魔法靴
「わしも教団の魔法使いとして、登録はしているが魔法靴を作ることはほとんどなかった。……偉大な職人とまで謳われた祖父にさえ作れない靴があるということは、どうしても越えられない現実がそこにあると受け止めるしかないからのぅ」
「……」
つまり、普通の靴なら作るが魔法靴は作ることは出来ない、ということだろうか。
「すまないな、クロイド君。力になれなくて。……この靴の持ち主にも、早くこの靴を手放すように言ってくれぬか」
どこか悲しげな表情でネイビスは静かに笑う。だが、その笑みはクロイドにとってはネイビス自身を笑う自嘲のように見えていた。
鼻をかすめるのは新品の靴の匂い。棚に置かれている革靴たちは、どれも綺麗で胸を張って並んでいるようにさえ見える。
机の上には何度も描き直したようなデザインが描かれた紙の束が散らばり、空いている箇所に言葉が書き並べられていた。
使われている道具は丁寧に並べられており、どれも光るように手入れされている。
「……」
目の前にいるこの靴職人は本当に靴を作ることが好きなのだと、何となく感じ取っていた。
妥協はしない。だからこそ、完璧であるものを作りたい。
靴職人としての矜持から、逃げているわけではないのだ。
「……一度、挑戦してみませんか」
「なに?」
「もう一度、疾風の靴を作るんです。……同じものではなく、それ以上のものを」
「それは……」
ネイビスは何かを言いかけて、口を閉じた。
「無理だ。あの祖父に出来なかったことを、わしに出来るはずが……」
「だからこそ、です」
昔の自分なら、こんなことを言ったりしなかった。先に進もうとする力さえないのだと、思い込んでいたのだから。
……感化されたかな。
強く、熱く、眩しいと感じた笑顔が心の中に浮かび、そしてその笑顔は自分をいつも光の中へと引っ張ってくれるのだ。
「超えてみたいと、思いませんか」
静かに挑むような瞳でクロイドはネイビスを真っすぐに見つめる。ネイビスの瞳は迷うようにゆらゆらと揺らめいていた。
「あなたが尊敬する祖父を……。最高の靴職人を越えてみたいと、思いませんか」
眺めて、憧れるだけなら、誰にでも出来る。
だが、目指すのは別だ。望みを叶えたいと、願うことは自由であるはずだ。何度だって、挑戦は出来るのだから。
「お願いします。自分に出来ることは手伝います。だからどうか──どうか、魔法靴を作って頂けないでしょうか」
クロイドは一度立ち上がり、頭を下げる。承諾してもらえるまで、頭を上げるつもりはなかった。
沈黙だけが、この場所を満たしていく。
「……一つ、聞いてもいいかね」
「……何でしょうか」
「どうして、それほどまでに魔法靴を必要としているのかを」
その言葉に最初に浮かんでくるのは、アイリスの後ろ姿だった。絶望を味わっても、それでも屈することなく、真っすぐと立ち続ける凛々しい姿が光の中へと進んで行く。
「……この靴を履いている人は、とても……強がりなんです」
悲しい表情よりも多いのは、笑顔の時。
その笑みを見るだけで、自分は何故か落ち着けるのだ。
「成し遂げたいことのために、辛いことさえも押し込めて、笑顔でいるような、そんな人なんです」
「……」
「でも、成し遂げたいことを果たすには、彼女はまだ力が足りないと感じているんです。……魔力が……ないですから」
「……もしや、噂の……」
ネイビスの言葉に答えるようにクロイドは軽く頷く。どうやら魔力無しだが、教団に入っている者がいるという噂を知っているらしい。
「俺と彼女には、どうしても倒したい魔物がいます。そのために、この靴が必要なんです。約束を──果たすために」
出来るなら、自分を傷付けるようなことはさせたくない。しないでほしい。
だが、彼女は無理矢理に笑顔を取り繕い、大丈夫だと答えてしまう。
……だからこそ、守りたくなってしまうんだ。
いつか一緒に、魔犬を倒そうと約束した彼女の笑顔のその先を見るために。
「……そうか」
ネイビスは穏やかに答える。
「正直に言って、上手くいくかどうかは分からん。木型はすぐに作れそうだが、跳ぶ魔法に必要な材料が足りないからな」
「それは……」
「手伝ってくれるかね、クロイド君。……見えなかった壁の先を見てみたくなった。どうせなら高い壁に何度も挑戦して、折れ続ける方が、逃げるより少しはましだろう」
つまり、魔法靴を作ることを請け負ってくれるということだ。込み上げてくる熱い思いを胸に押しとどめ、クロイドは思わず息を深く吸い込んだ。
「っ……。 はいっ! ありがとうございます……!」
もう一度、クロイドは頭を下げる。今度は先程よりも深く、長い時間、頭を下げ続けた。




