回収
細かい呪文が書いてあるため、書き写すのには少し時間がかかってしまったが何度見直しても、一字も間違うことなく書き写すことが出来たクロイドは思わず椅子に寄りかかり、ふっと息を吐く。
「──お? 終わったかい?」
ちょうど作業に区切りがついたのか、ナシルがこちらの様子を見に来てくれたようだ。
「はい、何とか」
クロイドの安堵したような表情にナシルは小さく笑った。
「そりゃあ、よかった。また何か用があれば、遠慮なく聞いてくれて構わないよ。この地下に保管されている魔具のほとんどは頭に入っているからね」
「……それは凄いですね」
恐らく、年代が古い魔具もあるはずだ。地下と言っても部屋はかなり広いし、一体どれほどの数の魔具が保管されているのかも想像出来ない。
その上で、保管している魔具とその詳細、保管している場所を覚えているのは並大抵の記憶力では無理だろう。
「全く、ミカの奴、まだ帰って来ないな。さてはどこかで昼寝かコーヒーでも飲んでいるな……」
恨みがましいものを見るような、苦い表情を浮かべてナシルは呟く。
「すまないけれど、ミカとの挨拶はまた今度にさせてもらうよ。君の相棒が揃った時にまた、会おう」
「はい。……あの、ナシル先輩。私的な用事だったのに手伝って頂き、ありがとうござました」
クロイドが頭を軽く下げると、ナシルはファニスの魔法陣が描かれた紙を茶封筒の中へと戻しつつ、噴き出すように小さく笑った。
「このくらい、お安い御用さ。何せ、ここはあまり人が来ない場所だからね。たまには誰かが来てくれないと寂しいものさ」
確かに電気は通っているようだが広く、そして閉め切られたこの空間に二人きりで、ずっと仕事をしなければならないのは大変だろう。
だが、逆に言えばそれはナシル達が他人から信頼を得ているからこそ、任されていると言える。
……俺もいつか、アイリスと大きな任務を任せられるようにならないとな。
そのためにも、アイリスの誕生日までに魔法靴を完成させなければならない。
「それでは、ありがとうございました」
「またねー」
手を横に小さく振るナシルに対して、クロイドは深々と頭を下げる。ナシル達は魔具の目録を作るこの仕事が終われば通常の勤務に戻るらしいので次に会うのはその時だろう。
クロイドはすっかり鼻が慣れてしまった、古本の匂いがこびり付いた地下室から出て、階段を上っていく。直射日光を地下室に当てないように、窓の設けられていない廊下を歩き、魔具調査課へと戻った。
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魔具調査課の扉を開けようとしたが鼻に掠めたアイリスの匂いに気付き、手に持っていた魔法陣の描かれた紙を折りたたんで、胸のポケットへと入れてから、部屋へと入った。
そこにはアイリスが淹れたであろう、紅茶を飲んでいるミレットとユアン達がいた。クロイドに気付いたアイリスはどこか嬉しそうな顔をしつつも、すぐに唇を尖らせる。
「もう遅いわよ、クロイド。ミレットなんか、二杯もおかわりしちゃったんだからね」
「私を基準に出さなくていいわよ……」
「あ、おかえり、クロイド君」
「おー、戻ったか」
どこに行ったのか、知っているユアン達は目線で上手く行ったかと問いかけて来たため、アイリスに気付かれないように小さく頷き返した。
「ただいま、戻りました。……すまない、少し図書館に行っていたんだ」
アイリスの方へと向き直ると、すぐに用意してくれたらしく、紅茶の淹れられたカップを渡される。
魔具調査課にいる時は、アイリスが率先して紅茶を淹れてくれるが、これがまた他の人が淹れた紅茶と比べ物にならないくらいに美味しいのだ。
「そうだったの。……あ、ミレット。二人揃ったことだし、今日の任務についての話をお願いしてもいいかしら」
「ああ、そうね。忘れていたわ。……今日の任務は魔具を引き取るだけだから、それほど時間はかからないと思うの」
「確か老齢の御婦人から、魔具を引き取るんだったわね」
