青嵐の靴
そして、ついにネイビスとの約束の日が来た。この日の夕方までに靴を完成させるので受け取りに来て欲しいと言われていたが、出来上がっているだろうか。
クロイドは少し緊張した面持ちで靴屋の扉を叩き、ゆっくりと開く。
「こんにちは……」
そっと顔を窺うように声をかけるとすぐに、店内の奥から返事が返ってきた。
「おお、来たか」
ネイビスはにこりと穏やかな笑みを浮かべているが、やはり少々疲れているのか、顔に疲労の色が見えた。無理をして急いで仕上げてくれたのだろう。
クロイドが申し訳なさそうな表情をすると彼はすぐに首を横に振った。
「いや、そんな顔をしないでくれ。わしにとって、靴を作ることは生きることと同じじゃ」
そう言って、ネイビスは気にすることは無いと言うように表情を和らげる。
「さて、完成した靴を見てくれないか」
「……はい」
彼が欲しいのは労いなどではないと、何となくそう思った。
クロイドはネイビスが手招きする方へと向かう。深い青色のテーブルクロスが敷かれた机の上に、その靴は置かれていた。
「……」
一瞬、輝いているのではと思う程、磨き上げられていた。
茶色の革に映えるのは赤い靴紐として使われた「雲の羽衣」。そして、あまり目立たないように足の甲部分にあたる、舌と呼ばれる部分に「輝きの白鳥の羽」が文様のように縫い付けられていた。
魔具だと知らなければ、どこかへ出掛ける際のおしゃれな靴にさえ見える。
そっと手にとってみる。靴底には魔法陣と「飛翔石」が仕込まれているはずだが、重さを感じない程に軽かった。
「凄い……」
それしか出てこなかった。
「渾身の出来じゃ。……気に入ってくれたかの?」
ネイビスに返事をしなければならないのにクロイドは頷くことしか出来ずにいた。
これでもうアイリスは大丈夫だ。自分の命を削ってまで魔具を使うことはなくなるのだ。そう思うと、胸いっぱいに嬉しさが溢れる。
思わず抱きしめそうになった靴をそっと、放して机の上へと戻す。
「あの、ありがとうございます、ネイビスさん」
「何の。……わしも願っていた夢が叶って、満足しているんじゃ。──ああ、そうだった。先にこちらの靴を返しておかなければ」
ネイビスは紙袋を取り出し、クロイドへと差し出す。
「借りていた疾風の靴じゃ。持ち主に返しておいてくれ」
「はい」
「それと……」
彼はもう一つ、紙袋をクロイドへ渡した。
「え? あの、これは……」
困惑しつつ中を覗くとそこには先日、試作品として自分が履いていた靴があった。
「この試作品だった靴にも少し手を加えてみた。靴紐を青く染めただけだから、こっちの靴とは色違いのお揃いじゃ」
つまり、この靴を自分に譲るという事だろうか。驚いた表情のままクロイドは聞き返した。
「……いいんですか?」
「貰ってくれ。……意図して作ったわけではないが番を作っているような気持ちで、この二足を作った。このまま、わしが持っていても履くことはない。これは君の足のサイズを測って作ったものだからな。……君のものじゃ」
「……」
クロイドは紙袋の中に入っていた靴を取り出し、机の上に置いてある靴と見比べてみる。
靴紐しか違いがない同じ靴だ。お揃いという言葉にくすぐったささえ、感じてしまう。
だが、一緒にこの靴を履いて跳ぶことが出来たら、と考えてしまう自分もいて、クロイドは苦笑した。
「……ネイビスさん。名前、決めました」
「ほう?」
「……『青嵐の靴』。若葉の季節に吹く強風のような靴、という意味を込めました。……いかがでしょうか」
想像したのは剣を持ち、力強く踏み込んで、空へと跳ぶアイリスの姿。
今は若葉の季節の時分だし、風の名の付いた名前にしようと考えた時、浮かんだのはこれだった。
「青嵐……か」
ふむ、と言いながらネイビスは顎髭を撫でる。
「爽やかで力強い名だ。良い名前じゃな」
どうやらネイビスも気に入ったらしく、笑顔で大きく頷いてくれた。
靴はネイビスが箱に入れて、包装してくれた。水色の包装紙を彩るのは、赤いリボンだ。それを目立たないようにと紙袋に入れてもらった。
二足分の代金を払おうとしたら、これは試作品だったからと、ネイビスは一足分の代金しか受け取ってくれなかった。
試作品だったとしても、良い靴には間違いないと言ったがネイビスは笑顔で首を振った。
クロイドは少し考え、次の機会は自分の靴を作ってもらいに来ますと伝えると、彼はそれを笑顔で了承してくれた。
アイリスへの贈り物の靴、疾風の靴、そして自分に譲ってもらった靴、合わせて三足が入ったそれぞれの紙袋をクロイドは両手に抱えて、ネイビスの店の扉の前へと立つ。
最初、この靴やを訪れた時は緊張したが今は長年通った店のような親しみやすささえ感じられた。
「ネイビスさん。……本当にありがとうございました。何度お礼を言えばいいか、言い足りないくらいに感謝しています」
「いや、こちらこそありがとう。……君のおかげでわしは一皮むけた気分じゃ。これからは更に色々な種類の魔法靴の研究もしていこうと思う。まぁ、さすがに時計台から飛びおりる事が出来る靴は無理かもしれないがな」
冗談交じりに彼がそう言ったあと、二人で同時に噴き出して笑い合った。
「……その靴を贈る相手が喜んでくれることを祈っているよ」
ぽんっと肩に手を置かれる。その手は硬く、そして大きくも感じた。
「……はい」
クロイドは感謝の意味を込めて、もう一度深く頭を下げる。
頭を再び上げた時、ネイビスはやり切ったような、満足したようなそんな表情で笑っていた。
だからだろうか、クロイドも自然に笑みが零れてしまった。扉を開けて、夕暮れ色へと染まった街へと一歩、踏み出す。
「ありがとうございました」
扉を閉めるその最後の一瞬までクロイドは頭を下げる。扉に付けられた鈴が、聞こえなくなってから頭を上げた。
「……」
ネイビスはこれからも普通の靴だけではなく、新しい魔法靴にも挑戦していくに違いない。
「……また、来ます」
今度は自分が彼の作った靴を求めることになるのだろう。
いつかまた来る機会はそう遠くはないのかもしれないとクロイドは小さく笑い、そして両手に持った紙袋をアイリスに知られないように持って帰ることは出来るかどうか、思案し始めた。




