疾風の靴
しかし、久しぶりに疾風の靴を使用したせいか、靴が持っている性能の作用により、血が不足しているような感覚に陥る。
同時に、身体の節々から血しぶきが出るような痛みが出始めた。
「っ……!」
だが、今は美術館の二階から飛び降りている最中だ。着地を失敗するわけにはいかないと、気を張ってどうにか持ちこたえる。
それでも、地面に着地した際の衝撃でアイリスの身体は前のめりに倒れそうになってしまった。
「──アイリス!」
すかさず、先に美術館の外へと脱出していたクロイドが斜めに傾きかけたアイリスの身体を腕で支えるように受け止めてくれる。
「……平気よ」
この感覚は久しぶりだった。疾風の靴は足への負荷を抑えてくれるが、身体への負担は大きいのだ。
疾風の靴は魔具の一つだ。
教団が認識している限りで、魔具には三つの種類が存在している。
一つ目は魔具自体に魔力が宿り、魔力を持たない一般人でも扱うことが出来るもの。二つ目は己の魔力を使って魔具を媒体として魔法を使用するもの。
そして三つ目は誰しも魔具自体を使うことは出来るが、魔力を持たない者は己の生気を吸われるものだ。
この靴は魔力がある者は己の魔力を使って使用出来るようになっているが、何の力も持たないアイリスが使うと魔具に生気を吸われるのだ。つまりは命が削られていくようなものだろう。
一般人にも使えるような、その魔具自体が魔力の塊で出来ているならば話は別だが、この靴しか自分が求める条件に合うものはなかった。
命が削られれば、もちろん身体の方に影響は出てくる。
このように貧血のような状態を起こすのはよくある事だし、酷い時は呼吸がしにくい場合もあった。今はまだ、ましな方だろう。
「問題ないわ。少し……着地を失敗しただけだから」
「だが、顔色が悪い」
「……あとで休めばいいわ。今は逃げましょう」
クロイドは何か言いたげな顔をしたが、唇を噛み締めるようにその口を閉じた。
もうじき、美術館の外にも見回りの警備員が様子を見に来るはずだ。大事になる前に姿を消した方が得策だろう。
「行きましょう、クロイド」
はっきり言って気分は悪いが今はそんなことを言っている場合ではない。このくらいは気合で何とかなるのだ。
アイリスは両足で踏ん張るように立ち上がり、少しずつ歩みを速めていく。その速度に合わせるようにクロイドも走り始めた。
今はまだ任務中だ。この任務を完遂させるまで、弱音を吐くわけにはいかない。
耳を澄ませば、美術館の中から怒声に近いものが聞こえ始める。早くここを離れなければ。
そんな思いでアイリスは走りつつも、不安定になった心拍数をどうにか落ち着かせようとしていた。
美術館の外は芝生が広がる公園のようになっており、所々に木々も立っている。二人はそこを上手く活用しながら、小さな影が大きな影の中へと混ざるように闇夜の中へと紛れていった。
・・・・・・・・・・・・・・・
これで今日の任務も終わりだと、思っていた。
いつものように回収した魔具を魔法課へと届けて、書き終えた報告書をブレアの机の上に置いてから、身体を休めるべく自室に戻ろうとしていた時だった。
「アイリス」
低く、重い声で名前を呼ばれて、アイリスは思わず肩を震わせる。
まずい。
この声色は自分に何かあったり、クロイドに対して隠し事をしていると彼が気付いた時、それを確認するための声色だったと思い出す。
誰もいない魔具調査課の部屋に二人きり。しかも、出口である扉の前にクロイドは腕を組んで立っているため、逃げ道はない。
「……な、何かしら……? ほら、もう2時前よ? そろそろ寝ましょう?」
明日はお互いに登校日で、いつも通りの授業がある。早めに身体を休めた方が良いだろうというのはただので言い訳で、本音を言えばクロイドから何かを咎められる前に回避するべく、逃げ道を確保したかった。
「……たまに君が任務中に息遣いを荒くして、胸を苦しそうに押さえている時があるがそれは何故だ」
疑問口調であるにもかかわらず、まるで命令でもされているかのようなクロイドの態度にアイリスは何と答えようかと視線を迷わせる。
自分が使っているこの靴が自らの生気を吸い取り、寿命を縮める魔具だと知ったら、彼は絶対に心配するに決まっている。
「言えないのか?」
「……」
今までずっとクロイドに秘密にしていたことだ。
ミレットもブレアも知っている。この靴の情報をくれたのはミレットで、調達手段を整えてくれたのはブレアだ。そして、買ったのは自分だ。
靴の性能を使用した際の作用も含めて、全て納得して自分はこの靴を使っている。しかし、クロイドにそれを話して受け入れてもらえるかは分からないのだ。
言葉を選びつつ、どう返そうか黙り込むアイリスをクロイドはいつもより鋭い視線で見下ろしてくる。
魔具調査課の室内は、かなり気まずい空気が張り詰めていた。
「……答えないなら、ミレット辺りに聞くが」
「っ! それは駄目!」
すぐさまアイリスは答えてしまったが、即答したことを後悔した。一瞬で、クロイドの表情が変化したからだ。
「ほう、つまりは俺に聞かれたくないことか」
「……それは……」
上手い誤魔化し方が見つからない。だが、このまま下手に話を無視して、せっかく信頼し合えるようになった仲を険悪にはしたくはなかった。
何より彼の場合は自分のことを心配し過ぎて、クロイド自身が気に病みそうだ。
「……はぁー……。もう、分かったわよ。ちゃんと話すわ」
仕方がないと言わんばかりにアイリスは溜息を吐き、自分の机の椅子を引き寄せて座る。
アイリスは視線でクロイドも座るようにと促した。彼はアイリスに逃げる気はないという意思表示を確認したあと頷きつつ、自分の机の椅子へと座った。




