夢と現実
時間が夕方になる前にアルティウスを王宮へと連れ帰った方がいいだろうと思い、そろそろ孤児院を出発することにした。
「もう帰っちゃうの~?」
「残念だけれど。でも、また来るから」
駄々をこねるように、頬を膨らませる子ども達を宥めつつ、アイリスは頭を撫でていく。
「近くに寄ったら、またいらしてね。今度はロイも連れて」
「……そうですね」
その場合は再び女装しなければならないのだろうかと思い、少々クロイドが不憫に思えたが、顔には出さないように努めた。
「じゃあ、ユアン達はまた、今度。……たまには、医務室にも来るのよ? あなた達、いつも怪我を放っておくんだもの」
「……じ、時間があったらねー」
「……気が向いたらな」
クラリスの誘いにユアンとレイクは顔を背けつつ答える。どうやら、二人の様子から察するにクラリスには頭が上がらないようだ。
すると、絵本を持ったスーネがとことことアルティウスの前にやってきて、何か言いたそうに口を開いたり、閉じたりした。
アルティウスはスーネの目線と合うように腰を下ろし、頭を撫でる。
「どうしたんですか、スーネ」
「ん……」
スーネがアルティウスの胸の中へと飛び込む。どうやら、別れが寂しいらしい。
「あらあら、スーネったら。よっぽどアルさんの事が気に入ったのねぇ」
シスターが苦笑しつつ、スーネに離れるように言うがスーネは頭を横に振り続けた。離れたくはないと言わんばかりにアルティウスの胸の中に飛び込んだまま、動こうとはしない。
「……ごめんね、僕はもう帰らなきゃいけないんだ」
「やだ……」
今にも泣き出しそうなスーネをアルティウスはそっと、抱きしめる。
「……それじゃあ、一つだけ約束をしよう。いつになるか分からないけれど、また君に絵本を読みに来るよ」
「……ほんと?」
「本当だよ。僕は決めたことは絶対にやり通す主義なんだ。……だから、ね?」
「……ん」
納得できたのか、スーネがアルティウスの傍から離れる。目元には涙がきらきらと光っていた。
「また会おうね、スーネ」
「ん……」
ぽんぽんと優しくスーネの頭を撫でてから、アルティウスは立ち上がる。
その横顔は何かの決意に満ちているようにも見えた。
・・・・・・・・・・・・・・
結局、孤児院の全員が建物の入口の外まで見送りに来てくれた。
「またねー! 絶対来てねー!」
「また、遊ぼうねー!」
手を千切れそうなほど、ぶんぶんと横に振っている子ども達に手を振り返し、少し名残惜しさを感じつつ背を向ける。
子ども達が手を振る姿をアルティウスは曲がり角で見えなくなるまで、ずっと見つめていた。
「……いいところでしょう?」
アルティウスの隣を歩きながら、アイリスは静かに問いかける。
「親を亡くしたり、それぞれ家の事情があってあの場所に預けられている子ども達なの。でも……いつも明るくて、元気で……。様子を見に行くたびに、こっちが逆に元気を貰っちゃうのよね」
「……子ども達の引き取り手などはないんですか」
「中々、難しいみたいね。孤児院はあそこだけではないし……」
「……国の資金があまり届いていないように見えたのですが」
「貰えても、その金額は少ないらしいわ。ぎりぎりの生活費しかないみたいよ。あとは寄付金。だから、子ども達全員が学校に行くお金もないから、シスター達が教えているのよ」
アイリスがそう答えるとアルティウスは何かに引っ張られるように立ち止まった。
「……僕、決めました」
「……何を?」
「幼少期からの教育が整っている国は、豊かなんです。技術も知識もしっかりとしているのは、ちゃんとした土台があるから……」
遠くを見るような瞳には強い意志が宿っているように見えた。
……クロイドに似ているわ。
何かを成し遂げようと決意する時、クロイドもこんな表情をしている。
「現状では国の資金から見て、国中の子どもが学問を無償で受けられる状況は難しいでしょう。……近代化時代のように子どもを労力として使う時代は終わりましたが、都市部から遠い地方にはまだ名残が残っています」
拳を握りしめ、彼が真っすぐと見据えているのは現実と未来のようだ。
「まずはそれぞれの生活の質の向上を目指します。……上手く行くか分かりませんが、試行期間を何度か設けてみようかと思います」
「……それは……孤児院の子ども達も無償で学校に行けるようにする、ということ?」
「時間がかかると思いますが、いずれは」
「……そう」
前々から、自分も思っていたことだ。孤児院の子ども達も学校に行けるように、学校での教育を無償化にするべきだと。
それでも、国の資金だけではとても賄え切れないだろう。無償化にしたとしても、勉強を教える側となる教師への給与や校舎の維持費、必要な備品などの経費がかかるからだ。
しかし、このままでは貧困に陥っている者は、循環するように新たな貧困を作り出して、また同じように繰り返してしまう。それでも、思案したところで、一個人の自分がどうこう出来る問題ではないと分かっていた。
だからこそ、孤児院の子ども達が少しでも勉強することが楽しいと思えるように、時々だが時間を見つけて勉強を教えに行っていたのだ。
「私はあなたの意見に賛成だわ。まぁ、お金の方の問題があるからね。税金を上げるのは、多方から反発されることもあると思うけれど……」
「でも、財政を賄うにはそれしかないですからね。この国の経済は昔に比べれば発展している方ですが、まだまだです。これはまた、王宮に戻ってから色々と勉強し直しですね。父上や政務官達にも相談しないと」
「時間もお金もかかると思うけれど、上手くいくように願っているわ。……きっと、孤児院の皆も学校に行けるようになれば、喜ぶと思うの」
皆、いつも言っていた。学校で勉強してみたいと。アイリスがどれほど教えても、その願望を叶えてあげることは出来なかった。
だが、隣にいるアルティウスなら、出来るはずだ。彼には確かな力があるのだから。
「……私はあなたを信じているわ。その夢が叶うのを待っているから」
「……ええ」
短くも力強く答えたアルティウスの表情は、一人の少年ではなく、重荷を背負う覚悟をした一国の王子の顔をしていた。




