偲ぶ
「……またその話か」
深く溜息を吐いた音だけがその場に響いた。
「何度も言っているが、クロディウスは……死んだ。あの晩にお前の母とともに魔物に襲われて、死んだのだ」
「……」
抑揚なく答えられる言葉に、クロイドの心の中では悲しみのようなものが滲むように生まれていく。
もしかするとアルティウスのように、目の前にいる国王も、本当は自分が生きていると信じていて、会いたいと言ってくれるかもしれないなんて愚かなことを淡く期待してしまったのだ。
彼は、あの晩に自分が死んでいないことは知っている。ただ、王宮を追い出され、田舎の教会へと連れていかれたことも存じているはずだが、そのような素振りは一切見せない。
つまり、教会へ自分が移ったあとに死亡したと報告されたことを真実として受け止めているのだろう。
「……もし、……もし彼が生きていたとして、陛下はお会いになりたいと思ったことは」
「ない」
顔色一つ変えずに彼は答える。
やはり、自分は実の父親にさえも存在を嫌悪されていたのだろうか。
胸いっぱいに冷たいものが広がっていき、どうしようもなく目の奥が熱い。
「生きていたとしても、……私は親としての顔向けは出来ぬ」
「え……」
しかし、続けられた予想していなかった言葉に思わずクロイドは目を丸くしてしまう。
「お前だけではなく、クロディウスには特に厳しくしていた。……あの容姿では、他の者達からどのようなことを言われ、生きていくことになるのかは目に見えていたからだ。だから、私は辛い状況に陥っても、越えられる力を持てるよう、一層厳しくしていた」
「……」
そう言って、眉間に皺を寄せる表情は老けて見えた。
確かに自分は小さい頃から黒髪に黒目の容姿だったため、周りからは色々と言われることはあった。
それは恐らく、自分の娘を国王妃にすることが出来なかった貴族達の嫌味のようなものも含まれていたと思う。
「あの子の方こそ、私を恨んでいるだろうな。優しくしたことなど一度もなかった。褒めたこともない」
「……優しさだけが、全てではない、と思います」
クロイドが辛うじて言葉を返すと、国王はどこか笑ったように鼻を鳴らした。
「厳しくなされたのは、私やクロディウスのためを思ってなのでしょう。それならば、その厳しさこそが陛下のお気遣いなのではないでしょうか」
自分の知らない、父親の一面を見た気がして、つい声が出そうになった。あの頃、怖いと思う程、厳しかった彼の意図に今、気付いたからだ。
自分は父親の厳しさによって守られていて、この身を心配されていたのだ。先程まで込み上げていた悲しみが一瞬で消え去ってしまったような気さえした。
……話をしないと、分からないこともあるんだな。
背中ばかりを見て、厳しく育てられ、ただ言い付けられたことをこなしていた日々が本当に遠くに感じた。
あの時、ちゃんと彼の言葉を受け入れていれば、もっと強くなれていたはずなのに。
それなのに、自分は逃げた。逃げて、アルティウスに全てを押し付けてしまった。それを改めて知り、悔いた。
「……そうか」
何かを悟ったような柔らかい表情になり、国王は一言呟く。
「もう一つ、お聞かせください」
ふわりと、吹いた風がカーテンを揺らす。もうすぐ初夏だ。吹き通る風は別の場所で感じるものと同じであるはずなのに、何故か懐かしく思えた。
「母上を愛しておられましたか」
自分のせいで奪われてしまったと思っているはずだ──ずっと、そう思っていた。
たった一人の妻を、自らの子どもが原因で共に行く道の、その先が絶たれたのだから。
「……ふっ。お前にしては、珍しいことを聞くな。さては、貴族どもに娘を妃にどうかと勧められたな?」
そのあたりのアルティウスの事情は知らないため、クロイドは曖昧に笑みを返すことにした。
「……そうだな。……言葉にするならば、そういうことになるのだろう」
「……」
「自分が生きて来た中でたった一人、この意志で選んだ人だった。代わりはいない。彼女だけだと思えた」
記憶の隅へと置いた、懐かしいことでも、思い出しているのか国王はすっと目を細める。
「どんな事があっても、彼女となら越えられる。そう、思える人だった」
父が母のことをこのように話してくれるのは初めてだった。自分の記憶の中で、目の前にいる国王が母である王妃に向けて、愛していると言葉や態度で示したことは一度もなかった。
だが、今思えば父はあまり感情を態度に見せたりはしないので、そういう人なのだろうと思う。
だからこそ、彼の感情は捉えにくいのだ。
……そういうところは俺が似たのだろうか。
自分も普段から感情を表に出すことが苦手だった。──アイリスに出会うまでは。
「……ただ、彼女は貴族の娘ではなかったため、他の貴族共から反感を買われていた。それでも、決して弱みを見せず、凛と咲いている花のような女性だった」
「どこで会われたのですか」
「政務官の娘でな。王宮の図書館に勤めておった。そこで会ったのだ」
静かに語る姿はただ一人の男が妻を偲んでいるように見えた。
「それから、何とか結婚することができ、お前達が生まれた。……ああ、あの時は大はしゃぎしておったな」
細められた目がさらに、細くなる。彼は何もかも覚えているのだ。覚えている上で、今まで語ることなどなく、密かに抱き続けた。
「本当に懐かしい。忘れたわけではないはずだが……。ずっと昔に置いてきてしまったようにさえ感じる」
「……それならば、陛下は」
喘ぐように、クロイドは言葉を吐く。
「陛下はクロディウスを恨んでいますか。あの日、母上はクロディウスを助けに行って亡くなったと聞きました。それならば、あなたは……愛する人を奪われたとお思いですか」
ずっと、聞けなかった。
聞くのが怖くて、自分から耳を塞いで逃げていた。
自分のせいで、彼にとって愛する者が死んだのだと冷めた目で見られることをずっと恐れていた。
お前さえいなければ、大切な人は死ななかったのに、その一言を告げられるのが怖かった。
だが、今しかないのだ。聞いてしまえば、このまま「あの日」に囚われ続けることになるかもしれない。それでも、聞いておきたかった。




