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約束

  

 オークション当日。夕方から夜になる一歩手前くらいの時間帯。


 ゆっくりと走る馬車の中でアイリスはどこか汚れていたり、変なところは無いかと、自身が着ているドレスを何度も確認していた。

 白いドレスはどこにでもありそうなデザインであまり目立たない地味なものだ。髪型も三つ編みを編み込むように一つにまとめられている。

 そして、装飾品らしいものは一切、身に着けてはいなかった。


 今から行く場所では出来るだけ目立ちたくないため、地味な見た目の方が色々と都合が良いのだろう。


 こういう高級な物を着慣れていないせいで気持ちが落ち着かない、という事もあるが一番の原因は目の前に座っているクロイドである。

 彼もまたどこにでもあるような黒い燕尾服を着て、髪をきっちりと整えているので、普段とは違う雰囲気に対して少し気まずくなってしまっているのだ。


 だが、無口なのは相変わらずだ。馬車という狭い空間の中、お互いに無言の状態が暫く続いていたが、ついにその空気に耐えられなくなったアイリスは口を開いた。


「そ……そう言えば、このドレスやあなたの服だけじゃなくて、この馬車もミレットが一人で手配したんですって」


 もちろん馬車に乗ったり着替えをした場所は、嘆きの夜明け団から離れた場所だったが。

 でなければ、こんな姿を任務だと知らない者が見れば何事だろうと驚いてしまうに決まっている。

 常にこちらの不祥事を窺っているハルージャに至っては馬鹿にしてくるに違いない。


「……そうなのか」


「ええ。でも、招待状をどうやって手に入れたのか、一番気になるわよね」


 招待状は男爵が関わりのある者に直接送っている。ミレットはそれの横流しされたものを何かしらの伝手で手に入れたのだろう。その際に、どのような取引が行われているのか、自分は知らないし、聞こうとも思わない。

 恐らく、ミレットに聞いても上手いこと言われて、はぐらかされるに違いない。


「……そうだな」


 会話が続かない。これではアイリスが一方的にクロイドに話しているだけだ。


 今回がお互いにとっての初任務。そして、自分達は任務の上での相棒を組まされている。協力して遂行しなければならないのだが、彼は分かっているのだろうか。


「ねぇ、クロイド」


「何だ」


「……昨日は、ごめんなさい」


 馬車の窓の外を見ていたクロイドはアイリスの方にゆっくりと視線を向けた。

 だが、視線が重なった瞬間、何故か久しぶりに目が合ったような懐かしい感覚がそこにはあった。


 昨日、アイリスが怪我をしてから、話しかければ答えてくれるが全く目を合わせようとしてくれなかったのである。

 今、五十センチ先で視線が交差している。黒い宝石のような綺麗な瞳がアイリスを見つめていた。


「いや……。俺も怒鳴ったりして悪かった……と思う」


「ううん。クロイドは本当の事を言ってくれただけだもの。逆に感謝しているわ」


 まるで二人の声以外は何も存在していないのではと思えるほど、その場は静寂に包まれており、車輪の軋む音と蹄の音が遠くに聞こえた。

 クロイドは気まずくなったのか視線を再び外へと向ける。


「俺は、何も……」


「あなたのおかげなの。そこは否定しないで。……だから、今回の任務は命をかけたものだとしても、絶対に死なないって約束するわ。あ、もちろん、クロイドもよ? 自分で言ったんだから有言実行してよね?」


「……分かった」


 アイリスが唇を小さく尖らせつつそう言うと、クロイドは視線だけをこちらに向けて、いつもよりも少し明るい声色で答えを返してくる。


 まだ、クロイドと出会って二日しか経っていないというのに、ブレアやミレット以上に自分のことを心配してくれるとは、中々物好きというか、珍しい性格をしているなと思いつつもアイリスは次の話題へと移った。


「あ、そうそう。ミレットからもう一つ渡されている物があったわ」


 肩に掛けてある小さな鞄から取り出したのは二枚の仮面だった。どちらも簡素な作りとなっている仮面だが、街中でこんな物を着けていたら怪しまれるだろう。


 アイリスは黒一色で統一された仮面をクロイドへと渡すが、彼は訝しげな表情でそれを受け取った。


「今から行く場所は仮面舞踏会ならぬ仮面オークションらしいの」


「それはまた……珍しいな」


「多分、他の家との揉め事を防ぐためでしょうね。貴族や富豪達の間では金銭による揉め事が日常茶飯事だから、このオークションでそれぞれの懐具合を知る……となると後々に面倒事が起きるからじゃないかしら?」


