも、きっといつか、自分はもう大丈夫だからと言いに行きたい。
「ちょっと、アイリス! ちゃんと食べてる? ほら、これも食べて、食べて!」
「わっ、もう……。そんなに一気に食べられないわよ……」
せめて今だけはこのひと時を楽しもうと、アイリスは何かを隠すように笑みを浮かべていた。




