魔法陣
授業終わりにネイビスの靴屋へ寄ってみると、奥の作業机で頭を悩ませているネイビスがいた。
「こんにちは」
少し控えめに声をかけるとネイビスはふっと顔を上げて、眼鏡を持ち上げつつ返事をする。
「おぉ、すまんの、気付かないで」
「いえ……。それは……魔法陣ですか?」
作業机には大き目の紙に五芒星と呪文らしき文字が散りばめられている図形が描かれていた。
「うむ、そうじゃ。これは新しく作っている魔法陣なのだが……。以前、作られたものを元に作っているのじゃよ」
「魔法陣も制作出来るんですね」
驚き気味に答えるクロイドにネイビスは苦笑する。
「これでも魔法使いの端くれだからのぅ。まぁ、最近は魔法なんて使うことがなかったから、すっかり忘れてしまうところだった」
クロイドはちょっとだけ、その図形を覗き込むように見てみる。自分は魔法を使うことはあっても、新しい魔法を作ったことはないため、少し興味が湧いたのだ。
「では、魔法陣が上手くいけば、教団の魔法課に申請するんですか?」
「そうなるのぅ。面倒じゃが決まっていることだから、仕方ない」
教団の魔法課では新しい魔法を作ることもあるらしいが、それ以外の魔法使いによって新しく作られた魔法は魔法課で新しい魔法としての認可申請を出さなければならないと聞いている。
その後、新しく作られた魔法が実際に正しく発動出来るかを魔法課の魔法使いが細かく調べてから、やっと認可が下りるのだという。
「何度かこの魔法陣の上に浮かせられるようなものを載せて、しっかり発動するか試してみたが、上手くはいった。あとは、靴の中にどのように仕込むかが問題じゃが……」
「えっと、確か疾風の靴には靴底に魔法陣が仕込んであるって言っていましたよね。それと同じではいけないんですか?」
「いや、それと同じでもいいだろう。ただ、靴全体に魔法をかけるものとしては力不足じゃ。……そこで、これを使おうと思う」
そう言ってネイビスが机の引き出しから取り出したのは今朝、自分がここへと持ってきた飛翔石だった。
「これはとてもいいものだ。魔法陣による浮力の力を支えてくれるだけでなく、この石自体がとても強いもので出来ている」
空色をした水晶のような石は、窓から射す光によって輝きを増していた。
「この石は少量でも力を発揮できるだろう。これを靴底に収められるくらいに小さく削り、魔法陣と一緒に靴底に仕込もうかと思う。まぁ、先程と同じようなことが出来るかどうか試しに普通の靴の中に入れてやってみたが、一応浮くようじゃ。だが、疾風の靴のように早く動き、跳ぶことが出来る状態ではなかった」
ネイビスは魔法陣の上に飛翔石を置き、その上に布を被せる。
魔法陣は飛翔石と反応し合っているのかお互いに光りだし、被せるように置いてあった布は誰かが動かしているのではと疑うほど、自然に空中に浮かび始め、ゆらゆらと舞うように漂っていた。
浮かんでいる布をすっと、ネイビスが取り上げると、光っていた魔法陣と飛翔石はすぐに光を失った。
「だが、これでは駄目だ。この状態では常に浮かんだままとなってしまう」
「……確かに。浮いたままでは自由に動けませんからね……」
浮力は大事だが、それ以上に跳躍力も大事なのだ。
アイリスはよく、地面を蹴っては空中へと飛び上がったり、壁を蹴ったりして跳ぶことが多い。浮かんだままでは、彼女が思うような動きを取ることは出来ないはずだ。
「……アイリス、いえ、疾風の靴の持ち主は踵で何度か地面を蹴ってから、空中へと跳んでいました」
「ふむ……。魔法靴の力を発動させる際の呪文の代わり……というよりも、引き金的な役割じゃろう」
「引き金、ですか」
「まぁ、合図みたいなものだ。仕込んである魔法陣に恐らく、踵を決められた回数叩くと魔法が発動するように作られているのじゃよ」
「なるほど……」
それでよく、アイリスは跳ぶ前に靴の踵を地面に叩きつけていたのだ。
「魔法陣のどの呪文がそうさせているのか……。同じ呪文を書き足せば、疾風の靴を使用する際と同じように出来るかもしれん」
「本当ですか?」
思わず、声が明るくなってしまったのを誤魔化すようにクロイドは小さくせき込む。
「ああ。……だが、魔法陣の詳細は分からぬのじゃ。この魔法陣は祖父の手帳に試作品として描かれていたものを模倣しつつ、わしが手を加えたもの……。……祖父によって正式に完成した魔法陣は、疾風の靴に使用される際に、教団の魔法課に提出されているのじゃ」
「え……」
「こちらで書き写しておけば良かったものの、祖父はあの靴を失敗作として、記録に残してはいたが作った魔法陣のことは書き足してはくれなかった……。つまり、わしの手元にないから確認の仕様がないということじゃ」
「……」
少し諦め混じりの溜息を吐きつつ、ネイビスは肩を竦めた。
「とりあえず、木型から紙の型を作って、革を裁断していこうと思う。ああ、そうだった。この『雲の羽衣』を裁断して、紐状にしてから、靴紐の部分に使いたいと思うのだが、構わんかね?」
「はい。……あの、ネイビスさん」
「何かね」
「その魔法陣のこと……ですが。……俺に任せて貰えませんか」
クロイドがネイビスの顔を窺いつつそう訊ねると、彼は少々驚きの表情を見せたが、すぐに心配しているような顔へと変えていく。
「大丈夫かね。君が所属している課は魔法課ではないのだろう? 一度、魔法課の地下に収められた魔具や魔法陣の類は余程の事情がない限り取り出せないと聞いているぞ。まぁ、希望があるとすれば、他の魔法陣と一緒に集約されて、一冊の魔法書として編集されているかもしれないが……」
「……自分は魔法を勉強していますが、教団から発行されている魔法書をよく読んだりしています。その中には現在まで作られた魔法が記載されているのですが……ファニス・サランが作ったとされる魔法陣は見たことがありません」
「……つまり、祖父の魔法陣は魔法書として編集されてはいない、ということか」
「恐らくは……。ですから、色々と伝手を頼って探してみようと思います。……破棄されていなければ残っているはずです。一度、魔法課の地下に収められたものは永久に保管すると決まっていますから」
「……分かった。そっちの方はクロイド君に頼むとしよう」
そこでやっと、ネイビスは安堵したような表情へと変えた。
「今日は任務までに時間があるので、その前に魔法課に行ってみます。では、また来ますので……」
「ああ、ありがとう。わしも今のうちに出来る作業は全て終わらせておくよ。……明後日くらいに試作品を試すことが出来ればいいんだが……」
クロイドは同意するように頷き、授業で使ったノートや筆記用具が入った鞄を肩にかける。
「それでは、失礼します」
丁寧に頭を下げて、クロイドは店から出た。
昼が過ぎて、夕方にはまだ早い時間。表の通りは多くの人が行きかっていた。その中にクロイドは自然に紛れ込んでいく。
「次は魔法課、か……」
とりあえず一度、寮に戻って準備をしてからブレアに訊ねてみよう。もしかしたら、何か魔法課について知っていることがあるかもしれない。
だが、魔具調査課にはアイリスがいるだろう。出来るだけ、不審に思われるような態度を取らないように気を付けなければ。
すっかり慣れた道のりを辿るようにクロイドは教団に向かって歩き始めた。