「そうそう。御婦人は教団で魔法使いとして所属していた人の妻らしいの。でも、旦那さんはもう亡くなっていて、御婦人も息子夫婦が一緒に暮らさないかって誘ってくれたらしいから、今住んでいる家から引っ越すらしくてね。それで夫が遺した魔具を引き取って欲しいんだって」
ミレットの説明を聞いていたレイクが納得するように頷くのが見えた。
「ああ、たまにあるよな。魔具の遺品整理」
「何度かやったことあるけど、ほとんどの場合は家族が持っておきたいと言ったり、売り払ったりしちゃうのよねぇ」
「遺品として所持しておきたい場合にはどうするんですか?」
アイリスが首を傾げながらユアン達の方へと振り向く。
「まぁ、原則としては魔具調査課が引き取らなきゃいけないけれど、場合によっては魔具として使用出来ないように強力な封印を施すか、魔力を完全に取り除くことも出来るわ」
「え……」
「魔力吸収ってやつだな。まぁ、大きな容量を持った媒体となる魔具が必要だから、俺達はあんまりやらないけど」
ユアンに同意するようにレイクも苦笑する。
「そうね。ほとんどは封印が多いわ。そうすれば、魔具はただの物となってしまうから。……でも、その代わり、封印を勝手に解いたり、家族以外の誰かに譲った時はこちらが強制的に回収しにいくって決まっているけれどね」
ちらりと舌を出しつつ、ユアンは紅茶を飲み切る。
「そうだったんですね……」
アイリスがミレットの方を見ると、彼女は首を横に振った。
「んー。今日の任務は全ての魔具を回収してもいいみたいだから」
「ミレット。全てというと……どれくらいの数の魔具を引き取ればいいんだ?」
今度はクロイドからの質問にミレットは苦い表情をしながら、大きく首を横に振る。
「実は出された条件が一つあってね。……そのご婦人は魔力を持っていない人だから、どれが魔具か分からないのですって」
「え……。それはつまり、私達でどれが魔具なのかを探して、回収しろってこと?」
「そういうこと。だから、魔力探知結晶を忘れずに持って行ってね~」
それだけ言うとミレットは紅茶を飲み干してから立ち上がる。
どうやら、話はそれだけだったようだ。
「これが御婦人の家の住所。時間はいつでも良いらしいけれど、今日は夜よりも夕方に行った方が良いかも。事前に連絡はとってあるから、名前だけ言えば通してもらえるはずよ」
ミレットがアイリスに小さな紙きれを渡す。そこには一つの住所が書かれていた。それほど遠くはない場所のようだ。
「分かったわ。ありがとう、ミレット」
クロイドもお礼の代わりに軽く頷いた。ミレットはまたね、と言ってアイリスとクロイドの間を通り過ぎていく。
だが、ミレットが出ていった扉を見ていたアイリスが何か思い出したように、顔を弾き上げた。
「あっ、ミレットに私の靴、いつ返してくれるのか聞いてなかったわ」
その途端、クロイドとユアン達は瞬時に目配せし、黙り込む。お互いにアイリスの言葉に対して何と答えようか迷っているようだ。
「まぁ、今日の任務は歩いて行ける距離だし、ただの回収だけだから、大丈夫よね」
「……そうだな」
あえて何も言わずに返事を返したクロイドに対して、ユアン達は過ぎ去った嵐を見送ったかのような表情で溜息を吐いていた。
「もう少し、人通りが少ない時間になってから、訪ねましょう。あまり、遅すぎても失礼になっちゃうし」
「分かった」
そう返事をしつつ、クロイド自身もどこか安堵していた。アイリスに対して秘密にしているのは心苦しいが、仕方ない。
喜んでくれるかどうかは分からないが、それでも──。
「ん? どうしたの、クロイド?」
クロイドの視線に気付いたアイリスがミレットに貰ったメモを大事そうに指で折りつつ、首を傾げる。
「……いや、何でもないよ」
「そう?」
特に不審に思わなかったのか、アイリスはそのままミレットが使っていたカップを片付け始める。
……中々、もどかしいものだな。
密かにアイリスの後ろ姿を見ていると、ユアン達がどこか楽しげな表情でこちらを見てはにやにやと笑っていたため、クロイドは小さく咳払いして、誤魔化すしかなかった。




