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整理

   

 その日の昼と夕方の間の時間帯、アイリスはクロイドが作ったアップルパイをミレットから渡され、一人で魔具調査課へと向かっていた。


 出勤ついでにアップルパイをおやつとして食べつつ、紅茶でも用意しようと思っていたのだが、魔具調査課の部屋の扉を開けてみてもそこにはクロイドの姿はない。アップルパイのお礼を言おうと思っていたのに残念だ。


 部屋の中にはユアンとレイクが何やら顰めた表情で椅子を隣り合わせにしながら、書類らしきものを読んでいる。任務に関することだろうか。


「あら、アイリスちゃん」


 ふと、顔を上げたユアンと視線が重なり、アイリスは軽く会釈する。


「あの、お二人だけ……ですか? クロイドは……」


 そう訊ねると二人は口を一文字に結び、お互いに顔を見合わせる。何だか奇妙な表情をしていたが、気のせいだろうか。


「……いや、見てないな」


「そうね。まだ、学園から帰ってきていないんじゃないかしら?」


「そう……ですか」


 アップルパイが入った包みを自分の机の上に置き、アイリスは小さく溜息を吐く。


「まぁ、今日は大きな任務もないし、ゆっくりしていたら?」


「そういえば、ブレア課長がアイリスが来たら寄こして欲しいって言っていたぞ」


 そう言って、レイクが課長室の方を指さす。


「あ、そうなんですか。分かりました。ありがとうございます」


 もう一度、軽く頭を下げてから、アイリスは課長室へと向かう。




 課長室の扉を三回叩くといつものようにブレアから返事が返ってきた。それを確認してからアイリスは扉をゆっくりと開く。


「──失礼します」


「お、来たか」


 椅子にもたれるように座っていたブレアが身体を少しだけ前へと動かす。


「いやぁ、実はな……クロイドの奴が学園で居残りの用事があるらしく、今日は出勤できないらしい」


「え……」


 自分が知らないうちに何か用事でも出来ていたのだろうか。


「あと、ミレットが暫くの間、疾風の靴(ラファル・ブーツ)を貸して欲しい、だとさ」


「えぇ!?」


 何かの用事に使うから、貸して欲しいと懇願されたため、仕方なく貸すことにしたが暫くとは一体どれくらいの期間なのだろうか。


「ブレアさん。私、あの靴がないと出来なくなる任務が増えるんですけれど」


「まぁ、そう言うな。跳ばなくても出来る仕事ならたくさんあるさ。書類整理とかな!」


 そう言って、ブレアは長い台の上に散らばっている書類の束を笑顔で指さした。


「それ……ブレアさんが苦手なだけでしょう、書類整理」


 ブレアは実は身体を動かす仕事の方が得意らしく、いつも書類整理や事務仕事を面倒そうにやっていた。課長という立場柄、そういう仕事の方が多いはずだが。


「手伝わされるのは別に構いませんけど」


「計算するの、得意だろう?」


「……って、もしかして私が出した損害の修繕費についての……」


 アイリスがしまった、という顔でブレアの表情を窺ってみると、彼女の口元が薄っすらと笑ったように見えた。


「嘘……。最近は全く、壊した覚えがないのに……」


 出来るだけ気をつけているので、最近はそこまで物を壊した覚えはなかった。


 魔具調査課に入ってから少しは真紅の破壊者クリムゾン・クラッシャーの通り名が薄れると思っていたが、現実は中々上手くいかないらしい。


「気にするな、いつもの事だ。大体、他の課だって、当てられた予算のほとんどは修繕費と出張費に割かれているぞ」


「それは……そうかもしれないですけど」


 溜息を吐きつつ、アイリスは長い台の上に散らばっている書類に手を伸ばし、片付けと修繕費の計算をしはじめる。


「でもまぁ……お前も少し変わったな。前に比べて、おしとやかになったと言うか、さらに強くなったと言うか」


「……自分で言うものではありませんが、ブレアさんの手元でお世話になっていた頃に比べれば、随分な変りようだと思いますよ。最近はそれほど、無茶をしていませんし」


 苦笑しつつアイリスは答える。

 手元の書類はほとんどがブレアの署名と魔具調査課の判子が必要なものばかりだ。


「ここ最近では一段と変わっているさ。……やっぱり、クロイドのおかげかね」


「……」


 突然、クロイドの名前を呼ばれ、一瞬だけ胸の奥が跳ね上がった気がしたが表情に出さないようにとアイリスは努めた。


「お前、クロイドが好きなんだろう。相棒や友人としてではなく、──世間一般的に言う恋慕として」


「……どうして分かるんですか」


 その問いに対して戸惑いつつ顔を上げるが、ブレアは別にからかっているような表情などしておらず、ごく真面目な顔でそう言っていた。


「分かるさ。お前の成長をずっと見て来たからな」


「……」


 そうなのだ。

 この人は自分の保護者のようでもあり、姉のようでもあり、そして自分の師匠なのだ。


「何でもお見通しと言うわけですか」


「だが、クロイドの奴はこういうことには鈍い方だからな。他人の感情には敏いが、自分の感情には鈍いんだよ。……これ以上の関係になりたいと思うなら、お前が押す方が早いぞ」


「……仕事柄、課内恋愛は禁止! なんて、言い出すのかと思っていました」


 ブレアの意外な言葉にアイリスは目を丸くする。


「確かに命の危険がある任務ばかりだからな。だが、恋愛は自由に決まっているさ。……私達は自由の身として生まれてきたんだ。誰かに感情を縛られることなんて出来ないんだ」


 その瞳は何と表現していいのか分からないが、とても慈愛に満ちているような瞳をしていた。


「……アイリス」


「はい」


「今年も……墓参りは行かないのか」


 低く、静かに訊ねる声は穏やかだった。一種の静寂がその場を満たす。


 墓参り。それが誰を訪ねに行くことを表しているのか分かっている。亡き家族が眠っている場所の事だ。


「……行けると、思いますか」


 再び書類の方へと目を落とすが、その視線は揺らいでいた。


「私はまだ、願いを果たしていません。あいつを……魔犬を倒さなければ、家族に合わせる顔がないですから」


 ブレアに連れられて、住んでいた家を離れてから、一度も家族が眠っている場所へと訪れたことはなかった。

 教会の墓地に眠っているため、管理などは任せてあるが自分がその墓を見たことは一度もない。


「それに……駄目、なんです。……全てを思い出してしまって……」


 アイリスはそこで言葉を止めて、胸に手を当てる。忘れてはいけない。


 だが、忘れてしまいたい程の悍ましい光景が再び脳裏に蘇り、息が詰まりそうになる。


「……嫌なこと、思い出させてしまったな。すまない」


 ブレアが瞳を薄く閉じて、謝って来る。


「いえ、大丈夫です。慣れて……ますから」


 そういって、小さく苦笑しながら強がりを言ってみてもブレアには伝わってしまっているのだろう。彼女は今まで、ずっと自分のことを見てきてくれた人なのだから。


 アイリスは意識するように書類に目を通し始める。

 だが、書類の整理が終わるまでブレアはそれ以上、何かを話しかけて来ることはなかった。

  

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