「……やけに詳しいな」


 その一言にアイリスは少し顔を引き攣らせる。少々、詳しく喋り過ぎたかもしれない。

 だが、後々分かることならば、今のうちに彼に言っておいても良いだろうとアイリスは再び口を開いた。


「……公にはしていないけど、私……ジョゼフ・ブルゴレッド男爵の姪に当たるらしいのよ」


「……あの、ブルゴレッド男爵か」


「やっぱり名前は知られているのね。まぁ、私はあれの姪だとは絶対に認めたくないけれど。血が繋がっているわけでもないし」


 アイリスは苦い表情で溜息を吐く。


 自分の父親とブルゴレッド男爵の今は亡き妻である叔母はとある名家出身の兄妹だった。

 そのため、戸籍上としてはアイリスとブルゴレッドは叔父と姪なのだが、あの叔父ときたら、叔母という妻がいたにも関わらず、結婚前から別の女性との付き合いもあったらしい。


 そのため、叔母が亡くなった後は入れ替わるように元々付き合いのあった女性を後妻として娶ったのだ。そして、亡き叔母の遺産を貰い受けたブルゴレッドは株か事業かで全てを使い込んだと聞いている。本当に最低な奴だ。


 叔母や、叔母の子である従兄妹とアイリスは度々会っていたので仲は良かったが、横暴で狡賢く、金に卑しいブルゴレッド男爵だけは自分の親戚だとは絶対に認めたくはなかった。


「嫌いなのよ、あいつ」


 幼い頃からアイリスはこの男が嫌いだった。両親が死んだ時でさえ、たった一人残された自分に向けられた最初の言葉は遺産についてだった。


「成人するまでに、どうしても私を養女にしたいんですって」


「養女……?」


「ええ。私、小さい頃に家族を全員亡くしていてね。親の遺産が結構あるらしいんだけれど、今は弁護士が管理してくれているの。でも、成人すればそれが全部私の物になるらしいのよ。だから、それまでに養女にしておけば、そのお金の全てが叔父の物になるということよ」


 本当は「叔父」、とさえ呼びたくないくらいに嫌いであるが。


「……最低な奴だな」


「そうなの。だから、今日のオークションで鉢合わせしたらどうしようって悩んでいるのよね。一応、仮面があるから大丈夫だとは思うけれど……」


 華やかで煌びやかな場所を好む叔父はもしかすると参加しているかもしれない。

 出来るだけ、いや、絶対に会いたくは無い。


 すると、クロイドが小さく息を吐いて、窓の方に目をやる。


「……もしもの時は俺が何とかしよう。だから……心配しなくてもいい」


 短く、素っ気無い言い方だった。

 それでも、自分を気遣う優しい言葉だとアイリスはすぐに気付く。小さく微笑みを浮かべながら、顔を逸らしたままのクロイドへと穏やかな視線を向けた。


「ありがとう、クロイド」


 顔は向けてはくれなかったがきっと今、彼は優しい表情をしているのだろう。

 クロイドは自分が思っている以上に人を思い遣ることが出来る人なのかもしれない。


 やがて馬車が速度を落とし、ゆっくりと止まる。


「……着いたようだな」


「そうね」


 二人が仮面を着けた瞬間に御者によって、その馬車の扉が開かれた。

 先にクロイドが優雅に降りて、アイリスへと右手を差し出してくる。


 あまりにも自然過ぎる仕草に一瞬だけ固まってしまったが、すぐに自分の右手を重ねて、ドレスの裾を踏まないように気を付けながら、馬車からゆっくりと降りる。


 クロイドの左側を微妙な距離を空けて歩きながら、アイリスはクロイドの顔を窺うように見た。


「ねぇ、クロイド。あなた……社交の場での礼儀作法とか習っていたの?」


 周囲に聞こえない声量で、そっと訊ねてみる。先程のクロイドの動きはどうも手馴れているように思えたからだ。


「……昔に少し、な」


 クロイドは短く、それだけ呟いた。

 だが、少し習っていただけで、あのような仕草は自然に出来るものなのだろうかとアイリスは首を傾げたが今は任務中なので、それ以上を追究することは止めておいた。


 一歩ずつ、踏みしめるように歩く。

 ここが初任務の場なのだ。

    

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