補完
昨日と同じように学園へ登校する前にクロイドはネイビスのもとを訪ねた。もちろん昨日、魔法課の地下で書き写した魔法陣を持って。
「おはようございます」
「やぁ、おはよう。……魔法陣はどうだったかね」
クロイドが作業机の前に座っているネイビスに近づきつつ、鞄から書き写した魔法陣を渡した。
「色んな人に手伝ってもらって、無事に入手できました」
「おお! それは良かった。ありがとう、クロイド君」
どこか恭しく魔法陣の描かれた紙を受け取り、ネイビスは上から下まで食いつくように眺めていた。
「これが……本物の……」
真剣な瞳で、少し震える指で文字を辿っている。
ふとクロイドがネイビスから視線を外すと、作業机の上には裁断された革が二足分、置かれていた。
これが縫い合わせられて、靴になるのだ。まるで一つ一つを組み合わせて作るパズルのようだ。
「クロイド君」
「あ、はい」
名前を呼ばれて、クロイドはすぐに我に返った。
「この魔法陣にはいくつかの呪文が書いてあり、条件が揃った場合に魔法が発動するように組み込まれているようだ。例えば──」
すっとネイビスは魔法陣に書かれた呪文の一文を指さす。
「これは踵を三回叩くことが魔法の発動条件だと書かれている」
「それじゃあ、この一文をネイビスさんの魔法陣に書き込めば……」
「ああ、恐らく。それと、これじゃ」
ネイビスは一番端に円を描くように書かれた一文に指をさした。
「──その足は、兎の如く、その身は猫の如く、舞う姿は鳥の如く。……これこそが、疾風の靴の核となる呪文なのだろう」
「……」
クロイドはアイリスが疾風の靴を使っていた状況をふと頭の中で思い出してみる。
どんなに高い場所から飛び降りても、綺麗に着地していた姿は猫のようにも見えた。壁を使って自由に空中を動きまわる様は例えるなら、鳥にも見える。
そして、銃弾を躱す程の身のこなし、あれは人間業以上の力が働いていると思っていた。
「ここに書かれているのは単なる動物の名前ではない。……魔物じゃよ」
「……え」
「普通の動物よりも魔物の方が身体能力は遥かに高い。下手すれば人間よりも賢く、運動神経の良い奴だっている。……祖父はそれらの魔物の名をここへと刻み込み、魔法靴にその力が反映するようにしたのじゃ」
ふうっと、深い溜息を吐きながら、ネイビスは椅子の背にもたれる。
「言葉というものは本当に恐ろしい。書いただけでその通りになってしまうことだってある。言葉には命が宿るからな。……祖父はそれを承知した上でこの呪文を作り、そして使った」
「……この呪文は同じように使えるんですか?」
「……疾風の靴において、命を削られる原因は革として使っていた飛竜の皮だ。あとは上手く魔法陣の効果が発揮できるように魔法材料を仕込んで、細かい調整をしつつ、靴を作っていけば……」
そこでネイビスはにやり、と笑った。何歳か若くも見えたその表情は最初に会った日よりも生き生きとしているように見えた。
「祖父が作ったものを補完する……いや、それ以上のものが出来るはずじゃ」
「っ……」
ネイビスの初めて自信に満ちた物言いにクロイドはぱっと振り返る。
「わしは、やるぞ。祖父が成しえなかった靴をわしが……わしらで、作り上げる」
にんまりと笑ったネイビスは途端にふっと、真顔へ戻った。
「クロイド君、今夜は空いているかね? 出来れば今日中に試作品を作って、上手く魔法が発動するか試してみたいんだが」
「今夜ですね。任務はないので大丈夫だと思います。……ロディアート時計台がある公園で宜しいですか」
「うむ。夜の9時……いや、10時くらいに集合でいいかね? その場所に他の人から見られないように、周囲に結界を張ろう」
「分かりました。……あの、他に自分に出来ることは……」
クロイドがそう訊ねるとネイビスは先程よりも大きな口を開けて笑った。
「ふぉっふぉっふぉ。君という人は本当に……。……君には大きな仕事が待っている。この靴の履き心地を味わってもらわなければならないからな」
「そう……ですね。しっかり、的確な感想が言えるように頑張ります」
真面目な表情で頷くクロイドを見て、ネイビスはまたもや笑った。
「……君のような人物から、靴を贈られる人は、きっと幸せじゃろうな」
どこか意味が深いようなことを言いつつ、ネイビスは再び作業机の方へと身体を向ける。
「さて、わしは魔法陣による魔法発動の試験と最終確認を行ってから、試作品を作ってみる。今夜を楽しみにしていてくれ。──あぁ、そうだ。念のために夕食は少量にしておいた方がいいぞ」
「え? あ、はい。分かりました」
何故だろうと聞き返しはしなかったが、恐らく意味があることなのだろう。クロイドは頷いて、鞄を肩に掛ける。
「では、ネイビスさん、また後で」
「うむ」
軽く一礼してから、クロイドはネイビスの店を出る。
試作品の靴を履くのは楽しみだが、やはり不安もある。
一度でいいから、アイリスの疾風の靴を試させて欲しいとお願いすれば良かったと少し後悔もしていた。




