地下
嘆きの夜明け団でもっとも所属人数が多いのが魔法課と魔物討伐課の二課である。
魔法課に属している人間は新しい魔法の研究や現存する魔法の詳細を調べたり、魔法を保存することを主な仕事としているため、自分が求めるものを深く追究する人間が多いらしい。
もともと所属希望者が少なく、さらに人数が最も少ないと言われている魔具調査課だが、他にも少数の団員しか所属していない課は多くあるらしい。
関わりがない課のことはよく知らないため、また色々と自分で知っていくべきだろう。
いつもなら、アイリスと一緒に歩く廊下だが今日は一人だ。
視線を感じることには慣れたが、売られた喧嘩を買うわけにはいかない。もっとも、普段ならば売られた喧嘩をすぐに買うのはアイリスだが。
魔法課は教団の建物、一階の大部分を占めており、さらには地下の半分も魔具を保管する場所として使っている。
地下のもう半分は、魔法による犯罪を行なった者を一時的に収容しておくための牢屋もあるが、牢屋の管理をしているのは魔的審査課である。
魔法課に入って一言、断りを入れたクロイドは魔具が保管されている地下へと歩いて行った。
魔法課の団員からは特に不審な顔をされることなく、すんなりと地下に行くことが出来たのは、やはり事前にブレアがこの課に連絡を入れておいてくれているからかもしれない。
地下へと通じる階段は薄暗く、そして温度が少し低くなったように感じた。物を長期に渡って保管するならば、湿度の高い場所は推奨出来ないため、温度と湿度の調節が施されているのかもれしない。
「……随分と暗い場所だな……」
いつもは魔法課で回収した魔具を引き取ってもらい、地下へと保管してもらっている。そのため自らが直接、地下へと来るのは初めてだった。
地下に続く階段を下りて、分厚い鉄製の古びた扉を外側に向けてゆっくりと開いてみれば、古い本の匂いで満ちた空気が鼻を覆っていった。
クロイドよりも高い棚が何列も並び、端から端までを埋め尽くすように木製の箱が置かれていた。何かの呪文なのか、木製の箱の外側には奇妙な文字が文章のように刻まれている。
「……」
思っていたよりも広い空間となっている地下を見渡してみる。電気は通っているらしく、作業が出来るようにと豆電球が天井からいくつも下がっていた。
しかし、この場所で仕事をしているはずの魔具調査課の先輩の姿はどこを見渡しても、見当たらなかった。
匂いを探ろうにも、これほどまでに魔具に囲まれたことはないため、そちらの魔力ばかりが気になって集中できない。
瞬間、ふっと何かの気配を感じ取ったクロイドは後ろを振り返りつつ、素早く三歩程、後ろへと下がった。
「──お! 思っていたよりも動きが機敏なんだねぇ」
「……え?」
背後にいたのは二十歳程の女性だった。髪をゆったりと二つに分けて、三つ編みにしてある。作業しているのか、その身に纏っているのは白衣だ。
彼女がかけている眼鏡の下には、何故か面白いものを見つけたような愉快げな表情が浮かんでいた。
「君がクロイドだろう? ブレア課長から連絡が来たよ」
「あ、それでは、あなたが……」
「そうだよ。私はナシル・アルドーラ。君と同じ魔具調査課所属だ」
「初めまして。クロイド・ソルモンドです」
ふと視線を向けると彼女の手には5、6冊程の分厚い本が積まれていた。それをひょいっと、近くにあった大きな机の上へと置く。
「いやぁ、わざわざ来てくれて、ありがとうね。本当ならもっと早くに君達、新人に挨拶に行かなきゃいけないんだけど、こっちの仕事が中々終わらなくって」
「いえ、こちらこそ……。忙しいのに時間を取って頂き、ありがとうございます」
「もう一人の新人の子はアイリスって言うんだっけ? 有名な子だよね、色々と。あとで積もる話が聞けそうだ」
