進む道
それまで、ずっと心の奥底に抱えながら生きてきたのだろう。
真っすぐとアルティウスを見つめながら、クロイドは絞り出すように声を出す。
「お前に……全てを押し付けてしまって、すまない。……独りにしてしまって、すまなかった」
「……」
クロイドは今のアルティウスの持つ「王子の役割」を押し付けてしまった、と言っているように聞こえた。
「俺が逃げてばかりいたから、母上さえも奪ってしまうことになった。……全部、俺のせいなんだ」
どこかで、鳥が鳴いた声が聞こえた。
夕方に吹く風が、窓から部屋へと流れてくる。
「……確かに僕は独りぼっちになってしまった」
色の無い表情でアルティウスはクロイドの方へと視線を向ける。
「でも、君のせいだなんて、これっぽっちも思っていないよ」
一歩、また一歩、アルティウスは前へと進む。靴の音だけが、室内に軽く響いていた。
「それに王子としての役割も君からのお下がりだなんて、思ったこともない」
離れていても分かるのは、クロイドの握りしめられた手が微かに震えていることだった。
「君も母上もいなくなって、すごく寂しくて、悲しかったけれど……。でも、僕の知らないところできっと生きている、幸せになってくれているってずっと、信じていた」
「……」
「だから、いつか会えた時に、僕は一人で立てるくらい立派になったんだよって、見て欲しかったんだ。僕はいつも、君の後ろばかりを歩いていたから……」
「……違う。あの頃からお前は立派な王子だった」
アルティウスの言葉を遮るようにクロイドが声を張り上げる。
「お前しか、いないんだ。この国の王子は、お前しか……」
「……あのさ、君は気付いていないかもしれないけれど、僕はいつも君を目標にしていたんだよ」
溜息をわざとのように吐きつつ、アルティウスは肩を竦める。
「……俺は目標にされる器じゃない」
「そうかな? でも、おかげで僕はここまで来られた。君のおかげなんだ。……君が僕に役割を押し付けたっていうけれど、それは違うよ。僕は自分でこういう風になりたいと思った。だからこそ、努力して来られたし、次に進もうって気にもなれる。……君が気にするようなことじゃないんだよ」
アルティウスの表情が子どものように柔らかく、悪戯をした時のような顔へと変わった。
「……お前は、それで納得しているのか」
「もちろん。別に貰った気はしないけれど、君がくれるなら遠慮なく貰うさ。遠慮なく貰って、この国をどんどん良い方向へと持っていく。周りの国々に負けないように、誇りある国で在り続けるために」
「……そうか」
アルティウスの言葉を聞いて、安堵したのか、そこでやっとクロイドの表情が和らいだ。
「だからさ、見ていてよ。これから離れて、二度と会うことも無くなってしまうかも知れないけれど……。僕が立派な王様になるのをこっそりと見ていて欲しいんだ。……僕もロディが自分の知らない世界で、君が進みたいと思う道を歩んでいくことを心の中で見守っているから」
そう言ってアルティウスはクロイドの両手を握りしめる。
「ね、約束。これが最初で最後の秘密の約束だから」
「……っ」
クロイドの表情が途端に歪んだ。子どもが泣きじゃくるようにくしゃりと崩れて、彼はそのままアルティウスを抱きしめた。
「君が泣くなんて珍しいな」
「お前だってそうじゃないか」
アルティウスも自分の手をクロイドの背中へと回す。
お互いの頬には涙が線を作っていた。
「……本当はずっと会いたかった。でも、会うのが怖かったんだ。お前や父上から、どんな目を向けられ、言葉を吐かれるのか……そればかりを恐れて。……結局、俺は自分のことしか考えていなかったんだ」
「君も中々、根に持つね。……大丈夫だよ。恨んだりしていない。──ロディが生きている。僕にとっては、それだけで十分なんだ。その事実だけで、十分なんだよ」
夕暮れ色へと染まり始める空と、外から零れる光によって出来た二人の影が絵画のように床上に映し出されていた。
「だから、どうか元気で。見えないけれど、君の幸せを願っているから。ずっと、ずっと願っているから」
「……お前もな、アル。あと……ありがとう」
二人は分かっているのだ。
この再会が最後になるかもしれないと。二度と会うことはないのだと覚っているのだ。
クロイドとアルティウスはお互いの手をそっと離す。
自分達はもう、ここを去らなければならない。
「ふっ……」
「ははっ……」
兄弟二人は涙を流すお互いの表情を見て、軽く笑い合った。
その様子はまるで、仲の良い幼い兄弟が楽しく戯れているように見えた。
・・・・・・・・・・・・・
二人がお互いに着ている服を交換するため着替えるらしく、アイリスは一時的にアルティウスの部屋の外で待つことにした。
廊下の壁に背中をもたれて、何となく夕暮れ色に宵色が混じり始めた空を眺めていると着替え終わったクロイドが部屋から出てきた。
教団へと戻るアイリス達を見送るつもりなのか、クロイドの後ろからは王子の服へと着替え終わったアルティウスまで出て来る。
「それじゃあ、二人とも。今日はどうもありがとう。先輩達にもお世話になりましたと、お礼を伝えておいてくれるかな」
「分かった」
「……僕はこのあと、父上に自分が思っていることを伝えにいくよ。今までずっと、許可して貰えなかったけれど、諦めないで何度も説得してみようと思うんだ。でなければ、まだ出発地点にさえ立っていないからね」
「……あなたの考えが上手くいくことを願っているわ」
アイリスの言葉にアルティウスは頷く。
そして、アルティウスは再びクロイドの方へと身体の向きを変えた。お互いに真っすぐと視線を交えているが、心の中では言いたいことを抑えているのかもしれない。
「……気を付けてね」
「ああ」
最後までアルティウスは笑顔だった。それでも、彼の瞳は大きく揺らいでいた。
静かに、大きな扉は閉められていく。少しずつ、境界を作っていく。
「……」
閉まり切った扉を少し細めた瞳で眺めて、そしてクロイドは深く息を吸い込んだ。
「……帰るか」
「ええ」
一歩ずつ、歩き出す足取りは以前と比べたら軽いものになっているように見えた。
数歩先を歩く彼はずっと抱えていたものを乗り越えられただろうか。
過去から動けないままだと言っていた心は少しでも、先へと進んだだろうか。
……また、クロイドが話したいと思った時に、ゆっくりと聞けばいいか。
少しだけ大きくなったようにも見えるクロイドの背中を眺めながら、アイリスは静かに彼のあとを付いていった。




