靴屋
ミレットが連絡をとってくれたネイビス・サランはこの街に住んでいるらしく、クロイドは学園での授業が終わったあとにそのまま立ち寄ることにした。
今日はこの後、任務は控えていないが一応ブレアに連絡だけはしておいた方がいいと思い、ミレットに言づけを頼んできた。
アイリスは自分が魔具調査課にいなかったら不審に思うかもしれないが、授業後に教師に頼まれた用事で帰るのが遅くなったと言えば大丈夫だろう。
そう思いつつ、クロイドはミレットから渡されたとある住所が書かれた紙を頼りに道を歩いていた。
ミレット曰く、ネイビス・サランは初老の男性らしい。『サラン靴工房』という名前の店を営んでいるらしく、看板を見ればすぐに分かるだろうとのことだった。
「……こっちか」
一人で街中を歩くことはあまりない。普段ならアイリスが隣にいるが今日は違う。この件は彼女に、秘密にしておかなければならないのだ。
ふっと道を曲がった先に靴の絵と小さな文字で『サラン靴工房』と書かれた看板が目に入って来て、クロイドは思わず安堵の溜息を吐く。
窓の外から店の中を窺ってみるが、薄暗くてよく見えない。
クロイドは深呼吸をして、扉を叩いた。
「──はい、どうぞ」
扉の内側からはすぐに返事が返ってきた。扉の取っ手に手をかけて、ゆっくりと回しながら扉を開いていく。
最初に鼻先をかすめたのは革の匂いだった。店内に入ると壁一面に完成された靴が並べられた棚が置かれており、奥には作業用の机が見えた。
その机の上にも作りかけの靴や、新しい靴のデザインを考えているのか広い紙に埋め尽くすように靴の絵が描かれている。
「やぁ、いらっしゃい。わしはネイビス・サラン。ここの店主じゃ。連絡があったクロイドって人かね」
迎えてくれたのは白髪交じりの頭に、柔和そうな表情をした初老の男性だった。
「はい、そうです。……突然、お伺いして、すみません」
「構わんよ。ああ、こっちの椅子に座るといい。……ふむ、学生さんかね?」
「……一応は」
勧められた椅子の上に座り、最初は何と切り出せばいいのかとクロイドが悩んでいるとネイビスはにんまりと笑った。
「そう、緊張しなさんな。……確か恋人の誕生日に贈り物として靴を、という話を連絡をくれたお嬢さんから聞いたのじゃが」
「恋人っ!?」
思わず声が裏返ってしまった。ミレットは一体何をこの男性に吹き込んだというのだ。だが、ネイビスは楽しそうに笑っているだけだ。
「良い、良い。若いうちはそうでないとな。本当なら、本人の足のサイズや形をとってから、作りたいんだがな。秘密にしてほしいと言われたが……仕方ないか」
「あ、それならここに……」
この店へ来る前にミレットから渡されたものの中に、アイリスの足のサイズと形が書かれたものを渡されたのだ。
ちなみにどうやってこれを入手したかというと、ミレットは意外にも魔具である『千里眼』を使ってやっていた。
何でも魔法を使ったところ、アイリスの足のサイズと形が記されたものがページ上に浮き出て来たらしく、それをそのまま貰ってきたのだ。
本当に「千里眼」の魔法の仕組み自体が不思議に思えてならないが、ミレットを常々、敵に回したくないと言っているアイリスの言葉が今ならよく分かる気がする。
そして、もう一つはアイリスが任務の際に履いている疾風の靴だ。
靴を作るには木型といって、サイズや足の形にぴったりと合うように木を削ったものを最初に作るらしい。
アイリス本人からサイズを測れないため、靴の制作に必要だと思ったミレットが何だかんだ言いつけて、アイリスから靴を借りて取ってきてくれたのだ。
それを先程、手渡されたわけだがアイリスが普段、履いている靴を手に持っているだけで何故か妙な気持ちになってしまう。
「おぉ、ありがたい。やはり、これがなければオーダーメイドの靴は作れないからな。……これは……贈り主が履いている靴かね?」
ネイビスはクロイドから差し出された一枚の紙と靴を大事そうに受け取る。靴を受け取ったネイビスの瞳が小さく光ったのが見えた。