ナシルは楽しそうに笑い声を上げる。ユアン達が言っていた気さくと言う言葉に当てはまる、中々好印象な人物で良かったとクロイドは気付かれないように安堵した。
「本当は私の相棒のミカって奴もここで仕事をしているんだけれど、今は休憩に行ってるから、挨拶はまた後でね」
「はい」
「それで探しているのはファニス・サランが作った魔法陣、だっけ? 確か、50年くらい前に生きていた人だからねぇ~。保管方法が当時は今に比べて雑だったせいで、紙の質はあまり良くないけれど、魔法陣自体はちゃんと残っているから安心して」
「あ……ありがとうございます」
ナシルはちょっと待っていて、と言い置いてから数分もせずに一つの茶封筒を持って、クロイドのもとへと戻って来た。
魔具の目録を作っているだけあってか、保管場所を覚えているようだ。その記憶力の凄さに、思わず喉の奥が鳴りそうになる。
「はい、これだよ。うん、間違いないね。発案者の項目にファニス・サランと名前が書いてあるし、備考欄に跳ぶ魔法のことについて書かれているから」
ナシルは白手袋をはめて、茶封筒の中身をゆっくりと取り出してくれた。そこには一枚の紙きれが入っていた。
「これが……」
机の上に柔らかそうな布を敷き、その上に魔法陣が描かれている紙を置いてから、ナシルはどこか安堵するように短く息を吐く。
「保管状況もあまり良くないから、外部には持っていけないんだよねぇ。少し力を加えたら、ぼろぼろに砕けそうだし。……まあ、作った本人があとから、これは失敗作だから処分してほしいって申し出てきていたらしいんだけれど、昔の魔法課の管理方法が今よりもずさんだったおかげで残っていたと言っても過言ではないね」
「そうだったんですね……」
せっかく自分達、魔具調査課が魔具を一生懸命に回収しても、管理方法がずさんならば意味がなくなってしまうのではないだろうかとクロイドは密かに思った。
クロイドが心に思ったことを感じ取ったのかナシルは小さく苦笑する。
「昔に比べて、今は随分と良くなった方だよ。温度、湿度も同時に調整して管理出来るようになったからね。……って、こんな話をしている場合じゃなかったね。この魔法陣、写していくんだろう?」
そう言って、ナシルは白衣のポケットから鉛筆を取り出し、机の上に置かれていた真っ白の紙の束の中から一枚を手元へと取って、クロイドへと渡してくる。
「紙と鉛筆は用意しておいたよ。ここでは万年筆もペンも使えないんだよね。インクが魔具に付いたら大変だし」
「いえ、準備までして頂き、ありがとうございます。魔法陣を描き写すのに少し時間がかかりそうですが、宜しいでしょうか?」
「ゆっくりと描いてくれて構わないよ。私は仕事の続きをしているから、終わったら声をかけてねー」
「はい」
ナシルは机の横に立て掛けられていた脚立を片手で持ちつつ、自身の背よりも高い棚の間へと入っていった。彼女が受け持っている仕事の続きをするのだろう。
白衣を着た背中に向けて、心の中でお礼を言いつつ、クロイドは机の上へと視線を落とした。
……さて、やるか。
魔法陣をもう一度、じっくりと見直してみる。円の中には五芒星が描かれており、そこには呪文らしき文字が並列していた。
鉛筆を利き手の方に持ち直してから、目を凝らしつつ、一文字一文字を真っ白の紙の上へと写し取っていく。
まさか靴を作るにおいて、このような事をするとは思っていなかったが、中々興味深いものだと感じていた。普段、魔法を使う際は呪文を詠唱する方が多い。魔法陣を描くのは本当に稀だ。
……いつか、作ってみるか。
魔法は誰でも作ることは出来るという。ただ、それを実証させて、魔法課に認可してもらうまでに時間がかかるらしいが。
クロイドは丁寧に、そして見間違いがないように何度も見直しながら魔法陣を描き写していった。




