任務開始
正直、このような社交の場は嫌いだ。噂、悪口、商売話、そして縁談。様々な思惑が目まぐるしく飛び交うこの気持ち悪さ。
縁がない場所とは言え、アイリスにとっては異質な空間に思えた。
……きっと、あの男も居るわよね。
自分を養女にしようと画策し、両親が遺した遺産を得ようとしている金に汚い叔父。
クロイドには話していないが実は叔父と後妻の間に生まれた息子との結婚話も勧められているため、出来れば会いたくはないし、何も知らないクロイドには会わせたくなかった。
隣に立っているクロイドは何かを警戒するように、黒い瞳を周りに居る人間達に向けては眉を深く寄せているのが仮面越しでも分かる。
クロイドは優しい人だ。自分のことを心配してくれるし、さらに嫌なことがないようにと気遣ってくれている。
だから、これ以上、彼に迷惑と心配をかけたくはないという思いもあった。
突然、大広間全体が薄暗くなり、前方にある壇上だけに灯りが灯される。周りにいた招待客達も、そちらの方へと自然に目を向けていた。
「……どうやら始まるみたいだな」
クロイドの言葉に、アイリスは軽く頷き返す。
壇上に燕尾服を着た恰幅の良い男性が一人立つと周りから、待っていましたと言わんばかりに大きな拍手が起こり始めた。
男性はそれに答えるように、にこやかな笑みを浮かべながら言葉を述べ始める。
「えー……。本日は我が屋敷にお出で下さいまし誠にありがとうございます。私、この屋敷の主でもあり、オークションの主催を務めさせて頂きます、ハウバント・ブランデルでございます」
やっと待ち望んでいた男爵の登場だ。
だが、その顔と声にアイリスはぎょっとした。
「あいつ……」
「昨日の奴だな」
クロイドも昨日、下見に来た際にアイリスと事故を起こしかけた馬車の主だとすぐに気付いたようだ。
「この屋敷の持ち主だったのね……」
外面良く笑っているその表情の下に何かが隠されているのだろう。
それを暴くために自分達はここに来たのだ。
「本日は他ではお目にかかれない珍しい品々を取り揃えております。ひと時の時間ですが、どうぞ今宵のオークションを存分にお楽しみ下さい」
短い挨拶を終えたブランデルは壇上から降りて奥の方の扉へと消えて行った。
だが、アイリス達はその足取りがやけに軽そうだったのを見逃さなかった。
その後、進行役の男が高らかな声を上げてオークションの始まりを告げる。
最初の品は東方から取り寄せた金色の細工が施された青いガラスの花瓶だった。素人目からでも美しいと思えるその品に人々は感嘆の声を上げて、持っている番号札を上に掲げては金額を発言していく。
周りの人々がオークションに集中して騒ぐ中、アイリスは怪しまれないように自然な仕草で、肩に掛けていた小さな鞄から紅い結晶が付いた首飾りのようなものを取り出す。
それを手に載せて結晶の中で揺らめく炎を見ていた。
「……何をしているんだ?」
次々と落とされていくオークションの品を注意深く眺めていたクロイドが横目でこちらを訝しげに見てくる。
「これは魔力探知結晶というの。自分の近くに魔力反応があるか調べたい時や自分が探している魔力の在り処を見つけたい時にその道標を示してくれるのよ」
「魔具……なのか?」
「ええ。ヴィルさんのお店で買ったんだけれどね。魔力の種類ごとに炎の揺らめき方が変わるからとても便利なの」
紅い結晶は暫く、その塊の中の炎を穏やかに揺らめかせていたがふっと突然消えてしまう。
「……どうやらこの大広間に魔具は無いみたいね」
「そうか……。それならば一体……」
クロイドは腕を組んで眉間に皺を寄せる。
その間にも、オークションは次々と進んでいた。だが、あの中に自分達が回収を目的としている魔具は存在していない。
「……もしかして」
そう呟いたアイリスは顔を上げて、招待客の人ごみを分けて進み始める。
「なっ……。おい、どこに行くんだ?」
慌てた様子でクロイドはアイリスをすぐさま早足で追いかけてきた。
「ここには無いのよ」
オークションが行われている大広間からアイリスは廊下へと繋がる扉を通りつつクロイドの方を振り返る。
招待客が休憩を取りたい時のために、客間が開かれている状態らしく、屋敷で仕えている者達から不審がられることなく、アイリス達は廊下へと出た。
「少し考えたら簡単な事だわ。大々的に魔具をオークションで売りさばくわけないもの。一部の貴族の中にだって『嘆きの夜明け団』のことを知っている者もいるし」
魔法はこの国では禁止されている。そして秘密組織である嘆きの夜明け団はそれを規制する組織だ。国の政治などに関わりを持つ貴族などの中には、嘆きの夜明け団の存在を理解している者だっている。
ただ表立って「嘆きの夜明け団」の事を話すことは禁句にされているが。
長く続く廊下は人の気配が全くない。恐らく使用人と警備員のほとんどがオークションの方に出払っているのだろう。おかげでこちらとしては行動しやすい。