「そうです。……型を最初に測って作るとお聞きしましたが、本人は連れてこられないので、使っている靴を持ってきました。……これで何とか作れませんか」
「ふむ……。まぁ、やれぬことはない。だがこの靴は……」
ネイビスは何かを口にしようとして、すぐに閉じる。何か言いたいことでもあったのだろうか。
「……それでどんな靴がいい? 最近、流行りの踵が高い靴か? それとも──」
「あの、その事なんですけれど……」
クロイドは姿勢を正して、真っすぐとネイビスを見る。
「あなたの祖父であられるファニス・サランの作った靴と同じようなものは作れますか」
「なに?」
ネイビスは眉を寄せる。
「祖父の事を知っておるのか」
「……はい」
「では今回、作って欲しいという靴は……贈り主が持っている靴と同じ『魔法靴』かね?」
さすがに疾風の靴が魔法靴だとすぐに気付いていた上で黙っていたらしい。言いたいと思っていたことはそれだったようだ。
ミレットいわく、ネイビスも一応魔法使いとしての登録は教団で済ませているが、ただ魔法による活動はあまり行っていないらしく、魔法靴もほとんど作っていないのだという。
そして、現在は一般人向けの普通の靴しか作っていないと言っていた。
「そうです。……自分が渡したい相手は今、この疾風の靴を履いているんです」
「疾風の靴……。懐かしい名前だ。わしが小さい頃に試作品を見たことあるよ。だが、いまだに使っている者がいるとは思わなかったな。……その名の通り、疾風のごとく、跳べる靴だったらしい」
「はい、今もその靴の性能は健在です」
「そうか……。さすがは最高技術者の作品、といったところか」
だが、そう呟くネイビスの顔色は暗い。
「クロイド君。この靴の持ち主は……元気なのかね」
「っ……」
まるで確信しているかのような問いかけにクロイドは思わず、言葉を詰まらせる。
「やはり、そうか……」
どこか思い詰めたような表情でネイビスは椅子に深く腰掛けた。
そして、何かを思い出すように窓の向こう側に広がる景色の方へとネイビスは視線を向ける。
「実は、祖父が以前書いた仕事手帳を持っていてな。そこには祖父が今まで作った靴のことが書かれていた。……もちろん、魔法靴のことも」
「……」
「足が速くなる靴、壁が登れる靴……本当に、祖父は想像力が豊かな靴職人で……そして魔法使いでもあった」
ネイビスは机の引き出しから分厚い手帳を取り出し、ページを捲り始める。
「だが、晩年に作った疾風の靴は……失敗作だったのだ」
「え?」
そう言って、ネイビスはとあるページをクロイドに見せてくれた。
──『自由に跳べるが、負荷がかかる。節々の痛み。魔力が無い者には危険』
そして、下の方に丸を付けられているのは「失敗作」と書かれた字だった。
「……当初の売れ行きは良かったらしい。元々、魔法使い……教団の団員向けに作られた靴だったからな」
そう言いつつ、ネイビスは手元にあるアイリスの靴へと視線を落とす。
「だがある時、魔力が無い者がこの靴を履いたらしい。どういう経緯で履いたのかは忘れたが、恐らく教団の知り合いだったと聞いている。その者がこの靴を履いて、跳ぼうとしたのじゃ」
「……それは……」
「お察しの通りじゃ。もちろん疾風の靴は一般人向けに作られたものではない。魔力がない者でさえ、その性能を発揮するが……身体にかかる負担が大きすぎて、最悪の場合、倒れてしまう者もいた」
その靴をアイリスが履いているのだ。靴の性能を使うごとに身体へ痛みを与えながら、必死にそれに耐えて、使い続けている。
「もちろん、魔力がある者にとっては人気だったが、それでも祖父はその靴を二度と作ることはなくなった」
「どうしてですか」
「……祖父は誰にでも履ける靴を目指していたのじゃ。子どもでも大人でも、魔法使いでも、一般人でも……。全ての人にとって履ける靴でなければ、彼は認めなかった。許さなかったんだ」
ネイビスは目を細めながら、窓の外を見る。何かを思い出しているのか、その目は遠くを見ているようだった。