「公な場の方がかえって注意を惹きやすいわ。しかもオークションの品物は遠方から運ばれたり、一般人に手が出せないような高価なものばかりだもの。その珍しさを見ようと、多くの目がそちらに向くでしょうね」
アイリスは紅い結晶に通されている紐を持ち、空中に結晶を垂らすようにしながら、意識を集中させた。
「さぁ、示しなさい。その在り処を……」
瞬間、真っ直ぐ垂らされている結晶がくいっと左寄りに動き始めた。
「……ダウジングか」
「ええ。まぁ、探すのは金物じゃなくて魔力しか反応しないけど。……この反応の仕方は、やっぱり屋敷内に魔具はあるみたいね」
ミレットが提供してくれた情報は正しかったのだ。
二人は結晶が示す方向へとどんどん進んでいく。途端に結晶がぐいっと前後に激しく動いた。
「これは……」
アイリスが立ち止まると目の前には二階へと続く階段があった。どうやら結晶は二階へと道を示しているらしい。
「どうやら二階みたいね」
躊躇することなく進んでいくアイリスに感心しているのか、呆れているのか分からないが後ろから付いて来るクロイドは小さな溜息を零していた。
「……こういう危ない事に慣れているんだな」
「まぁね。これでも以前は魔物討伐課にいたもの」
「……戦った事があるのか」
「魔物とね」
ほんの少しだがクロイドの表情が強張った。
しかし、教団に属しているなら、魔物に関することは特に珍しい話ではないだろう。
「あなたも知っているでしょう? 闇夜に住まい、人々の日常を脅かす魔の力を持つ存在」
「……ああ」
「って、こんな話をしている場合じゃないわね」
紅い結晶が先程とは比にならないくらいに前後に動き、結晶の中の炎は勢いを増して揺れている。アイリスには感じられないが、この結晶の動き方は近くに魔力を強く感じ取っている証拠だろう。
「……あの部屋ね」
アイリスは鞄を肩に斜めに掛けて、紅い結晶を鞄の中へとしまった。
その時、突然クロイドがアイリスの左腕を掴んだのだ。
「……クロイド?」
「気を付けろ。あの部屋……中に四人居る」
「えっ……」
「それと微かに火薬の匂いがした。多分、銃を持っている」
「……ただの魔具の取引ってわけじゃないみたいね」
にやりとアイリスは不敵な笑みを浮かべて見せる。ますます、男爵の行っていることが悪行じみてきた気がする。
「クロイド。もう一度確認しておくわよ」
屋敷内の図面を鞄から取り出し、自分達の現在地を指差す。
クロイドがすっとアイリスの隣に立ち、手元の図面を覗き込んでくる。その動作があまりにも自然過ぎて、アイリスの心臓が一瞬だけ大きく脈打ったが、彼に気付かれていないだろうか。
しかし、今は任務に集中するべきだと、意識を図面へと戻した。
「……えっと、私たちが今、居る場所がここ。それであの部屋はここね」
「二階だと撤収する時が厄介だな」
「あら、どうして? 窓から飛び降りればいいじゃない」
簡単に言い放つアイリスにクロイドは頭を抱えた。
「飛び降りられるのか?」
「楽勝よ。着地さえ失敗しなければね。クロイドは苦手?」
「苦手とかそういう問題じゃないと思うが。……窓から飛び降りるとなると場所は屋敷の裏手になるんだな」
クロイドは図面に指を沿っていく。この屋敷の構図はそれほど複雑ではない。
「この屋敷を囲んでいる柵さえ越えればこっちのもんよ。この街の抜け道は熟知しているもの」
以前、魔物討伐課だった時に、街の道は裏道も含めて頭の中に叩き込んでいる。逃げる場合には道を選ばなければならないが、それでも追っ手よりも道を熟知しているアイリスの方が有利になるだろう。
アイリスは屋敷の図面を折り畳み、鞄の中へとしまった。
「良い? 私たちの任務は魔具回収よ。回収したら即座に撤収すること。あと一般人を殺してはいけないわ」
「……傷付けていいのか?」
「一応、大人しく引き渡すように交渉はしてみるつもりだけれど、交渉が決裂したら、魔具を強奪するために強行突破も有り得るもの」
「……意外と荒事な任務だな」
クロイドは先程よりも深い溜息を吐く。
すでにアイリスの言葉に意見する気力さえないらしい。
「とにかく相手が戦闘態勢に入った時は気を付けろよ。いいな?」
「ええ、クロイドもね」
こちらが思っているよりも荒事に場慣れしているのか、このような状況でも全く動揺していないクロイドを見てアイリスはふと感心していた。
彼は今までこのような状況に遭遇した事は無いはずだ。それにも関わらず、とても落ち着いているように見える。
……「呪われた男」と噂されているくらいだもの。きっと、何かしら嫌な思いや色んな経験をしてきたに違いないわ。
人の過去についてあまり詮索はしたくはない。
だから、自分も待ってみようと思う。彼が自分から話をしてくれる時を。
深呼吸する音はクロイドにも聞こえているだろうか。
緊張しているのか、自分でも分からないが割と落ち着いている気がするのは隣に冷静な表情で扉を見つめているクロイドがいるからかもしれない。
……二人なら、大丈夫。
何となく、そう思ってしまう自分がいたが、アイリスは唇をきゅっと一文字に結び直す。
今、初任務の扉が開かれようとしていた。




